今年は30年ぶりの天皇代替わりの年、昨年後半から代替わりキャンペーンが始まった。きっと今年の連休、いや大嘗祭が終わる秋まで「国家」的大キャンペーンが続きそうだ。
30年前の昭和から平成へのときは、昨年11月の「スタートした即位大嘗祭違憲訴訟の会」の記事にも書いたが、前年秋から異様な状況が引き起こされた。
今回は、討論集会での発言にもあったが、いわゆる「リベラル派」から反対意見が出ないことが「異様」である。逆に30年前は天皇の戦争責任について戦後最大規模の「批判が噴出」し、長崎市長の銃撃事件(90年1月)まであった。
「平成」最後の天皇誕生日に早稲田の日本キリスト教会館で「12.23反天連討論集会『代替わり』状況へ」という集会が開催された。周辺の道路は機動隊で封鎖され、その向こうからウヨクの怒声が聞こえてくるいつもの情勢だった。
パネリストは天野恵一さん、小倉利丸さん、北野誉さん、桜井大子さん、司会は、のむらともゆきさんだった。
1人20分ずつ意見を述べ、その後、補足などがもう一巡あり、会場の参加者と質疑応答し、最後に一言ずつ締めくくりの発言を行う形式で進んだ。
☆写真は意図して加工してあります
劣化する近代の価値とグローバルな極右の台頭のなかでの天皇制批判の課題を考える
小倉利丸さん
●憲法の問題としての天皇制批判
現代の天皇制をめぐる重要な課題が2つある。ひとつは憲法の問題としての天皇制だ。どの国の憲法も普遍的な価値を体現する国家の規範と銘打っている。普遍性は超越的な観念を引きずるので、世俗的な姿をとった神を否定できない。「普遍的な価値」はそのままでは国民の共通の観念にはなりえないので、なんらかの具体的なものに置き換えてはじめて合意が得られる。自由、平和、人権など空疎で抽象的な理念だけでは伝わらないので他の国の憲法も、具体的なもの(シンボル)、たとえば記念碑や平和式典に置き換えて絶対的な価値となる。
どの国でもそういうシンボリックな側面をもつが、日本の場合は象徴天皇制である。しかし人間を象徴にしてしまうと、死すべき運命をもち限界もあるので、無理を侵すことになる。また天皇の象徴的な機能に着目すると、1945年を切れ目に想定することはできない。近代日本の統治機構ができた明治期から現代までむしろ一貫している。天皇制を批判するには近代の統治機構そのものを見ないといけない。憲法1-9条をなくせば解決するという問題ではない。
●極右台頭の時代の天皇制批判
もうひとつの課題はポストネオリベラリズムの時代のなかで、世界規模で登場する極右が「メインストリーム」化するなかでの天皇制だ。89年の代替わりとの違いは、ポスト冷戦のグローバリズムの時代に世界的に極右がメインストリームになり始めていることだ。極右は「在来種主義」というか、コミュニティや伝統の維持を重視する。そしてレイシズムを正当化する。日本の特殊性だけでなく、こうした共通した価値観に注目すべきである。
日本が排外主義の近代国家となった前提には、法や政治だけでなく江戸期の鎖国時代に形成され排外主義のベースとなった文化や伝統が形成されていたことを考える必要がある。江戸期は封建制であっても、世界史的にみると初期の資本主義の時代で列強は植民地主義に乗り出していた。明治以前の時期も含めて議論する必要がある。
ネオナチにとっての最大の問題はホロコーストだ。これに対し「ホロコーストはなかった」という歴史修正主義や「もっとひどいのは左翼スターリニズムだ」と相対化してかわす手段を取る。日本でも「戦争犯罪はなかった」と否定したり「美しい国、日本」と文化や伝統を強調し多くの人たちを引き付けようとする。社長個人が入れ替わっても企業の責任は残るのと同様に、戦争犯罪も天皇が代わっても組織責任は残り続ける。日本もヨーロッパ、アメリカでも同じように、文化的一体性をもてない人を排除し、棲み分ける発想をする。日本ではたとえば戦前は「大東亜共栄圏」や「五族協和」というスローガンで、いままで寛容な判断しかしてこなかった。
いま一番議論すべきは「伝統と文化」であり、それをいかに根底から否定するかが問われている。
徳仁天皇で天皇制はどう変わるか――徳仁世代と明仁・裕仁世代の違い
桜井大子さん
徳仁、明仁、裕仁の3代の違いを5つのポイントに整理し、とくに皇室の自律・自立を当然の権利として主張し始めた徳仁の「人格否定」発言(2004年)について詳しく紹介する。
●5つのポイントからみた3代の違い
1 戦後生まれ
当然ながら戦争の記憶がない。また過去の記録は支配層に都合がよいものになっている。文化・伝統に浸る社会になりつつあるので戦後世代はコントロールされやすい。これから1年の代替わりは「君民一体」の歴史づくりの期間として活用されるかもしれない。
2 教育環境
徳仁もパートナーの雅子も留学世代で、西欧型合理主義や民主主義を体得している。それが天皇制の運営に反映し、皇室の政府からの自律・自立を当然の権利として主張し始めるのではなかろうか。
3 軍事・経済的に上り詰め、経済破綻と政治が破綻していく社会を経験する世代
もちろん彼らは翻弄されることがないから安心感があり「持たざる者」がみえないというズレがある。しかし一方ではハイソへの憧憬が芽生えるかもしれない。
4 「国民」との距離
明治憲法の時代でも、いまも戦傷病者や自然災害被災者の慰問はずっと維持している。裕仁の時代は「雲の上の存在」で国民にも「あ、そう」としか答えなかったが、明仁は、「寄り添い、祈る」ことを言い続け、その姿がメディアに映し出され近しい存在として認識されるようになった。徳仁は視覚障がい者のジョギングの伴走を6月に行い、ジョギング後、肩に腕をつかまらせアテンドしたと報道された。こういうことをやり始めている。
5 マスメディアとの距離
裕仁は、戦争責任について「言葉の綾」、原爆投下について「やむを得なかった」と発言するなどいつも失敗してきた。明仁は、カメラやマイクを向けられることに慣れていて意識しながら行動してきた。徳仁はメディアを恐れないどころか、メディアを使う君主として存在するのではなかろうか。
●「人格否定」発言というより「公務見直し」提言
2004年皇室外交で海外出張に出かける前の定例記者会見で、徳仁は雅子の「人格否定」発言をした。当時は、愛子を生んで間もないが「男子を生め」というプレッシャーがかかっていた時期だった。ふだんは行先の国のことやどんな外交をするかということしか言わない会見なのに、いちばん時間を割いたのがこの問題だった。
「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と発言した。
ハーバード、東大を経て外務省からオックスフォードに留学する並大抵ではない努力をし、それを皇室で生かしたいと本人が望んでいるしわたしたち夫婦もその仕事をしたいと思っているのに、彼女には子どもを生むことへの期待しかだれもしないのはどういうことか、と読むべきで「公務見直し」提言だ。かなり政治に踏み込んだ発言だった。
社会の注目度が高く、帰国後もう一度記者会見をやらされ「雅子には、本来の自信と、生き生きとした活力を持って、その経歴を十分に生かし、新しい時代を反映した活動を行ってほしい(中略)公務のあり方も含めて宮内庁ともよく話し合っていきたい」と語った。そして明仁は歴代3代の宮内庁長官を呼び「徳仁の希望である新しい公務について力になってあげるように」と依頼した。
その後、2016年の明仁の「生前退位」ビデオ放送、2018年の秋篠宮「大嘗祭は内廷費で」発言が続く。権威が権力(政治)を動かす、イギリス型皇室に近づいている。民衆に「君民一体」で政府に対峙しているという錯覚を持たせ、今後、天皇尊重、「君民一体」思想が強化される可能性が強い。
天皇制をめぐる3つの現代的情況
北野誉さん
●秋篠宮発言の2つの問題
11月30日に秋篠宮は「大嘗祭は宗教色が強いので宮廷費(国費)でなく内廷費(天皇家の私費)で行うべき」と発言した。これは大嘗祭に多額の金額(前回は22.5億。今回はその1.3倍ともいわれる)を使うという批判に予め釘を刺すアドバルーンの役割を果たした。
この発言の問題は2つある。ひとつは皇室の人間の政治発言というもので、どちらかというと右寄りの論者からの批判だ。先ほどの、皇室の「発言」が政治を動かすのと同じタイプのものである。また秋篠宮は皇嗣として次の次の当事者自身の発言という問題もある。
次に、内廷費であれ宮廷費であれ、出所は税金であり、その線引きは便宜的なものに過ぎないという問題がある。しかし翌日からの各紙社説も秋篠宮発言に沿い、内廷費(私費)なら政教分離が問題にならないという線でまとめるようになり、(8月の同様の発言の際)島薗進氏も歓迎するコメントを出していた。
●平成天皇や皇族の発言を評価する「リベラル」派
護憲平和の平成天皇や皇族の発言を評価する「リベラル」派が多い。なぜ天皇になびくのか。季刊ピープルズ・プラン81号(ピープルズ・プラン研究所 発売 現代企画室 2018年8月)で松井隆志氏が3つの理由を挙げている。
1)「お守り言葉」説 右翼からの攻撃を最小限に防ぐため(例 豊下楢彦「昭和天皇の戦後日本」の後書き 2015)、2)天皇夫妻オルグ説 天皇夫妻と私的に懇談しオルグされた(例 保坂正康「天皇陛下『生前退位』への想い」2016)、3)政治利用説 生なましい政治に対する天皇の発言を持ち上げ、左翼的に「政治利用」する(例 白井聡「国体論」2018)。
この3種に加え、「大衆から遊離したくない説」がある。同じ号で中嶋啓明氏が「日本的状況を見くびった」ことが戦前の共産主義者の転向につながったという吉本隆明の論を踏まえ内田樹は「日本的状況を見くびらない」ことを意識しているというが、かえって「足をすくわれている」と評価している(cf 内田樹「街場の天皇論」の後書き 2017)。また菅孝行「三島由紀夫と天皇」(2018)にも天皇制批判に関し、大衆に届く言葉をというような主張がある。
●象徴天皇制と政教分離
日本国家の宗教的権威としての天皇制批判と同時に、権力として作用する天皇制のあり方批判もしなければいけない。その意味で政教分離の問題は大きい。12月の即位・大嘗祭等違憲差止差止請求訴訟提訴の訴状にも内廷費もやはり公費という問題を取り上げている。
象徴天皇制と政教分離は基本的に矛盾する。天皇教という宗教の役割、国家の宗教性や現在に引き継がれている宗教性とは何か。憲法それ自体がはらむ矛盾をこの裁判を通して問い直していきたい。
国家神道の問題、天皇の戦争責任について
天野恵一さん
この30年「天皇誕生日」にわたしたちが毎年やってきたのは「天皇の戦争責任」追及だった。いちばんよくできていたのは88-89年の「わだつみ会声明」(一次、二次)だった。制度としての天皇の戦争責任だけでなく、昭和天皇讃美も批判しているからだ。
即位式は三種の神器の受け渡し(践祚の儀式)のあと始まる。新嘗祭は毎年宮中の神嘉殿で行われるが、新天皇が初めて行う一代一度の儀式が大嘗祭である。即位式は二十数種の儀式から成るが、すべて神になるための儀式や神になったうえでの儀式であり、大嘗祭のみならず宗教性がない儀式などない。
敗戦後、GHQが神道指令を出し国家神道は解体したが、宮城内の宮中祭祀にはいっさい手をつけずそのまま残した。祭政一致ではないという建前のもとの、祭政一致国家というややこしい構造になっている。
民間の神社本庁という組織(宗教法人)ができたが、全国の神社とつながっているし、靖国神社と厚労省の関係も切れてはいない。天皇崇拝が国家崇拝であるという、宗教教団「天皇教」の祭祀の親玉が国家の中心にいるのだから、民間であっても国家と切れるわけがない。戦後の問題としていえば、天皇教の戦争責任をちゃんと考えなかったことが大きな問題なのだ。国家の中心からだけは、はずさなければいけなかった。
ついでながら宮中三殿や神嘉殿は国家の公有地にある。政教分離はもともと守られていないし、大嘗祭だけが問題なのではない。
このあとの補足、討論、まとめから、わたくしの関心を刺激した発言を少し紹介する。
●宗教や信仰に関して
小倉さんから「政教分離であれ天皇教であれ、宗教とは何かをきちんと考える必要がある。無神論者、無宗教であっても、神が存在しない、あるいは神を否定するとはどういうことなのか、きちんと説明できないといけない」との提起があった。
直接の応答ではないが、北野さんから「つきあいや習俗として葬式に出ることはある。大嘗祭に関し、マスコミが「儀式」の紹介として歴史や伝統に重点を置きながら今後何度も取り上げるだろう。戦前の布教は学校だったが、いまはマスコミが天皇教布教の信徒となる」とのコメントがあった。会場から「天皇制と神の問題の関連」や信仰や宗教の問題への言及が何人かからあった。たしかに手に負えないほど大きな問題だ。
●天皇制の問題を天皇のパーソナリティの問題として考えるか、制度の問題と考えるか
これも小倉さんから「天皇制を、たれがなってもその制度を維持できる制度、再生産される仕組みをどう考えるか、またその時代、時代に天皇になる人間のパーソナリティの仕組みを議論に乗せなければいけない」との提起があった。
パーソナリティに限定した受け答えではなかったが、桜井さんから「女性は結婚して入った家のしきたりに従わねばならない。天皇教を否定できない。そこで自分の「信仰の自由」とは別に、仕事として皇室祭祀をやらされる矛盾がある」という発言、天野さんから「雅子のノイローゼだけでなく、美智子も宮中祭祀の「お浄め」がいやでノイローゼになったことを小山いと子が「美智子さま」という連載小説で書いたことがあった(後に連載中止)。民間出身の若い女性が「神の一族」に入っていくのは結構大変だろう。王権で、人格と制度は不可分一体の関係だということを考える必要がある」との発言があった。会場の女性から「天皇制のなかの女性のはたらき」の問題、雅子・紀子世代がどのように、安倍が目指す家庭教育や家族政策に役割を果たすのかという問題が提起された。
●宮中三殿が公有地に存在することとの関連で、毎年行う新嘗祭も費用は国費、支えるのは公務員だし、三権の長はじめ国のトップクラスが参列している、また皇室のメンバーが外遊するとき必ず三殿にごあいさつに伺う仕組みがあり、あの場所は日常的に使用されているとの指摘があった。
参加者から「天皇制、死刑制度、安保などの世論調査結果をみると80-90%が賛成している。吉本の転向論の話があったが、転向しなくてすむことができるのか。孤立感に耐えて生きていくことを決意表明する」との感想の発言があった。今年も厳しそうな情勢ではあるが、わたくしも続けていきたいと思う。
30年前の昭和から平成へのときは、昨年11月の「スタートした即位大嘗祭違憲訴訟の会」の記事にも書いたが、前年秋から異様な状況が引き起こされた。
今回は、討論集会での発言にもあったが、いわゆる「リベラル派」から反対意見が出ないことが「異様」である。逆に30年前は天皇の戦争責任について戦後最大規模の「批判が噴出」し、長崎市長の銃撃事件(90年1月)まであった。
「平成」最後の天皇誕生日に早稲田の日本キリスト教会館で「12.23反天連討論集会『代替わり』状況へ」という集会が開催された。周辺の道路は機動隊で封鎖され、その向こうからウヨクの怒声が聞こえてくるいつもの情勢だった。
パネリストは天野恵一さん、小倉利丸さん、北野誉さん、桜井大子さん、司会は、のむらともゆきさんだった。
1人20分ずつ意見を述べ、その後、補足などがもう一巡あり、会場の参加者と質疑応答し、最後に一言ずつ締めくくりの発言を行う形式で進んだ。
☆写真は意図して加工してあります
劣化する近代の価値とグローバルな極右の台頭のなかでの天皇制批判の課題を考える
小倉利丸さん
●憲法の問題としての天皇制批判
現代の天皇制をめぐる重要な課題が2つある。ひとつは憲法の問題としての天皇制だ。どの国の憲法も普遍的な価値を体現する国家の規範と銘打っている。普遍性は超越的な観念を引きずるので、世俗的な姿をとった神を否定できない。「普遍的な価値」はそのままでは国民の共通の観念にはなりえないので、なんらかの具体的なものに置き換えてはじめて合意が得られる。自由、平和、人権など空疎で抽象的な理念だけでは伝わらないので他の国の憲法も、具体的なもの(シンボル)、たとえば記念碑や平和式典に置き換えて絶対的な価値となる。
どの国でもそういうシンボリックな側面をもつが、日本の場合は象徴天皇制である。しかし人間を象徴にしてしまうと、死すべき運命をもち限界もあるので、無理を侵すことになる。また天皇の象徴的な機能に着目すると、1945年を切れ目に想定することはできない。近代日本の統治機構ができた明治期から現代までむしろ一貫している。天皇制を批判するには近代の統治機構そのものを見ないといけない。憲法1-9条をなくせば解決するという問題ではない。
●極右台頭の時代の天皇制批判
もうひとつの課題はポストネオリベラリズムの時代のなかで、世界規模で登場する極右が「メインストリーム」化するなかでの天皇制だ。89年の代替わりとの違いは、ポスト冷戦のグローバリズムの時代に世界的に極右がメインストリームになり始めていることだ。極右は「在来種主義」というか、コミュニティや伝統の維持を重視する。そしてレイシズムを正当化する。日本の特殊性だけでなく、こうした共通した価値観に注目すべきである。
日本が排外主義の近代国家となった前提には、法や政治だけでなく江戸期の鎖国時代に形成され排外主義のベースとなった文化や伝統が形成されていたことを考える必要がある。江戸期は封建制であっても、世界史的にみると初期の資本主義の時代で列強は植民地主義に乗り出していた。明治以前の時期も含めて議論する必要がある。
ネオナチにとっての最大の問題はホロコーストだ。これに対し「ホロコーストはなかった」という歴史修正主義や「もっとひどいのは左翼スターリニズムだ」と相対化してかわす手段を取る。日本でも「戦争犯罪はなかった」と否定したり「美しい国、日本」と文化や伝統を強調し多くの人たちを引き付けようとする。社長個人が入れ替わっても企業の責任は残るのと同様に、戦争犯罪も天皇が代わっても組織責任は残り続ける。日本もヨーロッパ、アメリカでも同じように、文化的一体性をもてない人を排除し、棲み分ける発想をする。日本ではたとえば戦前は「大東亜共栄圏」や「五族協和」というスローガンで、いままで寛容な判断しかしてこなかった。
いま一番議論すべきは「伝統と文化」であり、それをいかに根底から否定するかが問われている。
徳仁天皇で天皇制はどう変わるか――徳仁世代と明仁・裕仁世代の違い
桜井大子さん
徳仁、明仁、裕仁の3代の違いを5つのポイントに整理し、とくに皇室の自律・自立を当然の権利として主張し始めた徳仁の「人格否定」発言(2004年)について詳しく紹介する。
●5つのポイントからみた3代の違い
1 戦後生まれ
当然ながら戦争の記憶がない。また過去の記録は支配層に都合がよいものになっている。文化・伝統に浸る社会になりつつあるので戦後世代はコントロールされやすい。これから1年の代替わりは「君民一体」の歴史づくりの期間として活用されるかもしれない。
2 教育環境
徳仁もパートナーの雅子も留学世代で、西欧型合理主義や民主主義を体得している。それが天皇制の運営に反映し、皇室の政府からの自律・自立を当然の権利として主張し始めるのではなかろうか。
3 軍事・経済的に上り詰め、経済破綻と政治が破綻していく社会を経験する世代
もちろん彼らは翻弄されることがないから安心感があり「持たざる者」がみえないというズレがある。しかし一方ではハイソへの憧憬が芽生えるかもしれない。
4 「国民」との距離
明治憲法の時代でも、いまも戦傷病者や自然災害被災者の慰問はずっと維持している。裕仁の時代は「雲の上の存在」で国民にも「あ、そう」としか答えなかったが、明仁は、「寄り添い、祈る」ことを言い続け、その姿がメディアに映し出され近しい存在として認識されるようになった。徳仁は視覚障がい者のジョギングの伴走を6月に行い、ジョギング後、肩に腕をつかまらせアテンドしたと報道された。こういうことをやり始めている。
5 マスメディアとの距離
裕仁は、戦争責任について「言葉の綾」、原爆投下について「やむを得なかった」と発言するなどいつも失敗してきた。明仁は、カメラやマイクを向けられることに慣れていて意識しながら行動してきた。徳仁はメディアを恐れないどころか、メディアを使う君主として存在するのではなかろうか。
●「人格否定」発言というより「公務見直し」提言
2004年皇室外交で海外出張に出かける前の定例記者会見で、徳仁は雅子の「人格否定」発言をした。当時は、愛子を生んで間もないが「男子を生め」というプレッシャーがかかっていた時期だった。ふだんは行先の国のことやどんな外交をするかということしか言わない会見なのに、いちばん時間を割いたのがこの問題だった。
「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と発言した。
ハーバード、東大を経て外務省からオックスフォードに留学する並大抵ではない努力をし、それを皇室で生かしたいと本人が望んでいるしわたしたち夫婦もその仕事をしたいと思っているのに、彼女には子どもを生むことへの期待しかだれもしないのはどういうことか、と読むべきで「公務見直し」提言だ。かなり政治に踏み込んだ発言だった。
社会の注目度が高く、帰国後もう一度記者会見をやらされ「雅子には、本来の自信と、生き生きとした活力を持って、その経歴を十分に生かし、新しい時代を反映した活動を行ってほしい(中略)公務のあり方も含めて宮内庁ともよく話し合っていきたい」と語った。そして明仁は歴代3代の宮内庁長官を呼び「徳仁の希望である新しい公務について力になってあげるように」と依頼した。
その後、2016年の明仁の「生前退位」ビデオ放送、2018年の秋篠宮「大嘗祭は内廷費で」発言が続く。権威が権力(政治)を動かす、イギリス型皇室に近づいている。民衆に「君民一体」で政府に対峙しているという錯覚を持たせ、今後、天皇尊重、「君民一体」思想が強化される可能性が強い。
天皇制をめぐる3つの現代的情況
北野誉さん
●秋篠宮発言の2つの問題
11月30日に秋篠宮は「大嘗祭は宗教色が強いので宮廷費(国費)でなく内廷費(天皇家の私費)で行うべき」と発言した。これは大嘗祭に多額の金額(前回は22.5億。今回はその1.3倍ともいわれる)を使うという批判に予め釘を刺すアドバルーンの役割を果たした。
この発言の問題は2つある。ひとつは皇室の人間の政治発言というもので、どちらかというと右寄りの論者からの批判だ。先ほどの、皇室の「発言」が政治を動かすのと同じタイプのものである。また秋篠宮は皇嗣として次の次の当事者自身の発言という問題もある。
次に、内廷費であれ宮廷費であれ、出所は税金であり、その線引きは便宜的なものに過ぎないという問題がある。しかし翌日からの各紙社説も秋篠宮発言に沿い、内廷費(私費)なら政教分離が問題にならないという線でまとめるようになり、(8月の同様の発言の際)島薗進氏も歓迎するコメントを出していた。
●平成天皇や皇族の発言を評価する「リベラル」派
護憲平和の平成天皇や皇族の発言を評価する「リベラル」派が多い。なぜ天皇になびくのか。季刊ピープルズ・プラン81号(ピープルズ・プラン研究所 発売 現代企画室 2018年8月)で松井隆志氏が3つの理由を挙げている。
1)「お守り言葉」説 右翼からの攻撃を最小限に防ぐため(例 豊下楢彦「昭和天皇の戦後日本」の後書き 2015)、2)天皇夫妻オルグ説 天皇夫妻と私的に懇談しオルグされた(例 保坂正康「天皇陛下『生前退位』への想い」2016)、3)政治利用説 生なましい政治に対する天皇の発言を持ち上げ、左翼的に「政治利用」する(例 白井聡「国体論」2018)。
この3種に加え、「大衆から遊離したくない説」がある。同じ号で中嶋啓明氏が「日本的状況を見くびった」ことが戦前の共産主義者の転向につながったという吉本隆明の論を踏まえ内田樹は「日本的状況を見くびらない」ことを意識しているというが、かえって「足をすくわれている」と評価している(cf 内田樹「街場の天皇論」の後書き 2017)。また菅孝行「三島由紀夫と天皇」(2018)にも天皇制批判に関し、大衆に届く言葉をというような主張がある。
●象徴天皇制と政教分離
日本国家の宗教的権威としての天皇制批判と同時に、権力として作用する天皇制のあり方批判もしなければいけない。その意味で政教分離の問題は大きい。12月の即位・大嘗祭等違憲差止差止請求訴訟提訴の訴状にも内廷費もやはり公費という問題を取り上げている。
象徴天皇制と政教分離は基本的に矛盾する。天皇教という宗教の役割、国家の宗教性や現在に引き継がれている宗教性とは何か。憲法それ自体がはらむ矛盾をこの裁判を通して問い直していきたい。
国家神道の問題、天皇の戦争責任について
天野恵一さん
この30年「天皇誕生日」にわたしたちが毎年やってきたのは「天皇の戦争責任」追及だった。いちばんよくできていたのは88-89年の「わだつみ会声明」(一次、二次)だった。制度としての天皇の戦争責任だけでなく、昭和天皇讃美も批判しているからだ。
即位式は三種の神器の受け渡し(践祚の儀式)のあと始まる。新嘗祭は毎年宮中の神嘉殿で行われるが、新天皇が初めて行う一代一度の儀式が大嘗祭である。即位式は二十数種の儀式から成るが、すべて神になるための儀式や神になったうえでの儀式であり、大嘗祭のみならず宗教性がない儀式などない。
敗戦後、GHQが神道指令を出し国家神道は解体したが、宮城内の宮中祭祀にはいっさい手をつけずそのまま残した。祭政一致ではないという建前のもとの、祭政一致国家というややこしい構造になっている。
民間の神社本庁という組織(宗教法人)ができたが、全国の神社とつながっているし、靖国神社と厚労省の関係も切れてはいない。天皇崇拝が国家崇拝であるという、宗教教団「天皇教」の祭祀の親玉が国家の中心にいるのだから、民間であっても国家と切れるわけがない。戦後の問題としていえば、天皇教の戦争責任をちゃんと考えなかったことが大きな問題なのだ。国家の中心からだけは、はずさなければいけなかった。
ついでながら宮中三殿や神嘉殿は国家の公有地にある。政教分離はもともと守られていないし、大嘗祭だけが問題なのではない。
このあとの補足、討論、まとめから、わたくしの関心を刺激した発言を少し紹介する。
●宗教や信仰に関して
小倉さんから「政教分離であれ天皇教であれ、宗教とは何かをきちんと考える必要がある。無神論者、無宗教であっても、神が存在しない、あるいは神を否定するとはどういうことなのか、きちんと説明できないといけない」との提起があった。
直接の応答ではないが、北野さんから「つきあいや習俗として葬式に出ることはある。大嘗祭に関し、マスコミが「儀式」の紹介として歴史や伝統に重点を置きながら今後何度も取り上げるだろう。戦前の布教は学校だったが、いまはマスコミが天皇教布教の信徒となる」とのコメントがあった。会場から「天皇制と神の問題の関連」や信仰や宗教の問題への言及が何人かからあった。たしかに手に負えないほど大きな問題だ。
●天皇制の問題を天皇のパーソナリティの問題として考えるか、制度の問題と考えるか
これも小倉さんから「天皇制を、たれがなってもその制度を維持できる制度、再生産される仕組みをどう考えるか、またその時代、時代に天皇になる人間のパーソナリティの仕組みを議論に乗せなければいけない」との提起があった。
パーソナリティに限定した受け答えではなかったが、桜井さんから「女性は結婚して入った家のしきたりに従わねばならない。天皇教を否定できない。そこで自分の「信仰の自由」とは別に、仕事として皇室祭祀をやらされる矛盾がある」という発言、天野さんから「雅子のノイローゼだけでなく、美智子も宮中祭祀の「お浄め」がいやでノイローゼになったことを小山いと子が「美智子さま」という連載小説で書いたことがあった(後に連載中止)。民間出身の若い女性が「神の一族」に入っていくのは結構大変だろう。王権で、人格と制度は不可分一体の関係だということを考える必要がある」との発言があった。会場の女性から「天皇制のなかの女性のはたらき」の問題、雅子・紀子世代がどのように、安倍が目指す家庭教育や家族政策に役割を果たすのかという問題が提起された。
●宮中三殿が公有地に存在することとの関連で、毎年行う新嘗祭も費用は国費、支えるのは公務員だし、三権の長はじめ国のトップクラスが参列している、また皇室のメンバーが外遊するとき必ず三殿にごあいさつに伺う仕組みがあり、あの場所は日常的に使用されているとの指摘があった。
参加者から「天皇制、死刑制度、安保などの世論調査結果をみると80-90%が賛成している。吉本の転向論の話があったが、転向しなくてすむことができるのか。孤立感に耐えて生きていくことを決意表明する」との感想の発言があった。今年も厳しそうな情勢ではあるが、わたくしも続けていきたいと思う。