わたしの住む区では、毎年秋に「区民スポーツの日」というものがあり、目玉のひとつはマラソン大会である。マラソンとはいうものの長くて10キロ、わたくしが出たのは50歳以上の男女混合5キロなので、マラソンとはいえない距離だ。
これを機会に高齢者のスポーツについて考えてみた。友人たちとの話によく出てくるのはウォーキングである。図書館までの往復とか犬の散歩が多い。これらはたいてい毎日なので、ラジオ体操と並び高齢者スポーツの「王道」である。
次はトレーニングで、「ほぼ毎日行っているので、体がずいぶんスリムになった」という人が結構いる。それに類したものでは水泳や太極拳がある。たしかに朝プールに行くと、高齢男女の常連客が多い。
もっとスポーツらしいものでいうと、ゴルフやテニスをやっている人たちがいる。あまり親しくないので、どの程度の頻度でやっているのかはわからない。だが、とても楽しみにしている。もっと激しいものでは不惑(あるいは還暦)ラグビーや剣道をしている人たちがいる。ただ、それは高齢者の体調維持のレベルを大きく超えた「趣味」の世界といえる。
わたし自身は、30代のときに週1度トレーニングを始めた。若い女性の間でエアロビクス(有酸素運動)教室のブームが終わりトレーニングに切り替わったころだった。目的は体調維持のための「何か少しは運動でも」に過ぎなかった。最初に行ったところでは、サーキット・トレーニングを5セットほどやらされた。非常にきつく、3セットほどでへばった。しかし2回、3回と続けるとやがて習慣になり、行けない週があると「なんとなく気持ちが悪い」状態になった。その後勤務先の変更や転居などで、トレーニングの場所は5か所ほど変わった。しかしわたくしがやっていることはどこもほぼ同じで、10種目ほどを基本的に2セットこなしている。
その間での大きな変化は屋外のジョギングが加わったことだ。はじめは室内のトレッドミルを使っていたが、ベルトの上を二十日鼠のようにクルクル走ったり跳ねるよりは、外の空気を吸いながら走ったほうが気分がよいことに気付いた。それでトレーニングの最後に外の公園を走ることにしたのは30年ほど前のことだ。
そのうちウェスト(お腹)が出てきて、週一度では追いつかないことを自覚し、もう一日ジョギングをやることにした。トレーニングは休日にやっていたので、もう一日は平日夜、勤め帰りということになる。ちょうどそのころ銭湯で服を着換え皇居周回ジョギングをしているOBがいることを聞き、その人にならうことにした。初めは大手町(神田)の稲荷湯、事務所が引っ越してからは半蔵門のバン・ドゥーシュで、両方とも皇居周回の「聖地」である。はじめは体調維持がいちばんの目的だったが、やがてストレス解消に目的が切り替わっていった。さらに気持ちよく銭湯につかるための準備運動としてのジョギングになり主客転倒してしまった。そして銭湯通いが週1回から2回に増え、うち1回は皇居周回だが、もう1回は代々木公園、神宮外苑、落合の近くの山手通り沿いなどから選択、と範囲が広がっていった。走りながらみる景色も変化するのでよかった。これで週3回のエクササイズとなる。
その後、大病をしたり退職したりで環境が変わった。
週に一度のトレーニングはいままでどおりだが、銭湯&ジョギングはなくなった。その代わり65歳以上は100円で入れる銭湯、もしくは敬老館での無料入浴を発見し、ジョギング帰りに風呂に入るようにしている。敬老館はどうやら常連が多いようだ。わたくしはせいぜい週1度だけなので常連にはなれないが、顔をわかる人も出てきてあいさつするようになった。
冬になると寒くて体にこたえるので、1月以降はプールに行くことにした。これも65歳以上は公営スポーツ施設を無料で使えることが大きい。平泳ぎは子どものころ水泳教室(とはいっても古式泳法で有名な学園)にいっていたので泳げるが、ほかは25mクロールを泳ぐと「息も絶え絶え」という状態だった。そこで昨年はクロール教室、今年はバタフライ教室に通った。おかげでここ1か月クロールで100m泳げるまでに上達した。バタフライは25mがやっとという状態でまだまだである。
原則として週3回汗を流しているのなら、きっと健康は大丈夫だろう、とみんなに言われる。だがそれはまた別の話である。寄る年波で、ちゃんと3軒の医者に通院し、薬も毎日3種類服用している。高齢者の医者通いについては、そのうち稿を新たにして触れてみたい。
土佐礼子とM高史(左)
さて初めの「区民体育の日」の話に戻る。
もともと体育は苦手、とくに野球、バスケットなどボールを扱う種目は苦手で、学生のころ「体は小さいし足は遅い。おまけに多摩扱いはへた、と三拍子揃っている、と評された。自分でも文科系だと思う。上記のようにジョギング歴は20年近くになるが、レース出場は長く避けてきた。性格がマジメなので、きっと本番までに計画的に練習することになりそうだったが、「義務」で走るのはイヤだったからだ。しかしこの年になればよいかもと昨年初めて出てみた。いまは1-2キロしか走っていないので、5キロ完走できるかどうか不安だった。それで事前に何度か練習し、完走できそうな自信がついた。今年は、スタートの位置取りを失敗し、後ろから何番目かだったので気分的に焦った。きっと昨年より悪い記録だと思ったが、結果は順位は下だがタイムは10秒ほど上回っていた。この日も土日のみ昼の12時から営業している銭湯に寄って汗を流した。
今後もこれ以上の距離を走るつもりはないし、年寄の冷や水にならないよう、ほどほどの運動を末永く続けていきたいと願っている。スポーツの日からもう3週間近くたっているのに左膝が痛くなってきた。整形外科に行くとレントゲンを撮ってくれたが骨には異常がなく、水もたまっていない。とりあえず湿布をしているだけだ。高齢者にとってのスポーツは、趣味でやっている人を別にすると、こんなところが落ち着くところではないかと感じる。高齢者にとってのスポーツは、趣味でやっている人を別にすると、こんなところが落ち着くところではないだろうか。
相撲体験(写真は2017年)
なお、スポーツの日ということで、マラソン大会にはM高史の準備体操、ゲストランナー土佐礼子(昨年までは有森裕子)のトークがあり、そのほか、元読売ジャイアンツ仁志敏久の少年少女野球クリニック、平野早矢香の少年少女卓球クリニック、相撲体験などさまざまなイベントが開催された。
昨年のゲストランナーは有森裕子だった
これを機会に高齢者のスポーツについて考えてみた。友人たちとの話によく出てくるのはウォーキングである。図書館までの往復とか犬の散歩が多い。これらはたいてい毎日なので、ラジオ体操と並び高齢者スポーツの「王道」である。
次はトレーニングで、「ほぼ毎日行っているので、体がずいぶんスリムになった」という人が結構いる。それに類したものでは水泳や太極拳がある。たしかに朝プールに行くと、高齢男女の常連客が多い。
もっとスポーツらしいものでいうと、ゴルフやテニスをやっている人たちがいる。あまり親しくないので、どの程度の頻度でやっているのかはわからない。だが、とても楽しみにしている。もっと激しいものでは不惑(あるいは還暦)ラグビーや剣道をしている人たちがいる。ただ、それは高齢者の体調維持のレベルを大きく超えた「趣味」の世界といえる。
わたし自身は、30代のときに週1度トレーニングを始めた。若い女性の間でエアロビクス(有酸素運動)教室のブームが終わりトレーニングに切り替わったころだった。目的は体調維持のための「何か少しは運動でも」に過ぎなかった。最初に行ったところでは、サーキット・トレーニングを5セットほどやらされた。非常にきつく、3セットほどでへばった。しかし2回、3回と続けるとやがて習慣になり、行けない週があると「なんとなく気持ちが悪い」状態になった。その後勤務先の変更や転居などで、トレーニングの場所は5か所ほど変わった。しかしわたくしがやっていることはどこもほぼ同じで、10種目ほどを基本的に2セットこなしている。
その間での大きな変化は屋外のジョギングが加わったことだ。はじめは室内のトレッドミルを使っていたが、ベルトの上を二十日鼠のようにクルクル走ったり跳ねるよりは、外の空気を吸いながら走ったほうが気分がよいことに気付いた。それでトレーニングの最後に外の公園を走ることにしたのは30年ほど前のことだ。
そのうちウェスト(お腹)が出てきて、週一度では追いつかないことを自覚し、もう一日ジョギングをやることにした。トレーニングは休日にやっていたので、もう一日は平日夜、勤め帰りということになる。ちょうどそのころ銭湯で服を着換え皇居周回ジョギングをしているOBがいることを聞き、その人にならうことにした。初めは大手町(神田)の稲荷湯、事務所が引っ越してからは半蔵門のバン・ドゥーシュで、両方とも皇居周回の「聖地」である。はじめは体調維持がいちばんの目的だったが、やがてストレス解消に目的が切り替わっていった。さらに気持ちよく銭湯につかるための準備運動としてのジョギングになり主客転倒してしまった。そして銭湯通いが週1回から2回に増え、うち1回は皇居周回だが、もう1回は代々木公園、神宮外苑、落合の近くの山手通り沿いなどから選択、と範囲が広がっていった。走りながらみる景色も変化するのでよかった。これで週3回のエクササイズとなる。
その後、大病をしたり退職したりで環境が変わった。
週に一度のトレーニングはいままでどおりだが、銭湯&ジョギングはなくなった。その代わり65歳以上は100円で入れる銭湯、もしくは敬老館での無料入浴を発見し、ジョギング帰りに風呂に入るようにしている。敬老館はどうやら常連が多いようだ。わたくしはせいぜい週1度だけなので常連にはなれないが、顔をわかる人も出てきてあいさつするようになった。
冬になると寒くて体にこたえるので、1月以降はプールに行くことにした。これも65歳以上は公営スポーツ施設を無料で使えることが大きい。平泳ぎは子どものころ水泳教室(とはいっても古式泳法で有名な学園)にいっていたので泳げるが、ほかは25mクロールを泳ぐと「息も絶え絶え」という状態だった。そこで昨年はクロール教室、今年はバタフライ教室に通った。おかげでここ1か月クロールで100m泳げるまでに上達した。バタフライは25mがやっとという状態でまだまだである。
原則として週3回汗を流しているのなら、きっと健康は大丈夫だろう、とみんなに言われる。だがそれはまた別の話である。寄る年波で、ちゃんと3軒の医者に通院し、薬も毎日3種類服用している。高齢者の医者通いについては、そのうち稿を新たにして触れてみたい。
土佐礼子とM高史(左)
さて初めの「区民体育の日」の話に戻る。
もともと体育は苦手、とくに野球、バスケットなどボールを扱う種目は苦手で、学生のころ「体は小さいし足は遅い。おまけに多摩扱いはへた、と三拍子揃っている、と評された。自分でも文科系だと思う。上記のようにジョギング歴は20年近くになるが、レース出場は長く避けてきた。性格がマジメなので、きっと本番までに計画的に練習することになりそうだったが、「義務」で走るのはイヤだったからだ。しかしこの年になればよいかもと昨年初めて出てみた。いまは1-2キロしか走っていないので、5キロ完走できるかどうか不安だった。それで事前に何度か練習し、完走できそうな自信がついた。今年は、スタートの位置取りを失敗し、後ろから何番目かだったので気分的に焦った。きっと昨年より悪い記録だと思ったが、結果は順位は下だがタイムは10秒ほど上回っていた。この日も土日のみ昼の12時から営業している銭湯に寄って汗を流した。
今後もこれ以上の距離を走るつもりはないし、年寄の冷や水にならないよう、ほどほどの運動を末永く続けていきたいと願っている。スポーツの日からもう3週間近くたっているのに左膝が痛くなってきた。整形外科に行くとレントゲンを撮ってくれたが骨には異常がなく、水もたまっていない。とりあえず湿布をしているだけだ。高齢者にとってのスポーツは、趣味でやっている人を別にすると、こんなところが落ち着くところではないかと感じる。高齢者にとってのスポーツは、趣味でやっている人を別にすると、こんなところが落ち着くところではないだろうか。
相撲体験(写真は2017年)
なお、スポーツの日ということで、マラソン大会にはM高史の準備体操、ゲストランナー土佐礼子(昨年までは有森裕子)のトークがあり、そのほか、元読売ジャイアンツ仁志敏久の少年少女野球クリニック、平野早矢香の少年少女卓球クリニック、相撲体験などさまざまなイベントが開催された。
昨年のゲストランナーは有森裕子だった