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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

「非戦を選ぶ演劇人の会」のピースリーディング

2014年08月21日 | 観劇など
7月15日新宿のスペース・ゼロで、非戦を選ぶ演劇人の会のピースリーディング第17回「あなたは戦争が始まるのを待っているのですか?」を観た。

非戦を選ぶ演劇人の会は、アメリカのイラク攻撃に反対し、有事法制に反対して2003年に結成された。2月14日に「よびかけ文」をつくったところ、300人以上の演劇人が賛同した。
 ・対話によって成立する演劇は、武力攻撃による外交手段に反対します。
 ・人間を中心に据えた演劇は、人権を軽視する法案に反対します。
 ・演劇は、戦争に反対します。

3月19日には当時の小泉純一郎首相への手紙を官邸に提出した(署名数1428)。また2月28日紀伊国屋ホールと4月5日に紀伊国屋サザンシアターで「あきらめない」を上演した。
それから11年が過ぎ、世界と日本はもっとひどいことになりつつある。

この12年間に、イラク、沖縄、パレスチナ、日本(東京)で起こったことが編年体の朗読で語られた。
イラクでは、米軍のバグダッド空爆(03.3)、サマワに自衛隊の先遣隊派遣(03.12)、ファルージャ空爆と730人の死者(04.4)、11月の戦闘では2000人が殺害される 高遠菜穂子さんらの拘束(04.4)と自己責任論、自衛隊サマワから撤退開始(2006.6)、フセイン死刑執行(06.12)など。
沖縄では、辺野古のボーリング調査とカヌーによる海上スト(03夏)、沖縄国際大学に米軍ヘリ墜落(04.8)、辺野古調査に海自の掃海艇派遣(07.5)、高江の住民がヘリパット阻止のため座り込み開始(07.7)、沖縄防衛局が住民に対しスラップ訴訟提訴(09.12)、オスプレイの普天間配備(12.10)、仲井真知事が辺野古埋立を承認(13.12)、八重山教科書問題(13-14)など。
パレスチナでは、イスラエルがガザ空爆(08.12)1300人死亡、
日本(東京)では、イラク特措法成立(03.7)、都教委が日の丸・君が代を強制する10.23通達発令(03.10)、裁判員法成立(04.5)、島根県議会が「竹島の日」制定(05.3)、第一次安倍政権成立(06.9)「美しい国づくり」がスローガン、教育基本法改正(06.12)、自衛隊のイラク派兵差止等請求裁判で名古屋高裁が違憲判決(08.4)、ソマリアに海自派遣(09.4)、海賊対処法成立(09.6)、総選挙で民主党圧勝、政権交代(09.8)、大震災(11.3)とトモダチ作戦、東電福島原発事故、第二次安倍政権成立(12.12)、特定秘密保護法成立(13.12)、武器輸出三原則廃止(14.4)、集団的自衛権行使を認める閣議決定(14.7)など。

私たちは何をみてきたのか。
私たちは何をしてきたのか。
私たちは何ができなかったのか。
私たちは何を許してしまったのか。

あなたは戦争が始まるのを待っているのですか?


これが結論である。
反対署名に加わったり、反対集会に出たものもいくつかある。しかし何もせず見過ごしてきたことも多く、胸が痛い。。
なお、パフォーマンスとしては、証言や書物の引用ばかりで、そのうえ咀嚼する時間がなく、セリフが自分の回りを流れ去っていく。頭の整理がつかない。少しは観客の立場に立ってほしい。この「傾向」は昨年あたりから強まってきた。
また時間がないとはいえ、最低でも出演者(キャスト)の紹介くらいはしてほしかった。

第2部は、ガザ在住の弁護士ラジ・スラーニさんへのスカイプによるインタビュー(7月7日)だった。インタビューに先立ち「ガザに生きる」(土井敏邦監督 5部作)の1部「ラジ・スラーニの道」の一部をみた。
ガザは爆撃中、この24時間で10人が死亡、「足元が揺れる感じたする」というなかでの取材だった。
日本の集団的自衛権閣議決定について「日本人はすばらしい国民です。頭が良く技術もあります。科学に秀で、商売も得意。そしてもっと大切なことですが、倫理的に優れています。(略)そのような国がなぜ悪に与するのか、日本が平和と与したいのならわかります。(略)しかし日本までもが戦争の側につきたいというのは、理解に苦しみます。(略)日本がいちばんすべきでないのが、平和の側ではなく、戦争の側につくということです。アメリカは戦争の味方であり、平和の味方ではありません」と語った。

このインタビューの後、地上戦に突入し、ガザの住民1900人がイスラエルに殺された。理由はハマスのロケット弾攻撃だった。
またオバマはイラクへの空爆を始めた。そして日本の安倍は一日も早く中国や韓国朝鮮への戦争を始めたいようにみえる。「おじいさんたちは勝てなかったが、今度は勝つ」とでもいうように。

☆ピースリーディングで「井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法」(講談社2006.7)の一節が朗読された。
「いまでは信じられないことですが、昭和二〇(一九四五)年の日本人男性の平均寿命は、たしか二三・九歳でした。戦地では兵士たちが戦って死ぬ(あとでわかったのですが、戦死者の三分の二が餓死でした)、内地では空襲で焼かれて死ぬ、病気になれば薬がないので助かる命が助からぬ、栄養不足の母親を持った幼児たちは栄養失調で死ぬ。そこで大勢が若死にしたのです。女性の平均寿命も、三七・五歳だったはずです。(略)
ところがあの八月一五日を境に、なにもかもが変わった。「きみたちは三〇、四〇まで生きていいのです」というのですから、頭の上から重石(おもし)がとれたようで、しばらく呆(ぼう)としていました。」(まえがきより)
「私たちの憲法はアメリカに押しつけられたものではない。そんな安っぽいものではなくて、そのころの世界の人たちの希望をすべて集めたものなのです。(略)捨ててよいものもあれば捨ててはいけないものもあって、後者の代表が日本国憲法ではないでしょうか。これを捨てることは、世界の人たちから、希望をうばうことになりますから。」(あとがきより)


☆7月1日(火)安倍晋三内閣は集団的自衛権の改憲解釈の閣議決定を行った。実質的に憲法9条は破壊され、日本は戦争をする国となった。
ちょうど安倍が記者会見を行っていたころ、わたくしは官邸前のデモの中にいた。「解釈改憲絶対反対」「閣議決定は撤回しろ」「戦争反対!」「安倍はやめろ!」。人はあふれ、怒号が渦巻いていた。
福島前社民党党首とすれ違った。その他、練馬、葛飾、緑の党など多くの人と出会った。60年安保のときの国会前はこんな光景だったのではないかと思わせるものだった。ただ19時前後の早い時間だったので、まだ20代、30代の人はあまり来ていなかった。それでも40代の人もいて、いつもより平均年齢は低かった。

8月15日敗戦の日、官邸前に行った。「川内原発再稼働反対」吉良よし子さんがアピールしていた。
「やめられないなら、お前がやめろ。安倍晋三はさっさとやめろ」。ここでも安倍退陣を求める力強いシュプレヒコールが聞こえた。
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