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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

ソウル市民1939 恋愛二重奏

2011年12月19日 | 観劇など
10月下旬のような暖かさの日曜の午後、吉祥寺シアターで青年団の「ソウル市民1939 恋愛二重奏」をみた。この芝居は08年の「眠れない夜なんてない」から3年ぶりの平田オリザの新作である。

舞台は昭和望郷編の10年後、同じ篠崎家の居間の7人掛けテーブルである。上手に階段、下手に玄関への通路、正面に食器棚が配置されているのはいつもと同じなのだが、この芝居では、正面に7つ、左手に3つ、右手に3つ、「南七、北十一」などと書いた木箱が積んであるところが違う。これは篠崎商店の商品である慰問袋を入れた荷箱なのである。1939年という年は日中戦争が始まって3年目、篠崎家は慰問袋で大好況、居間まで商品があふれているというわけだ。後にでてくる歌の選曲も同じだが、平田の時代考証は井上ひさし並である。
芝居は、「味噌汁に入れる大根は、千切りか銀杏切りか」という女性たちのいつものような会話から始まる。話しているのは主人の長女・寿美子と主人の腹違いの弟の妻・佐江子である。長女の夫・昭夫は復員して2か月、心の傷が大きかったようで仕事に復帰できず「すさんだ」生活を送っている。弟は「よそに女を作り出て行ってしまった」ので、佐江子と女学生の娘がこの家で暮らしている。このように、今までより陰のあるキャラクターがでてくる。
前作望郷編との継続性がわかるセリフが準備されている。たとえばアメリカ帰りの新進企業家は金融恐慌で長女との婚約を解消し、そのかわりにおとなしい昭夫が9年くらい前に養子になったが子どもはいない、前作で建設中だった三越が開店し内覧会をやっている、というようなことである。
恋愛二重奏というタイトルのとおり、カップルが数組出てくる。一組は昭夫と長女寿美子で、もう一組は朝鮮人の書生・申高鉄と女中の李美順だ。前作には、優秀な成績で京城帝大を卒業し朝鮮総督府で働く朝鮮人の元書生・李齋源がでてきたが、申高鉄は陸上中距離で京城のムラコソと呼ばれ幻の東京オリンピックへの出場が有望視されたアスリートだ。その後高鉄は、20倍もの難関をパスし日本軍の志願兵となった。この日は出征前夜である。美順は片思いのようだが、別れの晩餐・篠崎家特製すき焼きの前に篠崎家の人に喫茶店でのデートを勧められいそいそと出かける。
さらにもう一組、店員・朴朱源が他家の女学生・百合子に片思いしている。
そこに「京城ラプソディ」(「楽し都、恋の都、夢のパラダイスよ花の京城」と、歌詞の「花の東京」を「花の京城」に変えたもの)の一家全員での大合唱が加わり、舞台には甘い雰囲気が漂う。
しかし平田オリザは「日常生活の中で、何かが、すでに壊れ始めている過程、そんなものを描くことはできないか」と考えた。寿美子の「戦争って勝ってても、こんなに人が死ぬものかな」というつぶやきにみられるよう3年目の戦争は厭戦気分を醸し出す。
「ソウル市民」共通に見出せる、日常会話のなかの「悪意なき市民たちの罪」はこの作品にも表れる。中国人とは戦争をしているのになぜ朝鮮人は日本人に従順なのかという問いに、佐江子が「(イギリスやアメリカにだまされていることを)教えてあげる側はすごく我慢して相手がわかるまで待ってあげないといけないのよ」と、「確信」をもって語る。
前作では「だぢづでど、ぱぴぷぺぽ、十円五十銭」と朝鮮人に発音練習させていたが、10年後のこの芝居では一段と進み創氏改名で、「朴さんは木下、金さんは金山にしたらしい」と日本人が日常的に話をしている。
高鉄を見送る朱源が「見よ東海の空あけて」で始まる「愛国行進曲」を歌う。歌詞の2番はもっと悲惨だ「起て一系の大君を・・・臣民我等皆共に、御稜威(みいつ)に副はむ大使命」。内鮮一体になったとはいえ、こんな歌を朝鮮人が心をこめて大きな声で歌うのは、見ていて悲痛であり、まさに悲劇だ。
 「(戦地への手紙は)ハングルは届かないらしいよ」「日本人はこういうとき泣かないらしいよ」という朝鮮人同士の会話もでてくる。
       *
1作「ソウル市民」には謎の手品師、3作「昭和望郷編」には怪しい満蒙文化交流青年会の一団が出てきたが、この作品にはなんとヒトラー・ユーゲント(ドイツ青年愛国同盟)の少女が出てくる。しかも偽ものではないかとの疑いまで発覚する。
篠崎家にホームステイするのは、12歳のとき神戸に移り住み日本語がじょうずなドイツ人女性インゲボルグ・アッヘンバッハ。お供は日独青年友好同盟の男子学生だ。彼らを歓迎する歌「万歳ヒットラー・ユーゲント」(独逸青少年団歓迎の歌)は北原白秋作詞で「燦たり輝くハーケン・クロイツ、ようこそはるばる西なる盟友・・・万歳ヒットラーユーゲント、万歳ナチス」と、今聞くとコミックソングのような歌だった。タイケの「旧友」に合わせて部屋に引き上げ、「どうして日本は強いアメリカやイギリスと戦わないのですか」とドイツ語で演説したりする。しかし手品師がトイレに行ったまま消えてしまったり、交流青年会のメンバーが「朝鮮独立万歳!」と叫ぶのに比べると、不思議さが薄くなっていた。より現代に近づき、リアルになっているということかもしれない。
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舞台にオルガンがあるので、何曲も歌がでてきて楽しかった。前述の「京城ラプソディ」(1936)のほか長女が過去の昭夫を思い出しながら弾く「丘を越えて(1931)、昭夫が戦場の暗闇のなかで家を思い出しながらみんなで口ずさんだ「私の青空(1928)が出てきた。井上ひさしの「きらめく星座― 昭和オデオン堂物語」を思い出した。

1909年から10年ごとに4部までつくられたこの芝居に5部はない。10年後の1949年には敗戦により日本人は引き揚げ、京城の篠崎商店はなくなっているからだ。篠崎商店が釜山に店を開いて65年、日本の敗戦による35年の植民地支配の歴史の終焉と同時に京城の篠崎商店は消滅した。

☆わたしの母は京城で敗戦を迎えた。商家でなくサラリーマン家庭だったが、家財を積んだ船が沈み無一文で引き揚げた。この芝居と同じく、女学校には朝鮮人のクラスメイトもいたと言っていた。父は理科系の学校に在学中だった。同級生には朝鮮人もいたが、1948年に卒業すると同時に帰国したそうだ。朝鮮戦争より前の時期なので過酷な運命にまきこまれたかもしれない。
☆吉祥寺シアターは、吉祥寺から西荻寄りに5分ほど歩いたところにある。 2005年6月にオープンし、客席239席の中規模のホールだ。急勾配になっていて、後ろの席では舞台は2階席から見下ろす感じだ。
友の会が根付いているようで、青年団のいつもの客層とは異なる観客がたくさんいた。劇団と観客のバランスがあるので、どこの自治体でも成立することではないが、こういうまちが一つでも増えるとよいと思う。

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