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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

関東大震災朝鮮人虐殺100年と朝鮮戦争休戦協定70年の年の3.1独立運動集会

2023年03月02日 | 集会報告

 

今年も3.1朝鮮独立運動集会の季節がやってきた。104周年の屋内集会は2月25日(土)夜、いつものように文京区民センターで開催された。今回のキャッチは「東アジアの民衆連帯で新たな戦争を起こさせない! 植民地支配を清算し大軍拡止めよう!」である(主催:「3・1朝鮮独立運動」日本ネットワーク(旧100周年キャンペーン) 参加170人)。
 

今年は2019年の3.1朝鮮独立運動100周年から4年目、1923年9月の関東大震災朝鮮人中国人虐殺100周年の年であることは知っていた。そのほか、朝鮮戦争休戦協定が結ばれた1948年7月から70年の年でもある。毎年この集会で主張されるよう停戦協定を平和協定に早く転換する必要がある。しかし日米韓の軍事演習はますます規模を拡大し、日本では岸田政権が対中国・朝鮮の脅威を煽り「敵基地攻撃能力」(反撃能力)の保有と「異次元」の大軍拡を開始しようとしている。
そこで、今年の集会では「関東大震災朝鮮人虐殺問題」の講演と朝鮮戦争停戦70年に向けた韓国からの提案、南西諸島軍事化の危険な動きの特別報告があった。
関東大震災朝鮮人虐殺、朝鮮戦争停戦70年、南西諸島軍事化、一見3つバラバラに思えるが、講演を聞き、どれも侵略と植民地化の暗く長い歴史から生まれたものであることが理解できた。
関東大震災朝鮮人虐殺問題の講演は慎蒼宇さんが行った。慎さんは参考文献も含め12ページのレジュメ、さらに日清戦争から間島虐殺(1920)まで11の植民地戦争やジェノサイドのときに89人の朝鮮軍司令官、師団長、連隊長らがどんなポストにあったか履歴を示すデータ、全国109の師団・歩兵連隊の台湾征服戦争、東学農民戦争から関東大震災まで10の「暴徒討伐」経験の有無、大震災時に戒厳司令部司令官や出動した師団長だった29人の日清戦争から間島虐殺まで8つの植民地戦争・ジェノサイドのときの歴任ポストの3つのデータ、合計28ぺージに及ぶ表組データが付く本格的なものだった。しかし到底予定時間におさまらず、後半はエッセンスのみの紹介だったこと、またプロジェクターに重要項目が映し出されたが、本人が写真撮影を望まれなかったため、主としてレジュメからポイントを示すにとどめる。いつかもう少し長い講演を聞く機会があればよいと願う。
レジュメに添付された3つの詳細データ 事実を丹念に調べ、日本軍と軍首脳の朝鮮人虐殺経験の履歴が判明した
講演 関東大震災時、朝鮮人はなぜ殺されたか?
    朝鮮植民地戦争と三・一独立運動、朝鮮人虐殺への道
           慎蒼宇(シン・チャンウ)さん(法政大学教授)
関東大震災時の朝鮮人虐殺は「天災」ではなく「人災」だ。しかも一過性のできごとではなく、それより以前に植民地で日本軍隊は多くの朝鮮民衆虐殺を経験してきた。
虐殺の背景として2つのことを挙げる。
1 日本による植民地化と在日朝鮮人の増加および蔑視の形成
1910年の朝鮮併合、いや1905年の第二次日韓協約保護国にされた時から40年間に朝鮮からの流移民は500万人に上る。植民地政策により、当時人口の8割を占めていた朝鮮農民は土地調査事業により多くの農民は土地を失い生活基盤が崩壊した。それに加え日本の食糧問題を解決するため1920年代に、朝鮮米増産と日本への輸出朝鮮は「食糧輸出基地」化し窮乏し、多くの朝鮮人が日本に「流移民」せざるを得なくなり、炭鉱、紡織、ガラス工場で働いた。やがて土木現場や港湾の荷役現場で働くようになり、都市周辺に集住した。大半がバラック住まいの貧困層蔑視の対象になった。
1922年7月には新潟県中津川信越電力で、逃亡した朝鮮人を業者が殴打・射殺する虐殺事件が起こった。
2 民族運動の展開と弾圧の繰り返し(朝鮮植民地戦争)
まず植民地戦争という言葉の解説をする。通常、近代の「戦争」は主権国家同士の戦争と捉えられる。植民地下では当然現地の人々の抵抗運動が起こるが、帝国主義列強側はこれを「戦争」の範疇から除き不可視化してきた。近年、植民地での軍事暴力と抵抗運動を「植民地戦争」と呼ぶようになった。
植民地戦争で、武装蜂起といっても被植民側の武器は、せいぜい火縄銃、大半は鎌・鍬などの農具なので、圧倒的な差がある非対称である。
朝鮮植民地戦争としては甲午農民戦争(1894-95)、日露戦争下の民衆迫害(1904-05)、義兵戦争(1906-15)、三・一独立運動(1919)間島虐殺(1920)から関東大震災時の虐殺(1923)があったが、日本は(朝鮮人)殲滅と「連座制」による虐殺を繰り返した。
朝鮮軍司令官の植民地戦争の経歴を調べた。武断政治期の参謀総長、三・一独立運動で朝鮮総督を務めた長谷川好道は西南戦争や日清戦争(旅順攻撃)にも従軍した。1920年の間島虐殺時の朝鮮総督・大庭二郎は東学農民戦争、日露戦争の朝鮮北部軍政に関与した。多くの朝鮮軍司令官・参謀長・師団長・連隊長が複数回、植民地戦争やジェノサイドを経験している。出身県でみると山口、いわゆる長州が11人でもっとも多く輩出している。軍の「暴徒討伐」経験でみると、東京にいる近衛師団も関東大震災で出動していることもあり、19の師団すべてが植民地戦争への派兵経験をもつ。特に関東、中部、東北の師団が多い。
軍隊が行ったことは、1894年の甲午農民戦争のときから「責任ある村は焼き払い、其民は撃殺すへし」であり、義兵戦争で「責ヲ現犯ノ村邑ニ負ハシメ、其部落ヲ挙テ厳重ノ処置ニ出ントス」と村じゅう連座制とした。
またメディア(新聞)が、植民地戦争のなかで「朝鮮人は『暴徒』『不逞鮮人』」と観るイメージを日本社会に浸透させた。関東大震災時の流言の「架空のテロリスト」を生み出す原因となった。
民間人虐殺は当時も軍法違反だった。1919年の堤岩里虐殺教会堂に30人余り集め石油をかけて焼殺し317戸の民家に放火し延焼させた被告・有田俊夫中尉に当初長谷川好道総督は「責任者は重謹慎にすることを決定した」と言っていた。有田は、朝鮮民衆の民族自決の意思の固さをみて「此等ノ主謀者ヲ殲滅シ其ノ巣窟ヲ覆ヘシ」と動機を述べ、また「守備隊勤務規定」で、守備隊が捕縛した賊徒は警務機関に引き継ぐことになっていたのに引き渡さず射殺を命令した。
ところが軍法会議で、重謹慎でなく無罪になった。その理屈は、朝鮮人は盛んに示威運動を展開、内地人を迫害したため「やむを得ず」兵力で鎮圧したと、「やむを得ず」というものだった。また勤務規定違反については、犯意がない過失(誤解)による犯罪で、このような行為を罰する規定が刑法にないというものだった。植民地戦争での虐殺は無罪、ということを証明するような事後処理だった。
この「やむを得ない」構造は、東学農民戦争、義兵闘争、三・一独立運動などの事後処理でしばしばみられる。
このようにして関東大震災の軍隊・警察・民衆による「官民一体」の朝鮮人虐殺が起こるべくして起こった。
関東大震災で朝鮮人は三度殺された。一度目は1923年に「人災」により、二度目は国家権力による事後処理により、三度目は日本政府による公式謝罪、補償、真相究明がないことによる。
現在も、朝鮮人虐殺に対する歴史認識・人権意識がないこと、植民地主義への告発、民衆・民族運動の歴史に対する認識がないこと。このふたつの歴史意識の欠落を、関東大震災朝鮮人虐殺100年に当たり、指摘したい。

次に韓国ゲストのスピーチがあった。当初チェ・ウナさん(韓国進歩連帯自主統一委員長 6.15共同宣言実践南側委員会事務局長)とクム・チヘさんの2人が登壇する予定だったが、前日来日したチェ・ウナさんは成田の入管で数時間拘束されたうえ不当にも入国拒否された。そこで主催者と参加者は入管当局に対し、緊急抗議声明を発した。

朝鮮戦争の停戦70年、新しい平和の道を切り拓こう!――停戦70年に向けた平和行動の提案
  

         キム・チヘさん(韓国進歩連帯自主統一局長)
韓国進歩連帯は韓国の民主主義と民衆の生存権を勝ち取り、新自由主義反対、反戦平和、朝鮮半島の自主的統一のために約30の団体で結成された連帯団体だ。6.15共同宣言実践南側委員会は、6.15共同宣言(2000年)をはじめ南北共同宣言の履行を進め、朝鮮半島の自主的平和統一の実現を目指す約400の団体が加盟する唯一の南北と海外同胞の共同組織だ。
1 新冷戦と多極化の流れの衝突、新たな共存の秩序をつくる機会
米国はNATOを動員しロシアに対する圧力を強化し続け、一方、中国を自国の利益を脅かす存在だと決めつけ、政治・経済・軍事など全方位的な反中国協力体制をつくろうと躍起になっている。米国の側につかなければ敵に回し、米国だけの利益のために勢力をつくろうとしている。
この政策は世界各地で反発を引き起こしている。インドはロシア制裁に同調せずロシア産原油の大量輸入をした。NATO主軸のドイツは中国との経済協力を続け、中東地域で米国と協力関係にあったサウジアラビアですら米国の原油増産要求に背を向け、昨年暮れ中国と首脳会談を開催した。
米国の覇権弱体化と多極化の趨勢は世界で新しい共存の秩序をつくりあげる絶好のチャンスでもある。このチャンスを現実に活かせるかどうかは闘う民衆の力にかかっている。
2 朝鮮半島における戦争の危機的様相
日本政府は米国の中国に対する圧力政策に積極的に協力し最近では、先制攻撃能力を確保する方向で安保三文書を改訂した。さらにGDP2%水準の軍事費の増額と中距離ミサイルの導入・配備など軍事力増強を進めている。
韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権もまた、先制攻撃の「3軸体系」の兵器増強と韓米同盟の相互運用性強化、韓米日による軍事協力強化など軍事一体化に先陣を切っている。
昨年、朝鮮は何度も大規模にミサイル発射を繰り返した。これに対し韓米日政府当局とマスコミは「北朝鮮の挑発」というような立場で一貫している。
南北・朝米間の合意がどのように実行されているかは現状の現認をわたしたちに問いかけている。
2018年の4.27板門店宣言6.12朝米シンガポール共同宣言に則し、朝鮮は先んじて核試験場の爆破と核実験や大陸間弾道弾実験のモラトリアム措置に踏み切ったにもかかわらず、米国と韓国政府は中断していた韓米合同軍事演習を1年にして再開し、史上最悪の制裁をそのまま継続した。米国の軍事同盟を強化するため、南北朝米合意に反することを行った。朝鮮はバイデン就任後、1年間新政権の政策を見守ってからモラトリアムを撤回した。朝米合意、特に2018年の合意をきちんと守る正義を少しでも見せていたら、朝鮮の核ミサイル能力高度化は現実化しなかっただろう
昨年、5年ぶりに米国の原子力空母と戦略爆撃機が朝鮮半島海域に入り、韓国軍と共に何度も軍事演習を行ったばかりか、日本とも軍事演習をした。このときに朝鮮側もミサイル、長射程砲を発射するなど強く反発し、南北のミサイルが海上の境界線を互いに飛び交うなどこれまでにない軍事的危機を生じた。
いま朝鮮半島は「核には核、正面対決には正面対決」という非常に厳しい調整のど真ん中にある。
3 戦争危機をくい止めて平和を実現するための共同行動をご提案します!
昨年カンヌンの軍部隊で訓練中に、基地のなかに実際のミサイルが誤って落下し爆発する事件があった。幸い死傷者はなかったが、これが北に飛んで行ったり、ソウルに落ちていたら恐ろしい結果になっていただろう。この事件は、実戦の武器を使った訓練と武力示威が頻繁になるにつれ、いつでも偶発的な衝突と戦争が起きうるというゾッとするような警告をわたしたちに与えた。
最近韓国の尹政権はライバル政治家や労働組合のストライキに対し強硬な弾圧を行い、国家保安法を掲げ公安旋風を巻き起こし、朝鮮への強硬政策のレベルを高めている。安保危機をわざとつくることで自らの政治危機を乗り越えようとしているのではないかという懸念はけして大げさではない。日本もそれほど違いはないと思う。
強力な反戦運動を繰り広げることは、民主主義とわたしたちの生活を守るために切実な課題となっている。韓米日の同盟構築に反対して闘おう。朝鮮戦争の停戦70年、戦争を起こさせない平和実現の共同行動を提案する。
今年、停戦70年を迎え韓国の宗教、市民社会、民衆進歩団体は朝鮮半島での前例のない軍事的危機を深く憂慮し、反戦平和運動に集中すべきだと一致し、停戦70年朝鮮半島平和行動を発足させた。現在735団体が参加している。今年100万人署名運動と韓国の市郡区230地区のうち200か所、また海外の100か所など全世界300か所で平和行動を繰り広げる。平和行動の結果を7月22日、8月15日の集会で共有する予定だ。
70年前の1953年が朝鮮半島の分断と戦争の同盟構造がつくられた年ならば、今年2023年は朝鮮半島で戦争危機を克服し平和へと向かう決定的な年にしなければならない。
☆最後にチヘさんは、尹錫悦政権が日本政権と戦犯企業の謝罪・賠償なしに韓国企業が基金を集めて被害者たちに渡すという案で日本政府と合意しようとしていることへ、深い懸念を表し、韓国国民が強く反対していることをアピールした。 

特別報告 南西諸島軍事化など危険な動き 

                      高良鉄美さん(参議院議員、沖縄の風)            
12月初旬に沖縄に行ったとき、まだ安保三文書は公表されていなかったが、沖縄のキーン・ソード23の演習は明らかに安保三文書の先取りをしていた。ミサイル配備も住民に説明せずどんどん進めている。同時に司令部の地下化も、安保三文書にあるので、石垣島、宮古島、与那国島などで始まろうとしていると思う。

沖縄の歴史を少しお話しておく。沖縄は1872年に琉球藩になる。江戸時代ではなく1871年の廃藩置県の後、そして1879年沖縄県が設置された。この間ずっと琉球国で、朝鮮半島とも国際貿易をしていた。台湾出兵は1871年、琉球国宮古島の漁民が台湾のある村に漂着し、平和に暮らしていたが何かの食い違いがあり、50名以上惨殺される。惨殺されたときには宮古島の漁民は日本人ではなかったが「日本の国民のための報復」ということで台湾出兵をした。
先週、石垣島に行ってきた。そのとき「これ以上どうしていいかわからない」「逃げ出すわけにもいかない」、シェルターをつくるという話もあるが、石垣市だけでも5万人いる、どうやって運んでいくのか。安保三文書をみると、運ぶような話が書いてある。民間の船を利用とあるが、その前に別の利用、弾薬を運び、最後に使えるようになったら住民を運ぶ、と書かれている。
昨年参議院でロシアのウクライナ侵攻を非難する決議が出され、わたしは棄権した。侵攻は1年も続き、ウクライナの民間人はこの間亡くなっている。沖縄戦もそうだ。なぜ沖縄戦をやめなかったのかというと、本土決戦をするため延ばしてくれといったからだ。捨石作戦というが、捨石とは自分が有利になるから取ってくれという石だが、そういうかたちで沖縄戦があった。取らせる間に自分が準備をする。いまの沖縄の状態がまさにそうだ。
日本国憲法は「恐怖と欠乏から免れ」「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」と強調している。ぜひ主権者のみなさんで全国でやらないといけない。前の戦争で天皇の戦争責任といわれるが、それは天皇が主権者で権限をもっていたからだ。いまわたしたちが戦争をしたら国民の責任だ。
わたしは外交防衛委員会所属だが、外務大臣・防衛大臣の答弁は怪しい。ルールを守るのかと聞いてもあやふやでわからない。「沖縄の軍事利用はしないんですね」と、1971年宮古島下地島空港の屋良覚書のときのやりとりを引用して質問した。それまでの答弁は「これまでの約束どおり踏襲する」というものだったが、このときは言わなかった。そしたら安保三文書が出た。もう一度この質問をしようと思う。

●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。


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