病気や怪我で気が滅入ってくると読みたくなるのが米原万里さんの随筆。
ネットで読めるのは『日本ペンクラブ電子文藝館』の「物故会員」のページのー
「ここ」
「ちゃんと洗濯しようよ!」(『或る通訳的な日常』米原 万里より)
「フランス男は不潔だよー。ほとんどお風呂入らないんだから」と言うのは、日本人と結婚しているロシア系フランス人のS。風呂嫌いのわたしには、耳の痛いこと、この上ない。ちょっぴり、フランス男の肩を持ってみる。
「でも、日本と違って気候が乾燥しているから汚れにくいんじゃないかなあ」
ところが、この一言が、いたく彼女を刺激してしまった。明らかに語気を強めて憤慨している。
「気候が湿ってようと、乾いてようと、パンツは汚れるのよ。日本男は、毎日パンツ取り替えるでしょう!?」
「いや、そんなこと、知りませんよ。日本男全員のズボンの中、のぞく機会は無かったし……」
「あたしだって、無いわよ。でも、あたしの知ってるフランス男は、父や弟を含めて、毎日替えてなかったわ。だけど、わたしの夫は当然のように替えてる」
「でも、それで一般論を導き出すのは、ちと乱暴なんじゃないかな。厚生省の白書にも、そんな統計数字、無いような気がするし。新聞か雑誌で、そんな調査したところ、あったかなあ……」
わたしが言い終わらないうちに、Sは嬉しそうに瞳を輝かせて声を弾ませた。
「そうそう、思い出した、思い出した。数年前に、『ル・モンド』紙が、『フランス人の清潔観』とか銘打ったアンケート調査をやって、その結果を誌面に掲載したことがあった。その中にね、『あなたは、毎日パンツを取り替えてますか?』という質問があったの。女は半分以上が『ウイ』って答えてたけど、『ウイ』って答えた男、何パーセントだったと思う?」
「三分の一?……四分の一?……」
「そんなもんじゃないの! 三.一四パーセント。どう、信じられないでしょ。ル・モンドの読者層にしてそうなんだから、あとは推して知るべしでしょ」
Sが、あまりにも得意気なものだから、わたしとしてもムクムクとナショナリズムが頭をもたげてきて、つい日本男児の不潔度について自慢したくなってしまった。
「でもね、日本男が毎日はき替えるパンツが、必ずしも清潔とは限らないのよ。汚れたパンツをこまめに洗っているのは、圧倒的多数の場合、その母親とか奥さんなんだから」
「……」
「というわけで、独身男なんかは、パンツを次々とはき替えていくのはいいけれど、そのうち、清潔なパンツが無くなる。母親か彼女がまとめ洗いしてくれるまで、間に合わない。どうすると思う?」
「さあ ……」
「前にはき汚したパンツの山の中から比較的汚れの少ないのを選び出して、はくのよ、裏返したりしてね」
「おお、グットアイディア! なかなか頭いいね」
Sは感激して、ついでに、こんな卓抜な連想をしてくれた。
「でも、そのパターン、日本人がよく使う手だよ。たとえば、今度の自民党の総裁選出だってそうじゃないか」
「えっ!?」
と腰を抜かしつつも、ああ、そういえば、どの総裁候補も汚れていたな、選択肢は狭く限られていたし、と今さらながら気付いたのだった。。新総裁は、前総裁の派閥の会長だったわけで、まさに汚れたパンツの裏を返したようであるな、と。ちゃんと洗濯するのは、いつのことになるのだろうか、と。
─「ちゃんと洗濯しようよ!」『公研』誌2001年6月号に初出、『真夜中の太陽』(中央公論新社)に所収─