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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

古賀俊昭都議(日野市選出)の策謀

2009年06月16日 | Weblog
6月11日(木)午後、東京地裁民事36部(渡邊弘裁判長)で増田都子さん(元・千代田区立九段中学教諭)の「分限免職処分取消等請求訴訟」の判決言い渡しがあった。結果は増田さんの敗訴だった。増田さんの抗議声明にあるように、都教委は分限免職だというのに、公務員不適格かどうかの調査や校長への意見聴取すら行わなかった。それなのに判決文は問題にしていない。また公民の授業で配布した資料のなかの、増田教諭がノ・ムヒョン大統領に私信で出した手紙のなかのたった2つの文言を取り上げ戒告処分にし、あげくの果てに半年後には免職にした。他の分限免職事例に比べ「比例原則」に違反するのに、それも取り上げない不当な判決だった。

2009年6月11日東京地裁前 左が増田都子さん
ただ、この判決文には注目すべき一節がある。
都議会議員古賀俊昭は、平成17年7月、都教委指導部義務教育心身障害教育指導課長大江近と面談し、本件資料を示して、原告の授業には問題がある等と指摘し、調査するように依頼した」という事実認定(p6)である。
古賀は1947年10月生まれ、日野市選出の自民党都議である。「本件資料」とは、2005年3月の紙上討論で生徒が書いた意見をワープロ打ちし、増田教諭のノ・ムヒョン大統領への私信を添付した資料のことである。私信に下記の一文があった。
「情けないことではありますが、04年10月26日の我が東京都議会文教委員会において、古賀俊昭という都議会議員(自民党)は言っています。「(我が国の)侵略戦争云々というのは、私は、全く当たらないと思います。じゃ、日本は一体どこを、いつ侵略したのかという、どこを、いつ、どの国を侵略したかということを具体的に一度聞いてみたいというふうに思います。(カッコ内は増田)(文教委員会議事録)などと、国際的には恥を晒すことでしかない歴史認識を得々として嬉々として披露しているのが我が日本国の首都の議会なのです」
この部分に古賀都議が「しめた」と反応したのだった。増田教諭が、授業で3クラスの生徒に資料を配布したのは2005年6月29日(水)~7月6日(木)のことだった。なぜ授業から時間を置かず古賀都議がこの資料を入手できたのか。この当時、増田教諭は「こんな偏向教師を許せるか!(展転社)の著者、古賀都議らに名誉毀損損害賠償を求め、2002年12月に提訴した裁判が進行中だったので、おそらく増田教諭の言動を監視するネットワークを張り巡らせていたのだろう。そして古賀都議のこの行動が、わずか1ヵ月後の都教委の8月30日付け戒告処分に結びついた。判決「当裁判所の判断」p28には「本件戒告処分の理由となった本件資料の都教委への発覚の経緯に都議会議員が関与していた事実」とある。

弁護士会館で開催された報告集会。右は和久田修弁護士
そもそも古賀都議どのような経緯で都議会文教委員会で、この発言をしたのだろうか。この発言は、2004年10月26日(10.23通達のちょうど1年後であることに注意)福士敬子都議(自治市民'93 杉並選出)が都教委の国旗・国歌強制問題に関し
「日本で日の丸の旗を振りながら兵隊を送り出したことも含めて、事実も含めて、私はちゃんとやっていただきたいと思いますね。片一方のそっちの方の話はなるべくないがしろにして、侵略戦争のことを教えると、けしからぬといわれたりする教師もいたりするような状況の中で、起立を強制させられるというのは、私は問題じゃないかと思います。」という、まさに増田教諭のような憲法・教育基本法に沿った平和教育を実践する教師に言及する質問のなかの「侵略戦争」という言葉に反応した発言だった。
古賀都議はこう切り出した。
「国旗については、先ほど侵略戦争に使われたとか、兵士を送り出したとか、昔からそういうことをまだいっている人がいるんですけれども、世界の国旗の歴史というものを私は謙虚に学んでもらいたいと思うんですね。日本の国旗は、ご存じのように、朝日が昇る様子を、太陽をあらわしているというふうに思うんですね。」
そして問題の発言「日本の国旗というもの、今までいろいろ議論が尽くされてきていますので、嫌いな人はどうしようもないので、私はいいと思うんですけれども、
侵略戦争云々というのは、私は全く当たらないと思います。じゃ、日本は一体どこを、いつ侵略したのかという、どこを、いつ、どの国を侵略したかということを具体的に一度聞いてみたいというふうに思います。
 これからもちゃんと日本の国旗のすばらしさ、それから、国際的な儀礼の場で、間違いなく国際人として恥ずかしくないような対応ができるような最低の儀礼は、学校で身につけさせるというのは当たり前ですね」
と述べた。
さらに「教員の職務命令がございますね。職務命令で、学校の教師に対して校長が国歌斉唱時には起立をするようにという校長の考え方を示し、なおかつ協力してくれない人には、情けない話ですけれども、職務命令を出す。そのときにそれが生徒の内心を侵しているというのが、よくいろいろ書かれるわけですよ。先生が処分されるとかわいそうだから、嫌だけど立つなんて、よく新聞に書いてあります。委員長の党派の新聞。
 私は、内心の自由というのは、その人の心の中まで考え方を変えろとか、それを捨てろとかいうことは、確かに内心の自由の問題は出てくると思いますけれども、国際的な儀礼、あるいはまた国歌に対する正しい知識というものをきちんと身につけさせるというのは、教育の責任だというふうに思いますし、そういうご答弁がさっきからありますので、生徒の内心の自由とそれから教員の職務命令というのは、同次元で論じるのは間違いだというふうに思うんです。どうでしょうか。都教委の考え方をはっきり示しておいてください」
と続けた。
都教委・近藤精一指導部長から「この春行われました都立学校の卒業式、入学式においては、昨年十月の通達に基づいて適正に実施されまして、大幅な改善が図られたところでございます。しかしながら、一部の教員が生徒に不起立を促す発言をするなど、不適切な指導を行った学校があったことから、校長連絡会等におきまして、新たに学習指導要領に基づき、適正に児童生徒を指導することを盛り込んだ個別的職務命令を発するよう指導したところでございます。このことは、児童生徒に対して国旗・国歌に対する正しい認識を持たせ、それらを尊重する態度を育てるために行っているものでございまして、児童生徒の内心の自由を侵すものではないと考えております」
という答弁を引き出し「納得のできる答弁でした」と満足げに述べて質問を終えた。
古賀都議は、後援会「帚の會(はうきのかい)」会報第98号(この都議会発言の直前2004年8月15日付)の題字の下に「祝祭日には国民の誇り 国旗『日の丸』を掲げませう」とわざわざ旧かなづかいを使ったイラスト入りの主張を掲げ、トップ記事に、2004年第2回都議会定例会(6/1~6/16)で、神武天皇が即位した光景を描いた「橿原の図 若き武人」(紀元2600年を記念し神武天皇を祀る橿原神宮に奉納したもの)を掲げて質問する自分の写真を掲載している。「皇国史観」に立つ都議なのである。
「日本は侵略などしなかった」ということを意味するこの発言は、古賀議員の信条であることは間違いない。それを「恥を晒すことでしかない歴史認識」とか「歴史偽造主義者」と批判されたので、なんとか増田さんのクビを取ろうと、都教委指導部義務教育心身障害教育指導課長、総務部総務課長、人事部職員課長(中央官庁でいえば官房三課長)の3人を呼びつけたのだろう(08年9月8日の証人尋問での大江の証言)

弁護士会館で開催された報告集会。右は和久田修弁護士
一方、古賀都議は選挙ではめっぽう強い。日本新党公認で1993年東京都議会議員に初当選、96年に衆議院選に出馬し落選したものの、97年の都議選では共産党がトップ(定数2)で古賀は14,274票の2位で当選、2001年は27,381票、05年は23,895票で圧勝し現在4期目である。
なぜ日野市民は、こんな議員を何度も当選させたのだろうか
古賀は、日本会議地方議員連盟正会員であることはもちろん、06年に「新しい歴史教科書をつくる会」から分派した日本教育再生機構に発起人として参加している。
日野市程久保の七生養護学校「こころとからだの学習裁判」では、古賀都議らは今年3月12日、東京地裁(矢尾渉裁判長)から合計210万円の損害賠償の支払いを命じられた。
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