今年は宝塚歌劇団の創立100周年ということで、初めて「タカラヅカ」を東京宝塚劇場で観た。観客は9割がた女性で、10代から80代まであらゆる年代がそろっていたが、中心は50代、60代のようだった。100周年記念看板やポスターの前で記念写真を撮っている人が多数いた。女性たちのウキウキした気分が伝わってくる。
館内に入ると、座席数は1階が1229、2階が840、合計2069席の広さだ。
わたくしは2階Aの最後尾だった。宝塚は即日完売と聞いていたので、一般売り出し初日にチャレンジしたが、パソコンがずっとつながらず、午後になってつながったときにはこの席と隣の2-3席しか空いていなかった。

場内に入ると、楽器の音がする。オーケストラボックスがあるのはオペラなどと同じだ。ただ少しスペースが狭い。トランペット、オーボエ、クラリネットなどはオペラと同じだが、ここではサックスやドラムセットの音もするので雰囲気はずいぶん違う。

この日のプログラムは豪華3本立だった。
まず「宝塚をどり」。
宝塚はラインダンスが名物で、とくに新人公演が見ものだと聞いていた。てっきりタイトルからこの「宝塚をどり」のことだと思った。それが、この日の公演のチケットを買った理由だったが、それは違った。「よーいやさ」の掛け声で始まり、着物姿の和物の作品だった。100期生39人の口上というものがあった。(日替わりで、この日は糸月雪羽と蘭尚樹)
天女降臨、三番叟など6場からなる。ただストーリーがさっぱりわからずその点ではいまひとつ楽しめなかった。しかし薄赤やうす青の着物で扇をひらひらさせる姿は、龍宮城のタイやヒラメの舞や天女の舞とはこんなものだったのだろうかと思えてきれいだった。振り返ると、宝塚の第1回舞台は「どんぶらこ」という桃太郎をテーマにした演目だったので、宝塚は昔話に縁があるのかもしれない。
なお静かな曲、いかにも日舞らしい曲より、よさこいソーランのような激しい踊りのほうが似合っているように思えた。ただ、白頭の獅子と赤頭の獅子が毛を振り乱して舞う連獅子もあったが、男性に比べると力が弱いので、迫力はもうひとつだった。
次は「明日への指針」。タイタニック号沈没から22年後のお話。沈没時に子どもだった男女が偶然ニューヨーク行きの貨客船センチュリー号で出会って・・・という話。だいたいのストーリーはわかったが場面の転換が早くてちょっとついていけないところがあった。宝塚の場合、主役はどの演目でもスターと決まっている。月組のスターは、男役・龍真咲、娘役・愛希(まなき)れいか、2人とも就任は2012年4月23日なので約2年である。愛希は元・男役で2011年に転向した。2人はほとんど出ずっぱりで歌い踊るのだから相当な体力がいりそうだ。

TAKARAZUKA 花詩集100!!
宝塚歌劇は今年で100周年だが、東京宝塚はオープンしてから今年で80年だそうだ。1934(昭和9)年1月オープンのときの出し物がやはり「花詩集」、演じたのも月組だった。この出し物は、マーガレット、赤いケシ、青い蘭、スミレ、100本のバラ、黒バラ、銀の花など24場からなる。
ラインダンス、背中の巨大な羽根、ひらひらした羽根扇、キラキラ光るラメ入りの衣装、頭と尻に大きな赤いバラを付けた娘役の衣装やまるでセーラームーンのタキシード仮面のような男役のファッション、ハデな電飾、オーケストラボックスと観客席の間の銀橋での歌唱、大階段をライトを浴びながら一歩一歩下りるスターの姿、「春すみれ咲き春を告げる」で始まる「すみれの花咲く頃」の大合唱、桜吹雪など、いわゆる宝塚的要素のすべてがみられた。これらはじつは1930年ごろすべて演出家・白井鐵三が欧米から持ち帰ったものだそうだ(川崎賢子「宝塚というユートピア」岩波新書)。

歌舞伎や文楽、日舞と同じようにいろいろと「型」があるようだ。もちろん1回みただけでは見当がつかない。少しわかると面白くなるのだろう。
ところどころ観客の手拍子が入るが、わたくしはそこまで入り込んで感動することはできず一人浮いてしまった。
わたしでもわかることとしては、合唱の声が太くしっかりしていてなかなかのものだったことだ。
わたくしは2階席後方からずっと下を見下ろしていたので迫力はもうひとつだった。たとえばラインダンスを上から見下ろすと、意外にも足が太くみえた。次回みるなら、金額は1.6倍になるが、1階席の中ほどより前で役者の表情や衣装をよくみたいものだ。
観客の9割は女性と書いたが、逆にいうと1割は男性だ。だからそれほど恥ずかしくはなかった。
東京宝塚劇場の支配人・小川甲子さん(芸名 甲にしき、故・萬屋錦之介の妻)が出口でていねいに見送りのあいさつをされていた。支配人に就任したのは東京宝塚が新築された2001年1月なのでもう13年を超える。たいしたものである。

☆帰りに日比谷図書文化館で、特別展「日比谷に咲いたタカラヅカの華」をみた。東京宝塚劇場開場80周年の記念展示である。
主として1934年の東京宝塚劇場開場以降の歴史だが、それより前の1918年から帝国劇場、市村座、歌舞伎座年などで2-3回東京公演は実施されていた。戦後の1945年12月から進駐軍にアーニーパイルとして9年間接収され、55年に再開した。そのあいだは日本劇場などで公演した。
戦後の歴史をみると、乙羽信子、淡島千景、越路吹雪、有馬稲子、新珠三千代、寿美花代、淀かほる、最近では黒木瞳、檀れいどを続々と輩出し、戦後のテレビ、映画界にずいぶん宝塚が貢献していることがよくわかった。
97年12月の「ザッツ・レビュー」と2001年1月の「愛のソナタ」の衣装が展示されていた。これだけが撮影可能だった。

館内に入ると、座席数は1階が1229、2階が840、合計2069席の広さだ。
わたくしは2階Aの最後尾だった。宝塚は即日完売と聞いていたので、一般売り出し初日にチャレンジしたが、パソコンがずっとつながらず、午後になってつながったときにはこの席と隣の2-3席しか空いていなかった。

場内に入ると、楽器の音がする。オーケストラボックスがあるのはオペラなどと同じだ。ただ少しスペースが狭い。トランペット、オーボエ、クラリネットなどはオペラと同じだが、ここではサックスやドラムセットの音もするので雰囲気はずいぶん違う。

この日のプログラムは豪華3本立だった。
まず「宝塚をどり」。
宝塚はラインダンスが名物で、とくに新人公演が見ものだと聞いていた。てっきりタイトルからこの「宝塚をどり」のことだと思った。それが、この日の公演のチケットを買った理由だったが、それは違った。「よーいやさ」の掛け声で始まり、着物姿の和物の作品だった。100期生39人の口上というものがあった。(日替わりで、この日は糸月雪羽と蘭尚樹)
天女降臨、三番叟など6場からなる。ただストーリーがさっぱりわからずその点ではいまひとつ楽しめなかった。しかし薄赤やうす青の着物で扇をひらひらさせる姿は、龍宮城のタイやヒラメの舞や天女の舞とはこんなものだったのだろうかと思えてきれいだった。振り返ると、宝塚の第1回舞台は「どんぶらこ」という桃太郎をテーマにした演目だったので、宝塚は昔話に縁があるのかもしれない。
なお静かな曲、いかにも日舞らしい曲より、よさこいソーランのような激しい踊りのほうが似合っているように思えた。ただ、白頭の獅子と赤頭の獅子が毛を振り乱して舞う連獅子もあったが、男性に比べると力が弱いので、迫力はもうひとつだった。
次は「明日への指針」。タイタニック号沈没から22年後のお話。沈没時に子どもだった男女が偶然ニューヨーク行きの貨客船センチュリー号で出会って・・・という話。だいたいのストーリーはわかったが場面の転換が早くてちょっとついていけないところがあった。宝塚の場合、主役はどの演目でもスターと決まっている。月組のスターは、男役・龍真咲、娘役・愛希(まなき)れいか、2人とも就任は2012年4月23日なので約2年である。愛希は元・男役で2011年に転向した。2人はほとんど出ずっぱりで歌い踊るのだから相当な体力がいりそうだ。

TAKARAZUKA 花詩集100!!
宝塚歌劇は今年で100周年だが、東京宝塚はオープンしてから今年で80年だそうだ。1934(昭和9)年1月オープンのときの出し物がやはり「花詩集」、演じたのも月組だった。この出し物は、マーガレット、赤いケシ、青い蘭、スミレ、100本のバラ、黒バラ、銀の花など24場からなる。
ラインダンス、背中の巨大な羽根、ひらひらした羽根扇、キラキラ光るラメ入りの衣装、頭と尻に大きな赤いバラを付けた娘役の衣装やまるでセーラームーンのタキシード仮面のような男役のファッション、ハデな電飾、オーケストラボックスと観客席の間の銀橋での歌唱、大階段をライトを浴びながら一歩一歩下りるスターの姿、「春すみれ咲き春を告げる」で始まる「すみれの花咲く頃」の大合唱、桜吹雪など、いわゆる宝塚的要素のすべてがみられた。これらはじつは1930年ごろすべて演出家・白井鐵三が欧米から持ち帰ったものだそうだ(川崎賢子「宝塚というユートピア」岩波新書)。

歌舞伎や文楽、日舞と同じようにいろいろと「型」があるようだ。もちろん1回みただけでは見当がつかない。少しわかると面白くなるのだろう。
ところどころ観客の手拍子が入るが、わたくしはそこまで入り込んで感動することはできず一人浮いてしまった。
わたしでもわかることとしては、合唱の声が太くしっかりしていてなかなかのものだったことだ。
わたくしは2階席後方からずっと下を見下ろしていたので迫力はもうひとつだった。たとえばラインダンスを上から見下ろすと、意外にも足が太くみえた。次回みるなら、金額は1.6倍になるが、1階席の中ほどより前で役者の表情や衣装をよくみたいものだ。
観客の9割は女性と書いたが、逆にいうと1割は男性だ。だからそれほど恥ずかしくはなかった。
東京宝塚劇場の支配人・小川甲子さん(芸名 甲にしき、故・萬屋錦之介の妻)が出口でていねいに見送りのあいさつをされていた。支配人に就任したのは東京宝塚が新築された2001年1月なのでもう13年を超える。たいしたものである。

☆帰りに日比谷図書文化館で、特別展「日比谷に咲いたタカラヅカの華」をみた。東京宝塚劇場開場80周年の記念展示である。
主として1934年の東京宝塚劇場開場以降の歴史だが、それより前の1918年から帝国劇場、市村座、歌舞伎座年などで2-3回東京公演は実施されていた。戦後の1945年12月から進駐軍にアーニーパイルとして9年間接収され、55年に再開した。そのあいだは日本劇場などで公演した。
戦後の歴史をみると、乙羽信子、淡島千景、越路吹雪、有馬稲子、新珠三千代、寿美花代、淀かほる、最近では黒木瞳、檀れいどを続々と輩出し、戦後のテレビ、映画界にずいぶん宝塚が貢献していることがよくわかった。
97年12月の「ザッツ・レビュー」と2001年1月の「愛のソナタ」の衣装が展示されていた。これだけが撮影可能だった。
