多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

クラウディアの祈り

2009年09月22日 | 観劇など
紀伊國屋ホールで東京芸術座の「クラウディアの祈り」(原作:村尾靖子、作:いずみ凜、演出:杉本孝司)をみた。

ストーリーは次のとおり。
敗戦後1年たった1946年7月のピョンヤン、ハチヤヤサブロウは妻ヒサコと幼子とともに帰国を待ちわびていた。しかし突然ソ連軍にスパイ容疑で検挙されシベリアへ抑留される。知人の日本人から無実の罪を着せられたのだった。刑期を終えても帰国は許されず、周囲から監視の目が光る。そんななかヤサブロウは「休息の家」で偶然ひとりの女性と出会う。やはり無実の横領の罪で10年間投獄された経験をもつクラウディアだった。二人は互いを思いやりながら生活をともにする。
その後ソ連が崩壊し、鳥取の実家で妻や娘がヤサブロウを待っていることを知る。ヤサブロウは、ときどき森の中で日本の歌を歌い心を紛らわせるほど望郷の思いが強かったが、クラウディアを気遣いロシアで暮らすつもりだと手紙に書く。しかしクラウディアは日本へヤサブロウを返すことを心に決めた。
「37年間、私は十分、あなたと幸せな時間を一緒に過ごせました。この後のあなたの時間は、50年一人であなたを待ち続けたヒサコさんにあげてください。私は他人の不幸の上に私だけの幸せを築くことはできません」

戦争による悲劇、さらに狭くいえばソ連の「収容所列島」体制による悲劇がテーマである。実話をもとにしているだけに、訴える力が強い。
抒情と闘争」(辻井喬 中央公論新社 2009.5)に、辻井喬(堤清二)が70年代後半に文化省の役人から聞いたソ連で役人が地位を維持する方法を紹介している。「第一は、命令を受けてもすぐ仕事に取りかからないこと。それは指示命令がしばしば変わるからだ。上司は命令の矛盾の責任を決して取らない」「第二は、大丈夫だと見定めて取りかかっても、決しててきぱきやり過ぎないこと。やり過ぎると、前任者がサボっていたことが明らかになる。我が国では事実はどうあれ、密告されたら一巻の終わりだ」「第三の失敗しない秘訣は、自分の思想をもたないこと。自分の思想を持つと腹の立つことがあまりにも多い、そうすると人とぶつかる」というものである。密告されれば一巻の終わりというところがソビエトの体制を象徴している。
わたしは、井上ひさし、野田秀樹などシナリオで芝居をみるほうなので、こういうまじめで深刻なストーリーは苦手なほうだ。しかし、きちんとした劇団なので、演出、照明、大道具、演技がしっかりしていて観劇後充実感があった。
クラウディア役のイリーナ・オークネワはロシア国立オムスク・ドラマ劇場に所属するロシア人女優である。淡々とした演技で、かえって喜びや悲しみが伝わってきた。セリフはロシア語なので舞台下手の上のほうに字幕が出る。一方、ヒサコ役芝田陽子も存在感を感じさせる演技だった。

東京芸術座は、村山知義の第二次新協劇団と薄田研二の劇団中央芸術劇場とが1959年2月4日に合同して結成された。つまり今年は50周年の年に当たる。第1回公演は村山の「終末の刻」(59年4月)だった。「クラウディアの祈り」は創立50周年記念公演第一弾である。
紀伊國屋ホールは1964年にオープンしたのですでに45年の古い小屋だ。わたくしがはじめてこのホールに来たのは70年代後半のことだ。あまり商業演劇ホールがないころだったのでとても立派なホールに思えた。418席というと新国立劇場小ホールと同じ規模だが、紀伊国屋のほうがずっと観やすく感動できる。最近は紀伊國屋サザンシアターのことが多いが、こまつ座の芝居を多くみた。
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