10月4日(土)午後、水島朝穂早稲田大学教授の「時代・社会を憲法で検証する――マスコミの各種報道を素材に」という講演を聞いた(主催:法学館憲法研究所)。
水島教授はNHKラジオ第一放送の「新聞を読んで」に11年も出演している。この番組の放送は土曜の早朝5時35分から18分(正味12分25秒)、出演者は合計15人、東京制作と大阪制作が交互に行われるので、出演するのはおおむね3か月に一度である。内容は直前1週間分の新聞記事を素材にした社会時評で、在京5紙のほか、東京、北海道など地方紙を必ず1紙入れるようにしているとのことだった。
<教授の話は、重大ニュースは意図的につくることができるという話から始まった。1994年2月3日未明、細川護煕首相が突如記者会見を開き消費税3%を7%に引き上げる国民福祉税構想を発表した。なぜ深夜1時前に発表したかというと、翌朝朝刊の締切に間に合わせるためだった。記者に判断する時間を与えず、1面トップを取るための策略だった(なお構想そのものは34時間後に撤回された)。大ニュースが意図的に権力に作られる見本である。
講演のなかで、もっとも聞きごたえがあったのは「忘却力に抗する憲法」という話だった。
アドルフ・ヒトラーの『わが闘争』に「大衆の受容能力は非常に限られており、理解力は小さいが、そのかわりに忘却力は大きい」という言葉が出てくる。憲法は「忘れる」という人間の本性を熟知したうえで、過去の過ちを繰り返さぬよう反省し体系的に整理し権力に突きつけた規範といえる。
そして、憲法のいくつかの条文を例として紹介された。
1 自衛のために交戦権をもつのは当然なのに、9条2項でわざわざ放棄したのは敗戦の反省にたつものだ。
2 人権条項の後半31~40条は刑事手続きである。よその国なら刑事訴訟法にだけ書かれることをわざわざ憲法に入れているのは、戦前の特高警察を反省したものだ。
3 96条「改憲の手続き」では、憲法改正の発議は両議院でそれぞれ「総議員の3分の2」の賛成、かつ承認は国民投票での過半数の賛成と、非常に厳しいハードルを設けている。それはあの軍人や特高がのさばる社会には2度と戻さぬための歯止めである。
4 92条地方自治の基本原則には「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める」とある。逆にいうと、これは 「地方自治の本旨に基」づかない法律は違憲ということを意味する。
5 44条「議員及び選挙人の資格」は「両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならない」とある。「但し」以下は14条「法の下の平等」とほぼ同文だ。大日本帝国憲法下では、選挙人の資格は1890年には直接国税の納税額15円以上で25歳以上の男子のみだった。金額は徐々に引き下げられ1925年に普通選挙となったが、女子には選挙権はなかった。この差別の反省に立って出来たのが44条の文言なのである。
6 38条「不利益な供述の強要禁止、自白の証拠能力」の、とくに3項で「本人の自白だけでは、有罪とされ、又は刑罰を科せられない」としている。捜査を疑いの目で見る憲法制定者の工夫である。現代でも2003年の志布志事件で「踏み字」強要や長期拘留による自白強要が問題になった。
2番目に重点を置いて話されたのは、来年導入される裁判員制度への危惧の念だった。メディアの後押しで、刑事裁判がワイドショー化し、世論は厳罰化の傾向を強めている。その影響で、2007年暮れ、厳罰化の世論を察知した福岡地裁が交通事故の訴因追加を命じた。光市事件で、最高裁は06年6月控訴審判決(無期懲役)の破棄・差し戻しを命じ、07年4月広島高裁は元少年に死刑判決を言い渡した。この光市裁判で、橋下徹弁護士(現・大阪府知事)がテレビ番組で弁護団の懲戒請求を呼び掛け、弁護士会に懲戒請求が殺到した(なお懲戒請求を提出された4弁護士の橋下知事への損害賠償請求訴訟で広島地裁は10月2日計800万円の支払いを命じる判決を下した)。
こういう状況下で来年5月から裁判員制度が始まる。今月15日までに各選挙管理委員会から裁判所に候補者予定者名簿が提出され、候補者には年末までに調査票が送付されるなど、準備は着々と進んでいる。
裁判員制度は、裁判官制・陪審制・参審制の3つを足して割りよいところをそぎ落とした制度といわれる。アメリカの陪審制は12人の一般市民が有罪か無罪かのみ判断する。裁判員制は人数を6人に半減し、一般市民に全犯罪のなかで2.7%(2643件)しかない凶悪犯罪の罪責認定(有罪か無罪)のみならず、市民に無期か死刑かといった量刑まで悩ませる制度にした。参審制は、専門家が助言する司法制度で、裁判官の職権主義制度のなかで機能する。一方、公判前整理手続や、多忙な裁判員への配慮としての審理の迅速性の重視が、被告人にマイナスに働くこともありうる。
こうしたなかで裁判員制度を開始すると「市民が市民の自由を減らすこともありうる」とその危険性を強調された。
こう書くと、メディアの弊害のみお話されたようにみえるが、水島教授は「ジャーナリズムの創造的挑戦」ということで2つの地方新聞社の卓抜な試みを紹介された。
ひとつは中国新聞労組が被爆50周年の1995年に発刊した「1945年8月7日付け」ヒロシマ新聞である。中国新聞は原爆のため8月7日の朝刊を実際には発行できなかった。1面には「新型爆弾、広島壊滅」の大見出しの写真入り記事、5面にはトルーマン大統領声明(全文)まで掲載され、昨日起きた事件のようにリアルに原爆の恐ろしさが伝わってくる。もうひとつは琉球新報が沖縄戦60年の2005年を契機に作成した「沖縄戦新聞」である。2004年7月の「サイパン陥落」から2005年9月の「日本守備軍が降伏」まで14号発行された。「対馬丸沈没」では行方不明者名簿が掲載されており、「10・10空襲」では「牛島満・32軍司令官主催の宴会が沖縄ホテルで行われていた」「10日から予定されていた兵棋演習(戦術研究)を中止した」といったベタ記事まで出ている。
水島教授は、その新聞の現物を持参された。本物の新聞紙面と同じ体裁をとっており、リアルで迫力があった。過去を民衆の視点で振り返り、未来に生かそうとする新聞社や労組の姿勢がはっきりみえる試みである。
☆もりだくさんの事例紹介かつやや早口なので、論理展開にこちらの頭がついていけないところもあった。しかし、充実した講演だった。憲法は国家権力に枠をはめ、国民に対する権利侵害を防ぐ規範ということは知っていた。ただ人権条項のうちの刑事手続き、選挙権など条文との具体的関連は初めて知った。
☆水島教授のHPで、村山知義が鎌倉アカデミアの演劇科長をしていた話が少し出ていた。1945年12月朝鮮から帰国した村山は49年まで鎌倉・長谷に在住した。わたくしが敬愛する脚本家・劇作家 内田栄一氏も鎌倉アカデミア出身だったはずである。内田は鎌倉アカデミアでいったい何を学び、新日本文学への道をたどったのかそのうち調べてみたい。
●2008.11.17追記 この記事は読者からクレームがつき修正した。修正の過程で主催者の協力が得られたので、心より謝意を表する。
水島教授はNHKラジオ第一放送の「新聞を読んで」に11年も出演している。この番組の放送は土曜の早朝5時35分から18分(正味12分25秒)、出演者は合計15人、東京制作と大阪制作が交互に行われるので、出演するのはおおむね3か月に一度である。内容は直前1週間分の新聞記事を素材にした社会時評で、在京5紙のほか、東京、北海道など地方紙を必ず1紙入れるようにしているとのことだった。
<教授の話は、重大ニュースは意図的につくることができるという話から始まった。1994年2月3日未明、細川護煕首相が突如記者会見を開き消費税3%を7%に引き上げる国民福祉税構想を発表した。なぜ深夜1時前に発表したかというと、翌朝朝刊の締切に間に合わせるためだった。記者に判断する時間を与えず、1面トップを取るための策略だった(なお構想そのものは34時間後に撤回された)。大ニュースが意図的に権力に作られる見本である。
講演のなかで、もっとも聞きごたえがあったのは「忘却力に抗する憲法」という話だった。
アドルフ・ヒトラーの『わが闘争』に「大衆の受容能力は非常に限られており、理解力は小さいが、そのかわりに忘却力は大きい」という言葉が出てくる。憲法は「忘れる」という人間の本性を熟知したうえで、過去の過ちを繰り返さぬよう反省し体系的に整理し権力に突きつけた規範といえる。
そして、憲法のいくつかの条文を例として紹介された。
1 自衛のために交戦権をもつのは当然なのに、9条2項でわざわざ放棄したのは敗戦の反省にたつものだ。
2 人権条項の後半31~40条は刑事手続きである。よその国なら刑事訴訟法にだけ書かれることをわざわざ憲法に入れているのは、戦前の特高警察を反省したものだ。
3 96条「改憲の手続き」では、憲法改正の発議は両議院でそれぞれ「総議員の3分の2」の賛成、かつ承認は国民投票での過半数の賛成と、非常に厳しいハードルを設けている。それはあの軍人や特高がのさばる社会には2度と戻さぬための歯止めである。
4 92条地方自治の基本原則には「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める」とある。逆にいうと、これは 「地方自治の本旨に基」づかない法律は違憲ということを意味する。
5 44条「議員及び選挙人の資格」は「両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならない」とある。「但し」以下は14条「法の下の平等」とほぼ同文だ。大日本帝国憲法下では、選挙人の資格は1890年には直接国税の納税額15円以上で25歳以上の男子のみだった。金額は徐々に引き下げられ1925年に普通選挙となったが、女子には選挙権はなかった。この差別の反省に立って出来たのが44条の文言なのである。
6 38条「不利益な供述の強要禁止、自白の証拠能力」の、とくに3項で「本人の自白だけでは、有罪とされ、又は刑罰を科せられない」としている。捜査を疑いの目で見る憲法制定者の工夫である。現代でも2003年の志布志事件で「踏み字」強要や長期拘留による自白強要が問題になった。
2番目に重点を置いて話されたのは、来年導入される裁判員制度への危惧の念だった。メディアの後押しで、刑事裁判がワイドショー化し、世論は厳罰化の傾向を強めている。その影響で、2007年暮れ、厳罰化の世論を察知した福岡地裁が交通事故の訴因追加を命じた。光市事件で、最高裁は06年6月控訴審判決(無期懲役)の破棄・差し戻しを命じ、07年4月広島高裁は元少年に死刑判決を言い渡した。この光市裁判で、橋下徹弁護士(現・大阪府知事)がテレビ番組で弁護団の懲戒請求を呼び掛け、弁護士会に懲戒請求が殺到した(なお懲戒請求を提出された4弁護士の橋下知事への損害賠償請求訴訟で広島地裁は10月2日計800万円の支払いを命じる判決を下した)。
こういう状況下で来年5月から裁判員制度が始まる。今月15日までに各選挙管理委員会から裁判所に候補者予定者名簿が提出され、候補者には年末までに調査票が送付されるなど、準備は着々と進んでいる。
裁判員制度は、裁判官制・陪審制・参審制の3つを足して割りよいところをそぎ落とした制度といわれる。アメリカの陪審制は12人の一般市民が有罪か無罪かのみ判断する。裁判員制は人数を6人に半減し、一般市民に全犯罪のなかで2.7%(2643件)しかない凶悪犯罪の罪責認定(有罪か無罪)のみならず、市民に無期か死刑かといった量刑まで悩ませる制度にした。参審制は、専門家が助言する司法制度で、裁判官の職権主義制度のなかで機能する。一方、公判前整理手続や、多忙な裁判員への配慮としての審理の迅速性の重視が、被告人にマイナスに働くこともありうる。
こうしたなかで裁判員制度を開始すると「市民が市民の自由を減らすこともありうる」とその危険性を強調された。
こう書くと、メディアの弊害のみお話されたようにみえるが、水島教授は「ジャーナリズムの創造的挑戦」ということで2つの地方新聞社の卓抜な試みを紹介された。
ひとつは中国新聞労組が被爆50周年の1995年に発刊した「1945年8月7日付け」ヒロシマ新聞である。中国新聞は原爆のため8月7日の朝刊を実際には発行できなかった。1面には「新型爆弾、広島壊滅」の大見出しの写真入り記事、5面にはトルーマン大統領声明(全文)まで掲載され、昨日起きた事件のようにリアルに原爆の恐ろしさが伝わってくる。もうひとつは琉球新報が沖縄戦60年の2005年を契機に作成した「沖縄戦新聞」である。2004年7月の「サイパン陥落」から2005年9月の「日本守備軍が降伏」まで14号発行された。「対馬丸沈没」では行方不明者名簿が掲載されており、「10・10空襲」では「牛島満・32軍司令官主催の宴会が沖縄ホテルで行われていた」「10日から予定されていた兵棋演習(戦術研究)を中止した」といったベタ記事まで出ている。
水島教授は、その新聞の現物を持参された。本物の新聞紙面と同じ体裁をとっており、リアルで迫力があった。過去を民衆の視点で振り返り、未来に生かそうとする新聞社や労組の姿勢がはっきりみえる試みである。
☆もりだくさんの事例紹介かつやや早口なので、論理展開にこちらの頭がついていけないところもあった。しかし、充実した講演だった。憲法は国家権力に枠をはめ、国民に対する権利侵害を防ぐ規範ということは知っていた。ただ人権条項のうちの刑事手続き、選挙権など条文との具体的関連は初めて知った。
☆水島教授のHPで、村山知義が鎌倉アカデミアの演劇科長をしていた話が少し出ていた。1945年12月朝鮮から帰国した村山は49年まで鎌倉・長谷に在住した。わたくしが敬愛する脚本家・劇作家 内田栄一氏も鎌倉アカデミア出身だったはずである。内田は鎌倉アカデミアでいったい何を学び、新日本文学への道をたどったのかそのうち調べてみたい。
●2008.11.17追記 この記事は読者からクレームがつき修正した。修正の過程で主催者の協力が得られたので、心より謝意を表する。