多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

追悼 中村紘子さん

2016年09月02日 | 博物館など
中村紘子さんが7月26日に72歳で亡くなったことが7月28日に報じられた。お別れの会ジャパン・アーツ主催で9月12日にサントリーホールで行われるという。
わたくしが中村さんの演奏をコンサートで聞いたのはただ1回、40年くらい前、立川のホールでのことだ。おそらくショパンの曲も何曲かあったと思うが、メインはムソルグスキーの「展覧会の絵」だった。とても骨太の音で迫力のある演奏だった。それを機会に日本人の演奏家のなかでは一番好きなピアニストになった。

東京新聞7月28日朝刊29面
8月21日「題名のない音楽会」(テレビ朝日)の追悼番組「中村紘子の音楽会」を見た。。愛犬ウルと共演?した「子犬のワルツ」(2004年)、「展覧会の絵」より第5曲「卵の殻をつけた雛のバレエ」(1974年 まさにわたくしが演奏会を聞いたころだ)、チャイコフスキーのピアノ協奏曲1番(89年)、最後にベートーヴェンのピアノ協奏曲「皇帝」(2007年)、これは圧倒的な表現力を示す名演だった。
最後に「上手い人は山ほどいる。大切なのは聴き手になにを伝えるか」という言葉がテロップで流れた。
番組では、演奏家としての側面のほかに、チャイコフスキー・コンクールなど審査員の側面、 牛田智大チョ・ソンジンを輩出した浜松国際ピアノアカデミーなどピアニスト育成の側面、「ピアニストという蛮族がいる」(文芸春秋 1992)、「アルゼンチンまでもぐりたい」(文芸春秋 1994)などの文筆家の側面なども紹介された。1989年には「チャイコフスキー・コンクール」(中央公論社 1988)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したほどだ。     
中村さんとコンクールに関しては、ご自身が10歳で全日本学生音楽コンクールピアノ部門小学生の部で全国第1位、14歳で中学生の部で全国第1位、15歳で日本音楽コンクール第1位特賞、そして21歳でショパン国際ピアノコンクール4位(1位は マルタ・アルゲリッチ)と輝かしい受賞歴を誇る。審査員としても、きっと的確だったのだろう。
ピアニスト育成の側面だが、かつて「ピアノのおけいこ」という番組があった。1962年4月から1984年3月まで22年続いた長寿番組で、中村さんは83年後期、つまり最後の講師を務めた。最終回のビデオがある。NHKホールを借り切り、生徒4人とゲストの加藤知子、斎藤雅広が演奏した(加藤と斎藤は生徒OB。加藤は久保田良作が講師で小学3年のとき、「芸大のホロヴィッツ」斎藤は田村宏が講師で6歳のとき)。本人はショパンのノクターン嬰ヘ長調(作品15の2)を弾いた。
指導の面では、こんなに大きいホールで生徒が演奏することはまれなので、中村さんは2階席中ほどで聞いて、たとえば「高音が弱い(線が細い)。本番でこの曲をこのホールで弾くときにはもう少しスピードは遅くてよいので、高音をはっきり弾くとスケールが大きな音楽に聞こえると思う」というアドバイスをしていた。
それに続けて「学生時代に面白い経験をした。あるときショパンのエチュードの3度のトリルを、10人くらいのピアニストのレコードで聴き比べた。ストップウォッチで計ると、必ずしも一番早いものが必ずしもすばらしい興奮に包まれる息をもつかせない演奏には聞こえない。巻き込まれ、我を忘れ、あっというまに終わった印象を得たのは案外ゆっくりしている。音の大きさも、ただ大きい音ではなく、ピアノやピアニッシモなどさまざまな音色があってこそ生きる。物理的に大きくしてもグランドスケールのヴィルトゥオーソに聞こえるとは限らない。
こうしたことは演奏家として勉強していくうえでたいへん重要なことだ。自分が舞台で、見ず知らずの観客の耳の前で、身をさらして体で覚えていくものだ
このように話術も巧みだった。
「題名のない音楽会」同様に「客席に1人思いを寄せる美しい女性がいる、その人のために心をこめて語りかけるように演奏する。これは演奏家の秘密の一つだ。語りかけることは演奏家にとってたいへん必要。早く慣れてください」とアドバイスしていた。
かつて中村さんのマネジャーを務めた人の話を聞いたことがある。中村さんの演奏は「全身全霊をささげる」という言葉にふさわしいものだったので、客席の子どものマナーに厳しいところがあったそうだ。たまたま前列の何番目かにマナーの悪い子どもが座っていたので機嫌が悪くなり、本当に演奏を中断して帰ってしまったことがあったそうだ。それ以来、マネージャたちはその席には子どもが座らないように工夫をこらしたとのことだった。

夫・庄司薫(本名・福田章二)氏は「(25日)の誕生日を迎える日も、モーツァルトからラフマニノフまで、音色に新しい輝きを与える奏法を試すのだと言って興奮していました。僕もそれを聞きたいと熱望していました。残念です」(上記の東京新聞の記事より)と語った。
中村さんの、今後の演奏は確かに聞けなくなってしまったが、これまでの演奏はCDが50枚以上あるそうなので、たくさん聞くことができる。

中村さんとは関係ないが、音楽つながり、あるいはピアノつながりということで最近行った信濃町の民音音楽博物館を紹介する。
かつて武蔵野音大楽器博物館に行ったことがあるが、民音音楽博物館ではスタッフの方のピアノ演奏を聴くことができる。これが違いだ。
古典ピアノ室には9台のピアノが展示されていた。
初めの2台はイタリア製でピサ・チェンバロとシュトローム。シュトロームは弦を引っかけるのではなく、ハンマーでたたくのだから、やはりピアノの仲間だ。たしかに音に強弱が付けられることはわかった。しかし音色はチェンバロに近い。演奏曲はバッハ。
次は1795年製造のアントン・ワルターから1840年のシュバイク・ホーファーまで4台がウィーン製。音色がはっきり変わるのは1834年のコンラート・グラーフからだ。それまではサロンでのコンサート用だったが、このころからコンサートホール用にしっかり音が出るよう、フレームがしっかりしたそうだ。なおこの楽器にはペダルが5本もあり、なかの1本はトルコ式という太鼓やベルの音が出るようになっている。演奏曲はモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトとドイツものだった。
次にフランス製の2台、プレイエルで演奏されたのはショパン、エラールでドビュッシーだった。最後はカール・レーニッシュというドイツ製の1868年のものでプッチーニやラフマニノフが愛用したものだった。演奏曲はプッチーニの「私のお父さん」だった。
またオルゴールをはじめ6種類の自動演奏楽器の音色を聞かせてもらった。1880年代から1980年代までのスイス、ドイツ、アメリカ、日本の楽器だった。からくり人形がセットされているものもあった。

ラテン楽器、左からチャスチャス、マドラカ、クラベス、グィロ
夏休み企画の「子どものための世界民族楽器展」では打楽器を中心とした体験コーナーもあった。大人も、見たことはあっても触ったことがないものがほとんどで楽しめた。たとえば銅鑼(中国)や大金(テーキム 朝鮮)がそうだ。また中学の時、クラブの顧問の先生がラテン音楽をやるからと一式購入してきたクラベスやグィロ(いずれもキューバ)も50年ぶりに手で触れることができた。
その他、わたくしが訪れたときは休館だったが、地下にライブラリーがあり、録音・映像資料12万点、楽譜4万8000点、図書3万7000冊を閲覧することができる。

民音音楽博物館
住所:東京都新宿区信濃町8番地
電話:03-5362-3555
休館日:月曜日、祝日の際はその翌日、年末年始
 (音楽ライブラリーは月水金日、祝日)
開館時間 11時~16時(日曜は10時~17時)
入館料:無料
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