多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

光州マダン劇団シンミョン

2007年08月21日 | 観劇など
新大久保「大使館」で光州マダン劇団シンミョンの「立ち上がる人々」を見た。マダンは「広場」という意味だそうで、観客席は舞台を360度取り囲む平場(一部桟敷席あり)の野外舞踊劇だった。

テーマは1980年5月の光州民衆蜂起で、「空挺部隊」「戒厳軍」「市民軍」「全斗煥」「崔圭夏」といったセリフも出てくるが、それほど政治的メッセージが強いわけではなかった。
構成は、息子の誕生、闘争と希望、虐殺と嘆き、甦りという3場+エピローグのシンプルなもの。

純朴な農民コッチュとコンベパリ。バックに5人の楽士がみえる(ホジョクの人は隠れてみえない)
一番目のマダン●来た、来た、春がきたよ!
農村の若い二人(コッチュとコンベパリ)に子どもが生まれた。難産のすえ生まれた息子は18日生まれなのでイルパルと名付けた。喜びの場が踊り、軽口・掛け合い、歌で表現される。
二番目のマダン●解放光州万歳!
解放光州万歳! いよいよ道庁が市民軍の手に落ちた。3人のおばさん(羅州の人、未亡人、コフンの人)はオ・イルパルら市民軍に大きな海苔巻きを競い合って配る。希望に満ちた市民軍のつかの間のひと時。

息子の死を嘆き悲しむ両親
三番目のマダン●道庁に集まろう!
死体を満載したトラックが走り去るのをみかけ不安になったコッチュとコンベパリは息子を探しに出かける。夜学にも工場にももう10日も顔を出していないという。銃を持った人は道庁にいると聞き行ってみた。そこで目にしたものは・・・。
オ・イルパルら市民軍は戒厳軍に次々に射殺された。夫婦は息子の遺体の前で嗚咽する。

コッチュが炎をかざすと、死者は甦る
エピローグ●甦り
血にまみれた白装束の死者たちはチャンゴを打ち鳴らす。コッチュが踊りながら一人一人に薄紙に点けた炎をかざすと、死者は甦る。
 あらすじには復活などと書いていないので、わたくしの誤解かもしれません)
セリフは朝鮮語だが字幕が観客席2ヵ所で出るし、簡易版の字幕パンフを手渡されるのでだいたいわかる。
観客参加の工夫も盛り込まれている。たとえば2場のおばさん達の自慢合戦では、
「どこから来たか」「白金」「では、列のここからここまで白金から来た人だよ、白金から応援が5000人!」と観客を巻き込む。息子の名前を募集したり、歌や踊りでは手拍子を誘ったり、楽しい舞台だった
役者では、若い娘役から老婆(といっても40台)まで演じたコッチュ役のパク・カンイが、演技だけでなく舞踊も熱演した。
 (ラストシーンは、燃え上がる薄紙をもち退場する(といっても野外なので下手がなくテントに入る)のだが、紙がギリギリまで燃えてしまい、熱くないのかと思った(熱くないわけはないのだが・・・)
わたくしが最も気に入ったのは、じつに楽しそうに演奏していた5人の楽士の音楽だった。わたくしは韓国の楽器ではカヤグムとチャンゴしか知らなかったが、ネットで検索すると、どうやらホジョクという管楽器と四物(サムル)という打楽器らしい。ホジョクは一見金管楽器だが、音色は木管楽器。ちょっと篳篥ひちりきに似ているのでダブル・リードと思われる。サムルはケンガリ、チャンゴ、チンにプクをあわせた四つ。打楽器群の強烈なリズムとホジョクの鮮烈な音色が観客の心と体を揺さぶる。音は「管楽合奏 四物(サムル)と胡笛(ホジョク)のシナウィ」で雰囲気を知ることができる。チャンゴの女性はヴォーカルも担当していたが、これもじつに迫力があった。
異文化との出会いという意味では、かつて芸能山城組を新宿の高層ビルで見たときの印象と似ている。

☆夏休みに高崎宗司「植民地朝鮮の日本人」(2002年6月 岩波新書)を読んだ。日本の朝鮮侵略は軍人のみが行ったのではなく、明治維新直後の日朝修好条規締結(1876年)以降、民間人の移住と表裏一体をなしていたことを論証する本である。初期は高利貸し、地主、あるいは漁民・農民・芸妓として、植民地になってからは警官・教員などの官吏、工業化を進める会社員として移住し、1877年に345人だった日本人は1942年には75万人に激増した。そのなかで戦われた甲午農民戦争(1894年)や3.1独立運動(1919年)では、この劇で描かれたのと同様の悲劇が生まれたことと思う。
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