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宮平初子の織物を見た第84回国展

2010年05月18日 | 美術展など
第84回国展が、今年も六本木の国立新美術館で開催された。わたしが一番関心があるのは3階の工芸部だ。

宮平初子 白地絣訪問着「鳥とメービチ」
まず引きつけられたのは、宮平初子 白地絣訪問着「鳥とメービチ」である。目がさめるような純白の生地には六角形の模様が織り込まれている。袖と裾にグレーの横縞があり鳥が飛翔する。昨年と一昨年はベージュやこげ茶の落ち着いた花織だったので驚いた。宮平さんは1922年生まれなので今年88歳、人間国宝(重要無形文化財)に認定されてからでもすでに17年なのに、この意欲はすごい。
そして、杉浦晶子「薫風」。白がクロスする模様で、上と下は草色。草原から風がザワワとこちらに吹き寄せてくるようだ。

杉浦晶子「薫風」
池田リサ「板締絣着物 松韻」は上のほうと裾が深い緑、村江菊江「夏木立」は緑に薄緑の縦じまが入っている。わたくしが見に行った日は7月のような暑さで、女性は肌が赤くなるほどの気候だった。それで、なおさら緑の色が涼しさを感じさせた。
北畠雪子「夕映え」はベージュに縦じまが入った柄、根津美和子「花衣」は四角のパターンを織り込んだ白の着物だった。ベージュや白は「聖なるもの」を象徴する色だ。
運天裕子「叢」は上品な花織だった。宮平初子さんの09年の作品茶地首里花織着物「菱紋」と似た傾向の作品だった。
なぜ染ではなく、着物のかたちになった織に、わたくしが魅かれるのか考えてみた。ひとつは織は平面デザインだが、人間が着用したときの立体を感じられること、もうひとつは基本的には抽象デザインだが、袖や襟や裾があるのでその点は具象になっていることかと思う。その他、織が生む風合いや光の微妙な反射もあるだろう。
染の作品も、実際に使われているところを脇に展示し「用」の美を見せれば、美しさをより感じるかもしれない。

村山耕二「サハラ六方屈亀甲文有蓋筒」
織以外では、ガラスと木工に目がいった。
ガラスでは、村山耕二「サハラ六方屈亀甲文有蓋筒」のえも言われぬ濃い緑の筒が、強い印象を残した。見る角度により不思議な模様が浮かび上がり、見飽きることがない。サハラとはサハラ砂漠の砂をそのまま融解してつくるガラスだそうだ。
森永豊「青花紋鉢」は、青と鉢の縁の緑が見ているだけで涼しさを感じさせる。岡林タカオは昨年は「桜乳白鉢」だったが、今年は「縄目文アイスペール・タンブラー」だった。形が整っているからかとても大きく見えた。
木工では、保知充「甲盛厨子」。拭き漆の木目が美しい。松本行史「胡桃拭漆飾棚」は形がとてもモダンだった。牧野弘樹「鉄染の椅子」は座ると落ち着けそうだった。

三戸部克子「藍夾絞布」
作家が自作を語る「トークイン」というイベントがあった。事前に申し込むシステムだったようだが、知らなかったので、フリー参加ということで工芸の部のみ後ろから見させていただいた。
染の三戸部克子さんは、手を痛めて普通の絞りの技法を使えなくなり、布を6枚重ねて折り畳み、生地の色のままにする部分はすっかりミシン掛けし、その他の部分を染料に漬ける夾絞りという方法を編み出した。正倉院三纈(さんけち)のなかの「夾纈」(きょうけち)に近いそうだ。なお現在の絞りは纐纈(こうけち)に当る。今年の作品は「藍夾絞布」である。
木工・漆の松崎融さんは、まず木を何年も寝かせ、鋸で切り出してからも1年置いて、木が縮んだり変形しなくなるのを待つそうだ。そして何種類ものノミやカンナを使って仕上げ、漆を何度も塗る。「研ぎ出」しという手法を使うので漆の厚みにムラがあるそうだ。
また漆というと輪島が思い浮かぶが、和歌山県の根来の漆を使っているそうだ。今年の作品は「朱漆輪花茶櫃膳」である。

工芸以外は、駆け足でみたが、4時間もかかった。大きな公募展は見るだけでもつらいところがある。もちろん出展する人や審査する人はもっともっと大変なのだが・・・。
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