詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

広島じゃなくて長崎の原爆忌の作品をふっと思い出したので・・

2010年08月06日 | 日記
「原爆句抄」    松尾あつゆき


八月九日 長崎の原子爆弾の日。
我家に帰り着きたるは深更なり。
 
「月の下ひっそり倒れかさなっている下か」

十日 路傍に妻とニ児を発見す。
重傷の妻より子の最後をきく(四歳と一歳)。

「わらうことをおぼえちぶさにいまわもほほえみ」

「すべなし地に置けば子にむらがる蝿」

「臨終木の枝を口にうまかとばいさとうきびばい」

長男ついに壕中に死す(中学一年)。

「炎天、子のいまわの水をさがしにゆく」

「母のそばまではうでてわろうてこときれて」

「この世の一夜を母のそばに月がさしてる顔」

「外には二つ、壕の中にも月さしてくるなきがら」

十一日 みずから木を組みて子を焼く。

「とんぼうとまらせて三つのなきがらがきょうだい」

「ほのお、兄をなかによりそうて火になる」

十二日 早暁骨を拾う。
 
「あさぎり、兄弟よりそうた形の骨で」

「あわれ七ヶ月の命の花びらのような骨かな」

十三日 妻死す(三十六歳)。

「ふところにしてトマト一つはヒロちゃんへこときれる」

十五日 妻を焼く、終戦の詔下る。

「なにもかもなくした手に四枚の爆死証明」

「夏草身をおこしては妻をやく火を継ぐ」

「降伏のみことのり、妻をやく火いまぞ熾りつ」

八月

2010年08月06日 | Weblog
八月はいつも遠い季節
労災隠しやパワハラやセクハラや
あらゆる違法行為を取り上げようとしない
労基監督署エリート課長の禿頭を見飽きた季節

首切りのあとには
また子供時代みたいにトンボばかりが舞い飛ぶ空

八月はまるで
逃げ水の道端に倒れて寝転び
蒼穹を見上げていた自分だった

八月はいつも
遅すぎる夜を連れてくる
ヒメジョンの道だった

ぼくら
差別されるものに相応しいのだというように
群星と
夜光虫とでいっぱいの
輝く夜の海だった