2月4日(土)午後、日比谷図書文化館地下のコンベンションホールで19回目の「10.23通達撤回!処分撤回! 総決起集会」(主催:都教委包囲首都圏ネットワーク 参加67人)が開催された。
この3年はコロナ禍だったが、包囲ネットは、全国一斉休校に対し20年3月には国会前闘争と3回、4月にアルタ前情宣3回、21年にはオリンピック強行反対都庁行動、22年には改憲反対国会行動やアルタ前国葬反対行動を継続して行ったとの報告があった。
今回は、ウクライナの戦争が1年に及ぼうとし、国内では年末に安保関連三文書が閣議決定され専守防衛から先制攻撃できる体制に変わろうとし、9条改憲への圧力も強まりつつある。
そうした状況のなか、学校と改憲・戦争をテーマにするメイン講演は池田賢市さんによるものだった。批判的視点で、現在の学校教育の本質をえぐる内容、しかもご自身の体験や先人の著作の引用もふんだんに使ったわかりやすいお話だった。ただ全部掲載すると文章量が多すぎるので、かなり省略して紹介する。
講演は「いまの大学4年生は2000年生まれ、20代は生まれたときからずっと不景気で格差社会にいるが、それに慣れるより「おかしい」と気づいている。意外に反発精神がある。
大学で公民科の教員養成について、学生からどんなことにウェイトをおくべきかアドバイスを求められ、「当然憲法でしょう」というと「憲法を教えていいんですか」と驚かれた。彼らは憲法を扱うことが「偏っている」と思い込んでいた」というエピソードから始まった。
学校から始まる改憲と戦争
池田賢市さん(中央大学文学部教授)
ある小学校で「○○について、あなたの意見を書いてください」と大きな空欄のあるプリントを渡すと、生徒が驚き、苦痛の表情を浮かべ、なかには体がかゆくなるなど身体症状が出る子までいた。もっとも簡単な問いのはずなのにもっとも苦痛とはどういうことか。いままで自分の意見をいうチャンスがなかったからだ。意見を聞かれたり意見を形成することが学校教育でなされてこなかった象徴かと思う。
教師が「自由に書いていい」といってもそうではない。子どもは評価されることをとても気にしている。空欄があるのがこわい。正解があるのなら後で覚えればよいが、何を書けば気に入ってくれるかわからずとても不安になる。こうして「積極的に受け身」な人間が形成されていく。
●自主性を育てると称して、実は権力関係を構築していく実践
子どもたちの自主性をどう育てるかというときの実践例を三つ紹介する。自主性を育てるどころか、たいてい人の顔色をみて意見をいう子どもにする実践になる。
【三つの実践例:ひとつめの「子ども自身による『校則』の自主制定」は、本来、子どもはある規定が自分たちの人権を侵害するものになっていないか、教育への権利行使を保障するものになっているかどうかチェックし現状に対し意見を述べる権利をもっているのに、校則とは禁止事項の羅列だと思い込んだまま
行うと、逆に自らの行動を束縛する方法を考えさせる取組みになってしまう。
ふたつめの子どもたちがお互いの「いいところ探し」をする実践は、恒常的に行うと最終的に「相互監視システムの構築」になるし、「いいところ」の基準は教員の「いい」と思うことへの忖度になる現実がある。
三つめは、子どもの発表「授業」で教員が「うなずき」ながら聞く態度をとる実践だ。すると教員の反応が気になり始め、やがて教員がうなずくようなことしかいわなくなる】
つまり、自主性を育てると称して、実は権力関係を構築する実践になっている。
●日常の学校風景の中に「人権」課題をいかに見出すか
学校が、子どもが安心して過ごせる場所になっているかどうか、人権保障がちゃんとされているかどうかが重要だ。それが日常の教員と子どもとの関係に現れてくる。
たとえば、忘れ物がかなり多い、上履きのかかとを踏んづけて履いており、反抗的な態度をとっている、給食費の滞納が目立つ、など個別的、具体的に起こるが、その問題を生み出す社会構造を見抜く必要がある。
【体験から:靴づくりの革職人の家庭で育った池田さんの個人的な体験をもとに、家計が苦しく彫刻刀を買って持って行けなかったこと、すなわち忘れ物が多いとみなされたこと、上履きも大きいものに買い替えられず小さいものをムリして履くのでかかとを踏まざるをえなかったことなどが説明された】
現状、個別具体的な問題への関心は共有されつつあるが、なかなか社会構造の問題の分析にまで至らない。社会構造の問題に迫らないと、たぶん改憲も戦争も防げない。結局道徳の話になる。
●「がんばる」ことを伝えようとして・・・
2021年の東京パラリンピックで子どもが観戦する意義として「かんばれば、できないことはないということを子どもたちに伝えたい」といわれた。ここには「がんばって何かができるようになることが大切だ」という一元的な価値しかない。そもそも「がんばっている」とか「できる」ことは自己申告ではなく、他者評価なので、だれかに「がんばっている」「できた」と認められるまでがんばり続けるしかなくなる。この発想が子どもたちを追い込み、教員を過労死に招いていく。
●社会構造への着目
構造的にとらえることはなかなかむずかしい。目の前で起こっていることは個別の現象なので、道徳的に考えたほうが考えやすくなる。しかしそこにどんな社会的差別構造や人権侵害があらわれているか、たとえば前述の自分の「彫刻刀の忘れ物」にみられるように、経済格差の問題がみえてくる。
【体験から:靴づくりの革職人だったお父さんが、手間賃の安さのため、朝6時半から深夜2時まで寝る時間を割き働き続けざるをえなかった実例が紹介された】
憎しみから対立構造が生まれるのではなく、先に対立構造が仕組まれ憎しみが後から生じること、関係性の中で人権侵害や差別が生まれること、差別・被差別構造を必要とする社会がつくり上げたものや、マイノリティを必要とする社会とは何だろうという問いを立てることの重要性を、サン=テグジュペリの「人間の土地」、マルクスの「賃労働と資本」の一節などを引用し説明があった。
●差別は「関係性」の中で形成されてくる
関係性のなかでいろんなものが構築されてくるので、関係を組み替えることによって「平和」に歩んでいける。憲法14条平等原則にあるように、人種、社会的身分、政治的、経済的または社会的関係において差別されない。あくまでも関係性をどう問うか、どう変えていくかが課題になる。
こうした差別構造がどこで伝わるか考えると、学校ではないかと考える。
教育あるいは学校教育が、改憲や戦場に間接的に生徒送り込む、あるいは子どもが自発的にそういう思考・行動を取る怖さがある。そこを問いたい。
●個人的体験から差別の「構造」を問う
子どもは学校の外でさまざまな生活体験、社会生活をしている。
【体験から:池田さんの家庭は朝6時半から父が働いているので朝食は取らず1日2食だったので、もし朝食チェックがあれば毎日×だったこと、中2の夏休みに英単語100語を10-20回書く宿題が出て、チラシや封筒の裏に書きホッチキス留めし提出したところ、教師に「練習だからこれでいいんだよ!」といわれ安心したエピソードを語った。教師に褒められるのでなく、「これでいい」と認められ承認されることで教師と生徒の信頼関係がつくられるひとつの事例である。その他の事例も話された】
こうした学校でのミクロなやりとりが、改憲・戦争を止めると思う。
●「準備」ではない学びを
学校での学びは、新しいことを知る喜び、考えることは楽しい、というのでなく、高校受験で困らないように、就職して困らないようになど、学びが何かの準備に位置付けられている。大学生に聞くと、8割がた「勉強しないと将来の選択肢が広がらないといわれた」という。
そんなはずはない。もし学歴で選択肢が変わるなら、憲法25条生存権違反になる。生存権に条件はない。どんな人でも、学歴でも、生きていく権利は保障されている。25条と26条(教育を受ける権利)が、不幸な結びつきをしている。将来豊かな生活を送りたければ学歴を得ておけと生存権が人質にとられ、26条も教育を受ける権利のはずなのに、進学できるような勉強の仕方をするしかなくなっていて、26条もつぶれている。
準備というがけして本番はこない。なぜなら自分が定めた目標がそこにはないからだ。学校制度がつくっているなかで、その制度を進んでいく準備にすぎない。あるいは目標があっても、学校でそうだといわれているものを自分のなかに取り込んでいるに過ぎないので、そのうち崩壊する。
●「逆算の思考」が生む優生思想
家庭や親の階層と子どもの学歴の間には相関関係があり、学歴と就職先や生活条件の間にも相関関係がある。しかし因果関係ではない。相関関係の「おかしさ」を追究せず大前提にしてしまうと「逆算の思考」が生まれる。いい生活条件を得るにはどういう学歴(学校)が必要か、その学歴を得るためにはどういう成績であればよいか、そのためには親がどういう育て方をすればよいかという「準備、準備」の発想だ。その先をつきつめて考えると「いい遺伝子、DNA」というところ、すなわち優生思想にたどりつく。
日本の学校は優生思想と能力主義を確実に子どもたちに伝えていることになる。それをむしろ「平等」といっている。家庭環境や経済的事情により学力が平等に形成されないことはわかっている。だが平等に形成されない学力で入学試験をすることは平等だといわれている。「なぜ」と思わないのだろうか。不平等に形成されるものを、教育を受ける権利保障である進学の指標にするとはどういうことか。学びたければ入学できる、入学試験なんかいらないということになる。いわゆる先進国のなかで、後期中等教育にこんな厳しい高校入試を遺しているのは日本だけだと思う。学びたい人は無試験で全員入学が当たり前になっている。
経済界などの要請で、学校を通して人材配分していくシステムが根強く残っている。
●おわりに
それが憲法25条生存権と26条教育を受ける権利との不幸な結びつきになっている。生まれた限りは人としてちゃんと生きていけなければいけない保障なのに、それが学歴によるとか、どういう成果を上げたかによるようになってしまう。これがなぜか正当化される。
生存権と教育を受ける権利がお互いを規制するような結び方をしている。切り離した方がよい。そうしないと学歴に基づく能力主義、能力差別と優生思想が知らぬ間に正当化されていくと思う。
一方、文科省は「多様化」もいうが、それは「ここに収まってくれればよい」という想定の範囲内のことだと思う。すべてがわかってしまっている(分類可能)なら「多様」とはいえない。つまり「よくわからない」ことこそ大事だ。わからないからこそ、子どもの声を聞かなくてはならない。
☆
3人の方から質問があった。そのなかから「20代の若者は批判精神があるとことだったが、いまの高校生をみていると批判精神があるようにみえない」との高校教員の質問への回答を紹介する。希望の光がみえ元気が出る内容だった。
放っておいてもなかなか批判精神は出ない。高校ではカリキュラムの関係で難しそうだが、大学はもう少し自由にできる。入学したては、受験生の臭いがプンプンするが、読書会や大学の授業を受けることで、どうやら様子が違うことがわかってくる。何を考えなければいけないかわかってくると、学生は急に変わる。見ていて楽しいくらいだ。あっという間に社会の見方が変わる。
フィールドワークで木下川(きねがわ)に行き「豚がいて豚皮や豚肉があり、その間が見えないよね」という話をしていて「こんな差別があったんですね、知らなかった。勉強になりました」という一般的な感想が出たが「いったい何を知らなかったのか」と問いかけると深まる。
知らなかった自分はどこにいたんだろうかとか、知らないでいられた自分ってなんだったんだろうかと話を進めていくと、急に社会構造が自分事になってくる。
屠畜や差別を知らない自分の立場、いわゆるマジョリティだったこととか、だれが差別しているのか、だれが隠そうとしているのか、知らなくてもなんとなくやっていける人とか、やはりその人たちから搾取しようとしているのではないか、さまざま列挙していって、ある学生が「これって私だと思います」と言った。すごい発見だ。
だから、こちらの情報の出し方で変わる。いままで通りの発信の仕方でいいが、たしかにSNSはすぐ広まる。広報は積極的にやったほうがよい。
この日は7人の方から報告があったが、わたしは現場の実態に関心があるので、小学校と中学の方の報告を詳しく紹介する。
キーワードは、新型コロナ、一人一台端末、長時間勤務
小学校教員、東京教組役員
過酷な長時間勤務は相変わらずで、平均退勤時刻は19時33分、ここ3年の月80時間以上残業者の比率は、2020年61%、21年59%に微減、22年69%に増加した。2年前は学校行事が中止になり代替案を考えたが、せっかく考えたのに直前で中止になり疲弊することが続いた。昨年度は行事がないのが当たり前になったが、今年度は行事が復活した。
最近、現場に影響を与えたキーワードは、新型コロナ、一人一台端末、教員不足の3つで、その他個別最適化がジワジワ来ている。
今年度文科省が勤務実態調査を行い、5月ころ速報値を発表され同時になんらかの対策が打ち出される模様だ。給特法の廃止も含めた見直しともウワサされる。
行事のなかで、運動会は熱中症対策で午前開催にしたり、コロナで学年ごと開催するなど簡略化され、その点は成果といえる。しかし他の行事はそのまま復活、しかもオンライン対応も同時に行う開催になったりして教員の負担になっている。
一人一台端末になり若い世代は使いこなし始めている。一番利用されているのは、選択肢から選ぶアンケートだ。それが浸透すると、空欄に記入するのでなく、デジタルの選択肢教育になってしまう。これは恐ろしい。
タブレットならみんなで共有できるというが、共有するとすごく画面が小さくなりよくわからないので、結局1人ずつ大きな画面にしていく。紙に書いて発表するのと変わらない。変わったのは、鉛筆で書くのでなく、特に低学年は指で太い字を書くことだ。紙に書けばよいと思う。タブレットとコロナが重なったことにより、これまで東京で進んできた統制型教育がさらに加速していることが、現場の実感だ。
一番危機感を感じるのは、防衛費倍増、安倍国葬、東京のスピーキングテストなどが批判なく入り、現場が反応しない、声が上がらないことだ。
☆
昨年秋に話題になった公立中学の英語スピーキングテスト。ベネッセに丸投げ、フィリピンでの採点、不適切な問題、隣の人の声が聞こえること、などさまざまな欠陥があり反対運動が起こったことが報じられた。この日、中学校教員が現場では、そのほかにもいろんな問題があったことを報告した。しかも来年度は3年生だけでなく1、2年にまで拡大するという。わたくしがまったく知らなかったことを中心に紹介する。
英語スピーキングテスト その問題とは
大型スクリーンを使った報告
●入試の得点への影響
スピーキングの入試の点数は20点だが、試験そのものは100点満点で採点される。35-49点は8点、50-64点は12点と4点刻みで換算される。入試当日の点数は700点、内申点は300点、合計1000点満点でやってきたが今後1020点満点になる。20点だけと思うかもしれないが、成績が5の場合内申点は23点なのでスピーキング20点は大きい。受験の場合、1点差は大きいが、スピーキングが4点刻みで加わるのはどう考えてもおかしい。
●作成・運営するのはベネッセ
4社入札で、事業主体:東京都、運営主体:ベネッセということになり5億701万円の税金が投入された。不明点があったときの問合せ先はベネッセ、受験票などもベネッセから各学校に「受験票」と荷書きしていない段ボールが宅急便で直送され、個人情報なのに扱いが雑だった。丸投げの見本だ。このテストはベネッセが市区町村でやっているGTECに酷似している。だからGTECをやっている学校は点数が高くなる。
●独特のヘッドフォン
ためしにつけてみると頭がギュッと押されて痛くなり、何も聞こえないと思った。ところが不思議なことに隣の人が話しているのは聞こえる。組立て式だが、生徒は組立てるのが結構大変だったと言っていた。
●11月27日(日)の試験当日
試験そのものは15分だけで、前半組(13:00-14:05 15:40解散)と後半組(14:25-15:30 解散15:40)に分かれるが当日まで自分がどちらかわからず、集合は全員12:15だった。15:40解散予定だったが携帯電話を返却するのに手間取り、わたしの生徒が帰ったのは17時過ぎとのことだった。
試験監督はアルバイト、5000人必要だったが直前までバイトル(アルバイト情報のウェブサイト)「資格のいらないゆるーいバイト」という広告がサイトに出ていた。やたらに怒鳴りつける監督や、受験生が出て行っても何もしない監督もいたそうだ。
試験会場は学校の近いところと思っていたら宅急便で届いた受験票をみると、隣の区の高校になっていたので、行き方もわからない。1時間くらいかかる学校もあった。交通費は自己負担、いるはずの案内係も見当たらなかった。
●公立学校の生徒は原則すべて受験
はじめは都内の中学3年生全員といっていた。いつのまにか国立・私立はムリということになったようで「見込み点」になった。また「吃音など配慮を要する生徒」の扱いは、いちおう用意されたが、説明文は都教委用語が多く、かつ校長の公印が必要など手続きが大変で、あきらめた生徒もいた。
申込は7月で、私立単願の生徒は受ける必要がないのに全員受験なので受けざるをえない。受験票に顔写真をスキャンしてネットで申し込むことになっていた。すべての家庭にパソコンがあるわけではないので、夏休みに学校に呼び寄せたり、不登校の生徒に自宅に教員がパソコン持参で伺ったり、ものすごく大変だった。
ある中学では、学校でいっせいに行ったところ、保護者からなぜ勝手にやるのかと問題になった。今年の都立高校入試は全部ネット出願だ。中3生にはなかなか大変だと思う。
●2023年度以降の問題
このテストの正式名称はESAT-J(English Speaking Achievement Test for Junior High School Students)で本来アチーブメントテスト(到達度測定テスト)であり、入試に使うものではない。
来年度は中1、中2にも拡大され、中3の予算は7億(今年は5億)、中1、2の分は28億付いている。なぜ28億かというと、都議会で承認されてから業者を公募するからだ。だから今年もバタバタになるに違いない。4月の段階では11月にテストがあることしかわからず、申込がいつなのかすらわからない。都教委からの連絡は副校長のパソコンにしかこないので、プリントアウトされ配布されないと何もわからない。
ひとつよかったのは都議会で超党派の「スピーキングテストに反対する議連」ができたことだ。自公以外は、都民ファ(未来会議)も含めすべて入っている。東京の中3のみの問題だったが、少し報道され始めたことはよかった。
都教委の姿勢が鮮明で、決めたことは梃でも動かないことがわかった。欠陥をできるだけ伝えていけるか考えることが重要だ。
その他の方の報告をごく短く紹介する。
●高校国語科の方から観点別評価の報告があった。単元ごとに「知識・技能」「思考・判断・表現」「主体的に学ぶ力(=態度)」の3つの観点からABCの3段階でルーブリック評価し、その合計点で5段階評価させるものだ。きわめて教員の主観的、恣意的な評価になる問題の大きい「変革」だとのことだった。
●高校の時間講師の方から、都教委の姿勢について報告があった。いま学校では休職者などで教員数が減っているのに、産休代替や時間講師を増やさないためとても忙しく、教員は疲れ切っている。それにもかかわらず昨年は秋に産休代替を申し込むと2月末に「賞罰」から「刑罰・処分歴」に要項の様式が変わり再提出して、不合格になった。今年度は時間講師の要項も「刑罰・処分歴」に変更されていて、どこまでも排除したいのかと思う。都教委は学校や生徒のことを何も考えていないと憤った。
●千葉高教組の方から3年の現代社会で「ロシアのウクライナ侵攻」を取り上げた実践が紹介された。徴兵制、当事国での反戦活動、武器供与、避難民受入れなどの新聞記事を資料として渡し、3人の識者の紙上コメントをもとに「侵略された場合に戦うべきか、戦わざるべきか、どう考えるか」を記述させると、「戦わざるべき」がやや多かった。高校生も考える材料があれば考える、との結論だった。
●昨年(2022年)11月3日国連自由権規約委員会が発表した「第7回日本政府報告書に対する総括所見」について報告があった。2014年の第6回総括所見のときは減給・停職・解雇を含む制裁に対するコメントだったが、今回はさらに踏み込み、君が代不起立「処分を受けたことを懸念する」(パラグラフ38)という見解と「思想良心の自由の『実質的な行使』を保証し」「自国の法律とその運用を規約18条(思想、良心及び宗教の自由)に適合させるべき」(パラグラフ39)という具体的な勧告が出た。日本国内では最高裁判決が確定したが、国際社会では10.23通達は「思想良心の自由」に反する、とのお墨付きがもらえ誇りに思う。
●立川自衛隊監視テント村の方から、年末に閣議決定された安保関連三文書の問題点と、防衛白書では認知領域までターゲットにされており国内の国民感情・世論操作もそれに含まれるので教育現場でも自衛隊の活用が拡大されるのではないか、警戒すべきとの訴えがあった。
最後に「スピーキングテストの結果を都立高校の入試に使用しないことを求める決議」と「卒・入学式に『日の丸・君が代』の強制・処分をしないでください」の決議を採択しし、集会を終えた。最後の「団結してがんばろう!」のシュプレヒコールが例年以上にシリアスだった。