昨年1月に観た東京藝大卒展デザイン科の作品が、あまりにも面白かったので、今年も楽しみに第73回 東京藝術大学卒業・修了作品展を観に上野に行った。
もちろん、大学美術館3階のデザイン科の展示から回り始めた。昨年はゴリラの女子高校生に制服を着せた戸澤遥「大猩猩女学院」や康天虎「美術館での宴会――権力と凝視への介入」(この方はGPA)のアッと驚かせる作品に心を動かされた。今年は、深みを増し一歩進化したような作品に注目した。
たとえば、華夏「伴具(はんぐ)」、一見、小さな粘土細工の玩具を60-70並べたように見える。パネルに、「1 製品の製作過程において、父子が共に参加する、2 製品の機能を制限せず、父子が共に考え、使用可能性を掘り下げる」とあり、「伴具は単なる道具ではなく、父と子の絆をつなく架け橋であり、記憶を具現化し感情を継続させるための重要な媒介だ。それは、彼らに創造の喜びを共有させるだけでなく、インタラクションとコミュニケーションを促進し、再び親密な関係を築く手助けをする。そしてこの「伴具」を通じて、現代の父子が古代から続く遺伝子の中で伝わる絆と温かさを再び感じることを願っている」と説明が書かれていた。
これだけなら制作理念のようなものだが、さらに、「02 Market Research、03 User Research、04 Opportunity、05 Definition、06 Brainstorming、07 Design Development」などと制作プロセスごとの内容が書かれていた。プロダクトデザインの教科書のようだが、おそらくこの手順で実践したのだろう。努力の経過がみえるようだ。
もうひとつ、菅原豪「壊すことから――Urban Alteration and Methods」を取り上げる。作者が生まれ育った千葉県流山のおおたかの森は、開発が進むとともに森が消えて行った、「森の中で大鷹や植物と共生して生きていくような街にするにはどうすべきだったのか構想する必要があると考えた」「開発予定前の1984年と電車開通後の2005年の二つの時代に振り返り、都市の構想を行う。最終的にはそれぞれの時代からどのように森の街へ改変できるのかを比較する」「この作品はおおたかの森の過去の敷地を利用して、これから開発されていく他の街へ向けたマスタープランである」との解説文があった。
作品は具体的には、ビデオ動画、写真、パネルを組み合わせたものだった。わたしがビデオ動画を見ている時間がなかったため、どんなマスタープランなのかまではわからなかった。昨年も社会問題をテーマにした「外環の下を通るとき」という作品があったが、「壊すことから」が調査・検討した結果の作品ということはわかった。
なぜデザイン科のクリエイターの作品に面白い作品が多いのか考えてみた。ひとつは表現手段が多様ということがある。油画や彫刻なら、作品は1点(あるいは複数)の油画や彫刻にせざるをえない。しかし、デザイン科の作品は、動画+平面画+説明コピー、フィギュア+写真+説明ボード+音楽など、いろんな手段を使うことができる。そこで作品の説明票に、「インスタレーション 素材:ミックスメディア」というものがわりに多かった。これは強みである。
またデザインは、基本的にはどこかで人の生活と接点をもつことが多い。ピュアアートに比べ、(普通の)見学客に近く理解されやすい、ということがある。さらに文字で「解説文」を付けることも可能である。これも有力な理由である。
たとえば扇原杏佳「涙が出ちゃう オジコちゃんだもん!」は、基本は学園アニメで「バレー・メレンゲ部の1年3組オジコが部活動で先輩にいじめられるという動画だ。これにしても、キャラクターの人形や小道具づくり、背景画描写、ストーリーづくり、動画づくり、音楽(もしかすると作曲・演奏は協力者に依頼していたかもしれない)、タイトルバック制作など、いろんな要素の組合せになっている。
それをさらに発展させ、純粋にアニメ作品をつくった作品もあった。昨年9月の芸祭で、中央棟の映像シアターで映像研究科の作品を観たが、まさに同じ会場でデザイン科の帖佐小雪「ぺらぺら」(4分52秒)、河原祐希「夜のねこ」(2分)などが上映されていた。「夜のねこ」は小熊くらいに巨大化したねことブランコに並んで乗るアニメだった。
その他「等活地獄、黒縄地獄、大叫喚地獄」など八大地獄ごとのグルメ料理を立体の食品サンプルをつくって並べたえんどうあかり「じごくマップ」、粘菌(アメーバ様単細胞生物)ファンのクリエイター・柴田美里が、粘菌が歩いた跡の布を真ん中に、その左右に粘菌をモチーフにした木彫・彩色のギャルを配した作品、など不思議な作品がいくつもあった。
興味があり、受付の方に質問してみた。デザイン科は学部の定員は1学年45人、修士は留学生枠も含めて30人。ただし定員いっぱい取るとは限らないとのこと。ほぼ全員院に進学するのかと思っていたが、なかなか厳しい世界のようだ。
修士は10の研究室のどこかに分属するが、学部学生は卒業制作のみ、どこかの研究室に所属する、お試し期間もあるので4年生の6月ころかららしい。
山田葉「熱化粧」
デザイン科以外では、先端芸術表現科の作品でインパクトの強いものがあった。
山田葉「熱化粧」(アツゲショウ)はボックスの中で、「熱い」化粧をするもので、マジックミラーを通して、外からその様子をみられるようになっている。1日4回の上演でわたしは見ていないが、きっと人だかりができたのではないかと思う。箱に描かれたビジュアルも強烈で、アイディア賞の作品だった。
大野開「生きかへる畫家」は、架空の戦前の画家をモデルにアトリエ、まるで松本竣介「立てる像」のように男性が立つカンバスが正面にある。画家の架空の略歴をつくり掲示したり、柱にかかっている時計も時代もので、ディテールにもこだわった作品だ。歴史への着目という点では、島村凛「見知らぬあなたたちのもの」も同じで、日清戦争に出兵した高祖父(1873-1935)の勲八等瑞宝章と従軍記章を見つけ出し、それをモチーフにおそらくネット通販などで見つけたのだろうが、いくつかの勲章を加えた展示と画像で、暗い部屋だったので余計に不思議な空間をつくり出していた。
中村耕士「Metamorphose」は、3台のエレキギターが並び、モーターを使いランダムにピックで弦を弾きバラバラに音が出る仕組みで、美術というより先端音楽のような作品だった。
電車の行先表示の電光掲示板を使った今枝祐人「外へ向けた内なる言葉」、百崎楓丘の手形が2つついた人間の背中をモチーフにした写真作品「My proud wings」も印象が強かった。先行きが楽しみだ。
なお先端芸術表現科は、デザイン科より少し人数が少なく学部の定員が24人とのこと。
水野渚「Oryza Glass」
グローバルアートプラクティス(GAP)は2016年4月開設された大学院のみの専攻科で、交換留学をしているせいなのだろうが、留学生が約半数を占める。ここでもいくつか気にかかる作品をみた。
水野渚「Oryza Glass」は、稲の籾殻を材料にガラス玉をつくり丸テーブルの上に円形に並べた作品だ。利根川流域の、我孫子市など産地により、色が異なるらしい。床には円形に籾殻を敷き、「土足で上がって可」との注意書きが付いていた。
太田紗世「Wrest」は、一言でいえばガラスビーズで編んだ円形のテーブルクロスだ。だがパネルとビデオ映像で「カラーリット・ヌナート(グリーンランド)で使用される多くのガラスビーズは、日本で生産されてきた。ガラスビーズへの興味を共有するカラーリット・ヌナートの人々と出会った。出会った人物の一人はエリーサで、彼女の人生はカラーリット・ヌナートの近代化過程におけるデンマークの非対称的な力関係によって影響を受けることになった」といった解説が付き、その証拠なのか書籍も並ぶ、ストーリーのある不思議な作品だった。
斉倍琳「Sunset glow in the city」は世界の移動販売の写真7-8枚と、原寸大の(料理名が中国語で表示されていたのでおそらく中国の)タコ焼き販売屋台が展示されていた。これも不思議な作品だった。
工芸科では、外戸口麻衣「永永無窮/Indefinitely」の金ピカの尾長鶏は、息を飲むほど美しかった。鈴木阿弥の背中に入れ墨のある太った男の「おことわり」は、木彫に漆で彩色した作品で、存在感があった。
音楽学部も、1月に修士学位審査試験演奏会を開催しており、わたしはヴァイオリン、ピアノ、オーボエ、ホルン、ファゴットの演奏を聴いた。
寸評だが、ホルン高崎万由さんがすごくうまかった。ファゴットの独奏をはじめてみたが、立って吹いていてバイオリンと同様に体を揺らすので、女性奏者だったこともあり社交ダンスを踊っているようにみえた。特に低音部の迫力があった。
本題から外れるが、ヴァイオリンのピアノ伴奏が、ヴァイオリンのよさを引き出し、盛り上げのリード役を務め、際立っていた。大学院の同僚でそんな人もいるのかと、受付の人に聞くと、嘱託の先生とのことだった。藝大の人は恵まれていると思った。
卒展をみた日は、朝一番9時半すぎに到着するように行き、まず演奏のプログラムをもらって時間を確認し、午前中に美術学部修士の作品を見られるだけ見て、昼は音楽学部の食堂でハンバーグ定食を食べた。小鉢も付いて600円。いつもは音楽学部の女子が多いのだが、この日は修学旅行で来ている男女高校生や、わたしと同じく卒展をみにきた高齢者の姿をたくさん見かけた。
午後は、木管の演奏を聴き、美術の修士の作品を観た後、都立美術館の学部学生の作品を観た。前述のように先端芸術表現科の学生の作品に特に感心した。来年も楽しみだ。
充実した一日だった。
SNSの時代なので、動画など映像作品が多くあった。映画そのものは好きだが時間がかかりそうなので、ほとんどスルーした。来年は動画もいくつかは見る心づもりをして、来るようにしたい。
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