沖縄では、昨年10月米兵の集団強姦致傷事件が起こり、夜間外出禁止令が出てから後も、住居侵入して男子中学生をなぐったり年末にも住居侵入事件が起こった。しかしこれは最近始まったことではない。
アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)で第10回特別展『軍隊は女性を守らない――沖縄の日本軍慰安所と米軍の性暴力』が開催中である。じつは昨年7月オープニング・シンポジウムを聞き、その記事は掲載した。末尾に「肝心の特別展については、来年6月までに別稿で紹介したい」と書きながら、6か月以上たってまだ果たせていなかった。そこでレポートする。
wamは早稲田奉仕園の敷地のAVACOビル2階にある。今年でオープン9年目の施設だ。特別展のコーナーのほか、資料閲覧コーナーやオープンスペースもあるので、本当に小さなスペースの展示だ。しかし内容はたいへん充実していた。
アバコビル。この2階にwamがある
特別展はいくつかのブロックに分かれている。沖縄の歴史のブロックは、14世紀の北山、中山、南山の三山時代に始まり、17世紀の薩摩藩の侵攻、1853年アメリカのペリーが来航(その際女性の強姦事件が起こった=ボード事件)。明治維新後、1879年には沖縄県の設置(琉球処分)、若い男女のモウ遊びの禁止、45年3月の米軍上陸、鉄血勤皇隊、ひめゆり学徒隊、住民の集団自決、と苦難の歴史が紹介される。
沖縄の日本軍慰安所は現在判明しているだけで130か所以上に及ぶ。嘉手納町、北谷(ちゃたん)町、読谷(よみたん)村、今帰仁(なきじん)村、糸満など本島だけでなく、座間味島、渡嘉敷島、石垣島、宮古島、小浜島、西表島、南大東島などの離島にも及ぶ。ただ沖縄ならどこでもというわけではない。日本軍がいたところだけだ。軍隊と「慰安所」の関係は密接だ。
いまから40年近く前に座間味島に行った。まだ慶良間のダイビングが有名になる前の時代だった。那覇から村営船で2-3時間かかったと思う。それも毎日出ているわけではなく2日に1便くらいなので、天候が悪くて欠航するともう2日くらい宿泊を延ばさないといけなかった。ヤギの多い、平和で小さい島だと思っていた。3月だったがコーラルリーフの浜で泳いだ。しかしこの島にも軍隊が駐留し、「慰安所」があったことを知った。300隻の特攻艇の出撃基地として軍隊が駐留したからだ。14,15歳から30歳の朝鮮人慰安婦が7人いた。1945年3月26日米軍が一番初めに上陸したのが座間味で、200人を超える住民の集団自決もこの島で発生した。
慰安所マップ
「慰安婦」というとまず朝鮮人が思い浮かぶ。しかし沖縄の人も含まれていた。たとえば1944年10月10日の空襲で焼失した辻遊郭の女性たちは慰安婦にされた。また少数だが、福岡・長崎など九州出身の「慰安婦」もいた。
沈黙の声
特別展のハイライトは「沈黙の声」のコーナーである。米兵に強姦された女性たちの証言が並ぶ。
「1946年1月6日芋ほりをしていたとき、米兵2人に輪姦されました。29歳でした 石川市」に始まり「2010年8月4日 家に帰ってドアを開けた瞬間、米兵が入ってきて襲い掛かってきたのでびっくりして大声を出して騒ぎました。近所の人が通報してくれて強姦未遂で現行犯逮捕されました。岩国基地所属の米兵でレンタカーで女性を物色していたそうです。 那覇市」まで65年間約300人の女性の恨みの声が年月、場所を記して貼りだされていた。しかしこれは氷山のほんの一角に過ぎず、被害女性はもっともっと多いそうだ。
1955年9月には6歳の少女が強姦され遺体がゴミ捨て場で発見された事件もあった。由美子ちゃん事件である。手には草が握りしめられていた。
住所:東京都新宿区西早稲田2-3-18 AVACOビル2F
電話:03-3202-4633
開館日:水曜日~日曜日
開館時間:13時~18時
入館料:18歳以上 500円
18歳未満 300円
小学生以下 無料
アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)で第10回特別展『軍隊は女性を守らない――沖縄の日本軍慰安所と米軍の性暴力』が開催中である。じつは昨年7月オープニング・シンポジウムを聞き、その記事は掲載した。末尾に「肝心の特別展については、来年6月までに別稿で紹介したい」と書きながら、6か月以上たってまだ果たせていなかった。そこでレポートする。
wamは早稲田奉仕園の敷地のAVACOビル2階にある。今年でオープン9年目の施設だ。特別展のコーナーのほか、資料閲覧コーナーやオープンスペースもあるので、本当に小さなスペースの展示だ。しかし内容はたいへん充実していた。
アバコビル。この2階にwamがある
特別展はいくつかのブロックに分かれている。沖縄の歴史のブロックは、14世紀の北山、中山、南山の三山時代に始まり、17世紀の薩摩藩の侵攻、1853年アメリカのペリーが来航(その際女性の強姦事件が起こった=ボード事件)。明治維新後、1879年には沖縄県の設置(琉球処分)、若い男女のモウ遊びの禁止、45年3月の米軍上陸、鉄血勤皇隊、ひめゆり学徒隊、住民の集団自決、と苦難の歴史が紹介される。
沖縄の日本軍慰安所は現在判明しているだけで130か所以上に及ぶ。嘉手納町、北谷(ちゃたん)町、読谷(よみたん)村、今帰仁(なきじん)村、糸満など本島だけでなく、座間味島、渡嘉敷島、石垣島、宮古島、小浜島、西表島、南大東島などの離島にも及ぶ。ただ沖縄ならどこでもというわけではない。日本軍がいたところだけだ。軍隊と「慰安所」の関係は密接だ。
いまから40年近く前に座間味島に行った。まだ慶良間のダイビングが有名になる前の時代だった。那覇から村営船で2-3時間かかったと思う。それも毎日出ているわけではなく2日に1便くらいなので、天候が悪くて欠航するともう2日くらい宿泊を延ばさないといけなかった。ヤギの多い、平和で小さい島だと思っていた。3月だったがコーラルリーフの浜で泳いだ。しかしこの島にも軍隊が駐留し、「慰安所」があったことを知った。300隻の特攻艇の出撃基地として軍隊が駐留したからだ。14,15歳から30歳の朝鮮人慰安婦が7人いた。1945年3月26日米軍が一番初めに上陸したのが座間味で、200人を超える住民の集団自決もこの島で発生した。
慰安所マップ
「慰安婦」というとまず朝鮮人が思い浮かぶ。しかし沖縄の人も含まれていた。たとえば1944年10月10日の空襲で焼失した辻遊郭の女性たちは慰安婦にされた。また少数だが、福岡・長崎など九州出身の「慰安婦」もいた。
沈黙の声
特別展のハイライトは「沈黙の声」のコーナーである。米兵に強姦された女性たちの証言が並ぶ。
「1946年1月6日芋ほりをしていたとき、米兵2人に輪姦されました。29歳でした 石川市」に始まり「2010年8月4日 家に帰ってドアを開けた瞬間、米兵が入ってきて襲い掛かってきたのでびっくりして大声を出して騒ぎました。近所の人が通報してくれて強姦未遂で現行犯逮捕されました。岩国基地所属の米兵でレンタカーで女性を物色していたそうです。 那覇市」まで65年間約300人の女性の恨みの声が年月、場所を記して貼りだされていた。しかしこれは氷山のほんの一角に過ぎず、被害女性はもっともっと多いそうだ。
1955年9月には6歳の少女が強姦され遺体がゴミ捨て場で発見された事件もあった。由美子ちゃん事件である。手には草が握りしめられていた。
住所:東京都新宿区西早稲田2-3-18 AVACOビル2F
電話:03-3202-4633
開館日:水曜日~日曜日
開館時間:13時~18時
入館料:18歳以上 500円
18歳未満 300円
小学生以下 無料