多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

福島からの報告

2011年12月26日 | 集会報告
最低気温が2度と冷え込んだ12月17日(土)午後、御茶ノ水の総評会館で多田謡子反権力人権賞第23回受賞発表会が行われた。
今年は、産婦人科医の佐々木靜子さん、福島で原発反対40年の石丸小四郎さん、ASIAN PEOPLE'S FRIENDSHIP SOCIETY脱原発福島ネットワークの2個人、2団体が受賞した。23回の歴史のなかで受賞が4つもあったのは2回しかない。
2011年は大震災と福島原発事故で歴史を画する年となった。受賞発表会前日の12月16日、政府は冷温停止状態などと宣言したが、いまだ大気汚染は続いており事故は終息していないので、福島の石丸小四郎さんと脱原発福島ネットワークの2つの報告を詳しく紹介する。
なお佐々木靜子さんは所沢の富士見産婦人科病院事件の裁判に26年間医師の立場で参加した方で、その後DVや女性の健康問題をまつしま病院で実践している。ASIAN PEOPLE'S FRIENDSHIP SOCIETY(APFS)は、非正規滞在外国人のビザや生活に関する相談、在留特別許可を求める交渉などの支援を行っている。現在、23年間日本に滞在し結婚したガーナ人男性が2010年に強制送還される際、足手錠と結束バンド、猿ぐつわをされて死亡した事件の国賠訴訟の支援をしている。代表の加藤丈太郎さんはまだ20代の青年だった。

●地元双葉地方で40年間反原発運動を持続        
        石丸小四郎
さん
1964年に福島県富岡町に住み始め47年になる。原発城下町で「周産期死亡率や死産率が高い」「労働者被爆がある」と40年間反対運動を続けてきた。いまは避難生活を送っているが、むなしさ、怒り、やるせなさがないまぜの気持ちだ。原発ほど不条理で世代間不公平があり、差別的なものはない
6月末に学校の校庭の除染試験の結果が発表された。地上1センチで47マイクロSv(毎時 以下同じ)、1メートルで2マイクロSvだったものが除染後1.0マイクロSv、1.6マイクロSvに下がっている。しかし原子力発電所の敷地内の放射線管理区域の設定基準値0.6マイクロSvより高い値だ。管理区域とは、働く人が6か月に一度定期健診を受け国への報告義務があり、18歳未満は立ち入り禁止という場所のことだ。そういう場所で子どもたちが勉強している現実がある。
また新聞で発表される数字は地上1メートルだ。なぜ1センチで計測しないのか。これでは過小評価することになる。福島では子どもの屋外活動の規制があり、10万人の子どもが影響を受けている。子どもは本来休み時間にドッジボールやサッカーをするのに、学校の原風景が消えた。また春行う運動会が秋に延期となり、それも校庭ではなく体育館のなかで開催ということになった。
7月13日、郡山の開成山野球場で高校野球の決勝戦があった。早朝芝生の放射線量を計測し基準となる3.8を下回る2.2マイクロSvだったので決行が決まった。一方50キロ離れたJRAの福島競馬は中止になり、馬は避難し芝は張り替え、ダートの土も入替えということになった。高校球児の待遇は馬より低いということだ。
福島県の汚染状況地図が新聞で報道された。浜通りと中通りのほとんどすべてが3~6万ベクレルとなっている。ここで150万人が生活している。4万ベクレル/平方メートルが管理区域の設備基準値なので、管理区域より高いところで生活しているということだ。9月15日の朝日新聞に土の除染は1億立方メートルというトップ記事が出た。1立方メートルのマスが1億個、つまり横に10万キロ並ぶということだ。地球を2.5周することになる。これが福島の汚染の現状だ。
国や東電は「原発事故で死んだ人はいない」という。とんでもない話だ。数字に表れないが弱者が犠牲になっている。東電第一から3キロのところに双葉病院があり333人が入院していた。隣接して高齢者介護施設があり100人が入居していた。3月12日患者209人がスタッフとともに避難したあと、15時に1号機の水素爆発が起こった。残されたのは患者224人と理事長など3人だった。3人では当然手が回らないので自衛隊が救援した。あらゆるカーテンを引きちぎりおむつにした。しかし6-10キロの距離を6-7時間かけて避難する過程で50人の患者が亡くなった。じつに4人に1人が亡くなったことになる。双葉郡には病院が10あるので、450人亡くなっていてもおかしくないということだ。
放射能は、目にみえず臭いもせず、味もしない。五感に訴えない。そこで感性により受け止め方がまったく違う。一番鈍感で最後まで「オレ逃げねえ」と警察や自衛隊の人の手を煩わせたのは、わたしたち男性高齢者だった。政治の中枢や行政トップにはこういう年代の人がいる。逆に一番頼りになったのは女性だった。福島の女性は政治を動かし、国まで動かすパワーをもっている。
このままでは福島は忘れられ消滅する。わたしたちはこれを許さないという運動に、今後も傾注したい。

●ハイロアクション運動を進める
        脱原発福島ネットワーク 佐藤和良
さん
石丸さんたちを反原発の第一世代とすると、わたしたちはチェルノブイリ以降の第二世代で1988年にネットワークを結成した。その翌年第二原発3号機の再循環ポンプ破損事故が起こった。柏崎を手本に、住民投票条例と請願活動をしたが敗れ、郵送による自主投票運動を行ったが、大きな流れの中で後退を余儀なくされた。そのなかで月一度の東電交渉とニュースレター・アサツユの発刊を20年間続けてきた。
そして3.11事故が起こった。
12月16日政府は、冷温停止状態を宣言した。しかし、東電ですら「1日6000万ベクレルを大気中に放出し、高レベル汚染水はレベルを下げて海に流す」といっている。依然として海水も大気も汚染が続いている。あの終息宣言は国民を欺き、世界の笑いものになる宣言だ。
つい最近保安院が配管破断を認めた。いままで津波による電源喪失が原因といっていたのに、津波の前の地震で配管が破断し冷却材喪失が生じたのなら、ストレステストは役に立たない。福島事故の教訓は、地震国日本で原発を続けるべきではないということだ。即時全原発を止めるべきだ。
この大地震は活断層を刺激し誘発地震を引き起こした。双葉断層の長さを70キロとして耐震評価をやり直せば、依然として福島原発は危機にある。
国は、福島に棄民政策を実施している。被災当初、SPEEDIの情報を地元自治体に知らせず、浪江の人を6月まで飯館に避難させて被爆させた。また子どもを避難させないために除染を強行しているとしか思えない。除染しても管理区域の0.6マイクロSvを上回る。3―5割しか効果はない。除染した半径10mくらいで0.6マイクロSvをにならないのならいま除染しても意味がない。それより子どもたちを3年程度集団疎開させたほうがよい。しかし県知事をはじめ首長たちは、人口流出を止めるため、集団避難はさせないという考えのようだ。14人の保護者が起こしたふくしま集団疎開裁判の仮処分請求が12月16日に棄却された。
また事業として除染に携わるのは旧日本原子力研究所や鹿島といった原子力村を支えてきた研究所や企業だ。除染機関として再登場し焼け太りし、延命を図っている。
そして県は、県民健康管理調査を9月から開始した。検討委員会座長は「年間100ミリSvまで安全」といった山下俊一・福島県立医科大学副学長だ。この調査は健康障害に備えたり治療のための調査でないのが県民にみえみえなので、問診票の回収率は15%と低い。データ蓄積が目的なので、われわれは「治療なき調査」と呼んでいる。
福島の農業や漁業は壊滅的だ。県がいい加減な米のサンプル調査をして安全宣言した矢先に500ベクレル/kg以上の米が続々と見つかった。漁業は、3-4月のコウナゴから食物連鎖で中型魚や大型魚の汚染に広がりつつある。かまぼこなど水産加工業は立ちいかない。
自主避難する人が10万人になり200万県民が190万に減った。残った市民は、内部被ばくをより少なくしようと、県内に9か所、食品や人体を検査する放射能市民測定室を設置した。来年3月まで予約がいっぱいだ。
いわき市議会は12月15日「(仮称)原発事故被曝者援護法の制定を求める意見書」を全国ではじめて採択した。この法律は国に被曝者健康手帳の交付、年2回の定期通院、医療行為の無償化を求めるものだ。意見書採択を全国に広めたい。
ネットワークとしては今後下記のようなことを進めたい。
1 ハイロアクションの運動を進める。
2 避難場所の確保、そして福島に残った場合も夏休み、春休みなど長期休暇に子どもを保養に連れ出す。
3 汚染されていない食物を福島に届けてもらう。
4 原発事故被曝者援護法の制定を県民運動へと広げる。
また事故の責任を明確にするため、刑事告発する運動を起こすことも準備している。戦争責任をあいまいにしたことがさまざまな問題を生んだという反省からだ。脱原発の日本をつくるため福島の被爆地でがんばるつもりなので、今後もご支援を賜りたい。

☆多田謡子は1957年生まれ、弁護士になって2年目の86年12月18日に29歳で亡くなった。中学1年のときにベトナム戦争反対の「明日のために」というビラを全校生徒の席に配った。小学生のときいじめを受けた経験があり、弁護士になっても苦しいなかがんばる人と自然に同じ立場に立てるような弁護活動を行った。毎年命日に近い日に、友人たちが多田謡子反権力人権賞受賞発表会を開催している。
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