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地震の非常持出袋には、入れ歯と補聴器を!

2009年09月11日 | Weblog
いまから5年前の2004年10月23日(土)夕刻17時56分、震度7の新潟県中越地震が発生し、小千谷市は死者17人、全壊622戸と大きな被害を受けた。渋谷区防災講演会で、NPO法人防災サポートおぢや・関広一さんが、この震災から学んだ教訓を語った。
関さんは、7期28年市議会議員を務め、議長を経て、98年11月30日から2006年11月28日まで市長を務めた。2期目の後半にさしかかったとき遭遇したのがこの震災だった。
もちろん、都市部と山間部、大都市か小都市かでも、状況はずいぶん異なる。しかし「想像もできないことが起こる」「地震は必ず起こると思って準備したほうがよい」という当事者の言葉には説得力があった。

写真は、2009年9月1日の渋谷区総合防災訓練
1 地震発生時に何が起きるか
一瞬なにが起きたのかわからなかった。回りの山が動き、そして山が崩れたように思えた。電気・ガス・水道・電話などのライフラインは一瞬にして切断した。
そして回りでは想像もつかないことが起きていた。山が崩れて、土砂が川を埋め、行き場のない水は民家を川にし、市道に流木があふれた。よく震災時の連絡手段としてメールが有効といわれるが、ある村ではドコモのアンテナが谷底に転落し情報は完全に途絶し、孤立することになった。またトイレはいざとなれば、下水のマンホールで代用できるといわれる。しかし小千谷では道路から上に1mも飛び出し使い物にならなかった。
こういう常識を超えることが起きるのが大災害なのである。市内で無被害の住宅はわずか7戸、つまりほぼ市民全員が被災した。
今年7月に東京・丸の内で1枚のガラスが落下しただけで長時間通行止めになった。これが地震で多くのビルからガラスが飛散したならどうなるのか。ケガももちろんだが、その後、大きな道路は歩けなくなるかもしれない

2 市民はどんな行動をしたか
地震が起きた瞬間、多くの人は外に飛び出すが、机の下に隠れる人もいる。どちらが安全かは、じつはその建物の状況によるのでなんともいえない。ある集落で小学生が3人亡くなった。1人は、本当にあと1秒というところで、倒壊した家屋の下敷きになってしまった。
そこで言えるのは耐震補強をすることだ。おカネの問題は確かにあるが、命にかかわる問題だ。少なくとも1部屋だけは安全な部屋にしておくことが必要だ。
小千谷は人口4万人で指定避難所が64ヵ所あった。それ以外に保育園、集会所など72ヵ所が住民の自主的な避難所として運営された。「自主的」というのは、水や食料は市が運ぶが、職員はいないという意味である。農村部では大きいハウスが避難所になった。余震が来ても倒壊の恐れがなく、あとで考えるとよい避難所だった。
毛布や食料は行政が提供する。しかし用意するのは3日分程度である。避難した住民がもっとも困ったのはいったいなんだと思われるだろう? じつは、メガネや補聴器だった。メガネを忘れると掲示物が読めない。補聴器がなければ指示が聞こえない。また入れ歯を忘れた人は、非常食のカンパンが固くてかめなかった。この種のものは代用できないことが多いので、忘れず最優先で避難袋に入れるべき物品である。
避難も3日を越えると徐々に不満が出始める。一番の問題はトイレだ。
仮設トイレは968台設置したが、それでも足りなかった。トイレはすぐ詰まるので、純粋の糞尿と、紙その他を分けるようにした。すると詰まりが少なくなり、また汲み取り業者の作業がはかどるようになった。水洗の場合は自分が一回に1リットル使うなら、プールや川などどこで調達してもよいので、必ず同量の水を持参してもらうようにした。人間は食べなくても、寒くても少々のことならガマンできる。災害で餓死した人はいない。しかしトイレはそうはいかない。老人は、寒くて体育館外のトイレに行けず、ガマンして体調を崩す。館内にポータブルトイレを置くかどうかが、命の分かれ目になる。

3 行政は何をしたか
消防職員は2人を除き全員が当日集まった。来たくても物理的に来れない職員もいる。その人は孤立した集落で指揮を取っていたのだが、あとで考えるとそのほうがよかった。
地域の実情に応じて、やれることをやるべきである。
考えてみると、1人の職員が庁舎にいるのは1週間で40時間に過ぎない。だから全員集まるのはムリなのだ。対策本部の各部長には自分で判断してよい、ただし、まず住民の命、財産を守ることを優先して行動するという基準を提示した。
また職員は、市民がやれない仕事を優先して行うべきである。たとえば県や自衛隊への災害派遣の要請は代表的なものだ。その他、被害状況の把握、食料の用意、マスコミへの対応、救援物資の受け入れなどがある。いま職員数は削減され、通常業務をこなすだけでもたいへんなので、物理的にムリな面がある。新潟県中越地震のとき、市長も部課長も三日三晩一睡も取らなかった。それではまずいので、2人ずつ2時間ベンチに毛布を敷いて、強制的に仮眠を取らせることにした。
また時間がたつにつれ苦情や要望が増えてくるが、それを聞くという仕事もある。
激務を支えたのは「自分が公務員だ」という使命感だった。自宅が被災しているというのに、これで解散というときに消防団員から「超過勤務手当てを辞退する」というありがたい申し出があった。こうなると一般職員も「超過勤務手当は半額」といわざるをえなかった。
地震が発生すると、一瞬にして消防への救急要請が集中する。したがってまず家族を救出する自助、それが終わったら近所の人を助ける共助が大切だ。
東京都渋谷区は、1996年という全国でも早い時期に「渋谷区震災対策総合条例」を制定した。区長の責務、区民の責務、事業所の責務がそれぞれ定められている。
こういう条例を制定すると革新政党から「当然行政がするべき仕事を、市民に押し付ける」と批判されることがある。しかし、これは理屈ではない。消防の人も必死に働いている。でも間に合わない、これが地震の現実だ
渋谷区では帰宅困難者が23万人、渋谷駅周辺だけでも10万人発生するといわれる。23万人もの人が外にいれば暴徒と化することもある。わたくしは東京出張の際、災害時帰宅マップを携帯している。しかし本当に地震が起これば、大きな道は危険なガラスの道になりかねない。帰宅困難者にとっていちばんわかりやすいのは電車のレール道だ。最大600万人を都市内にとどめたまま交通復旧はできるのだろうか。1―2日交通機関を止めて人を帰してはどうだろうか。
震災に対して、マニュアルを基本としながら、自分はこの状況ならどうするかと知恵を出し、応用してほしい。「人がやってくれる」では立ち行かない。
たとえば市道が崩落しているので何とかしてほしいとの要請があったが「優先順位がある」との答えが返ってきたとする。小千谷では住民がみんなでブルーシートを出し、行政からU字溝など原材料を受け取ると、自分たちで修復してしまった。行政はけして逃げない。しかし物理的にすべての要望にこたえることができないことを理解してほしい。
地震は「来るかもしれない」ではなく、「来る」ことを前提に考えてほしい。

☆避難所にはいろんな人が集まる。挙動不審の人物がいて、調べると指名手配中の犯人だったとか、地震が起こるとまず全国から集まるのが古物商、理由は倒壊した蔵のなかのものが目当てだったというバルザックの「人間喜劇」のような話もあった。ただし、古物商はカネを払って目当てのものを引き取ってくれるので重宝したそうだ。
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