8月27日布川事件国賠訴訟の控訴審判決があり、結果は完全勝訴だった。報告集会の冒頭、櫻井昌司さんは「いままで何度も判決や決定を聞いたが、今日の判決ほど胸がすく判決はない。皆さん本当にありがとうございました」と述べた。
布川事件は、1967年8月30日朝、茨城県北相馬郡利根町布川で、独り暮らしの男性(62歳)が殺害され、桜井昌司さん(当時20歳)と杉山卓男さん(当時21歳)の2人の若者が別件逮捕され、警察と検事の厳しい追及でウソの自白をし、それがもとで78年無期懲役が確定した冤罪事件である。刑期終了後の96年仮出所、2度目の再審請求で2010年裁判が始まり11年5月無罪判決が確定した。桜井さんは2012年茨城県と国を相手取り国家賠償請求訴訟を起こした。杉山さんはこの訴訟には加わらず15年10月病死した。
国賠訴訟は13年3月に東京地裁で第1回口頭弁論、18年9月結審、19年5月判決、捜査・公判活動の違法、検察官の証拠開示義務を認める勝訴判決だった。控訴審は19年6月に始まり2回の口頭弁論を経て20年12月結審、本当は21年6月25日が判決予定日だったがコロナで延び、8月27日判決の日を迎えた。
わたくしは布川事件についてあまり詳しく知らないが、2010年12月の人権と報道連絡会のシンポジウム「検察の冤罪作りとメディア」で故・杉山卓男さんの「(村木事件の)FD改竄のようなことはいま始まったことではない。前代未聞でもなんでもない。今まで発覚しなかっただけだ。冤罪はうその自白を強要し、証拠改竄するところから生まれる」という発言を聞いた。また昨年の多田謡子賞受賞発表会の青木惠子さんのスピーチで「無期懲役の一審判決で絶望していたころ、櫻井さんが面会にきてくれて『自分は29年獄中にいた。次は青木さんが面会をすればいい』といわれ希望をもらったことがずっと忘れられない」と語ったことを覚えている。
わたしはこの日裁判所前宣伝にも、判決言い渡しにも、裁判所前のミニ報告集会にも出席していない。13時から日比谷図書文化館地下大ホールで行われた報告集会(主催:冤罪・布川事件の国家賠償請求訴訟を支援する会)に参加しただけである。
この集会は、記者会見を兼ねたものだった。200席ほどの大きさだが、コロナ禍で席数を半分に減らした集会になった。おそらく1/4くらいがマスコミ関係者だったのではないかと思われる。
判決要旨(民事20部村上正敏裁判長)と弁護団声明が配布された。判決は本文83pもあるそうで、谷萩(やはぎ)陽一弁護団長からポイントについて解説があった。
完全勝利、全面勝利といってよい判決だ。
自白は、虚偽の自白で違法な自白だった。そうすると櫻井さん杉山さんの自白、警察での自白も検察官の下での自白も使えないものだった。使えないものを使い逮捕状を請求しているから、逮捕状は取れなかったはずだ。逮捕できなかったから勾留もできなかった。ということは起訴もできなかったし、有罪判決もなかったことになる。最初の虚偽の自白をさせた違法な取り調べが原因となっていたということで、最終無罪になるまでの全部の過程で生じた損害を賠償しなさいと、一審判決とほとんど変わらない七千数百万という賠償を認めている。
H警察官は、ポリグラフのことに関し、あたかも科学的なもので真実が明らかになるかのように思われていることをうまく利用し、櫻井さんが当時若く20歳でそんなことわからないのに「これが正しいのだろう」と思っていることを利用して、「ポリグラフでウソと出た」と言ったために強い心理的動揺をし、直後に自白した。櫻井さんがずっと言っていることだが、それを裁判官が認めてくれた。
また一審で検察の違法は認定されなかった。Y検察官は、櫻井さんの主張するアリバイに関し、兄が住んでいた野方の光明荘に行ったわけでもないのに(本当は渡れるのに)「あそこは渡れないぞ。お前の言っていることはウソだ」と言って、虚偽の事実を告げて調べた。
杉山さんの裁判で、裁判官や弁護士などもいる場で「お前がやっていないというならやっていないことを証明しろ」と言っている。まるで立証責任は検察官にあることを無視するがごとく高圧的な態度を示した。櫻井さんや杉山さんの取り調べでも、きっと高圧的だったのだろうと推認できるとまで言ってくれた。検察の取り調べが違法な行為と認められた。
櫻井さんを囲む弁護団
NHK、共同、朝日など8社10人の記者から質疑応答があった。裁判所2階の会見室で行われる記者会見は何度か聞いたことがあるが、それより熱心だった。そのなかから2つ紹介する。
Q 一審では「すべての証拠を開示せよ」という文言があったが今回は言及されなかった。
谷萩●判決に書かれてはいないが、訂正もしていないので一審判決が維持されたと受け止めている。なおこの裁判は損害賠償請求訴訟なので、はじめの捜査の段階の自白が違法だったことからすべての損害賠償が生じるとしたので、起訴の違法や証拠開示について判断する必要がなくなった。制度の仕組みからこういう結果になることはやむをえない。逆に、高裁は地裁の判断を否定したわけではない。高裁は別の理由で賠償を認めた。
Q 一審判決より賠償額が200万円ほど減額になっている理由は?
上野弁護士●仮釈放後、十分働けなかった逸失利益の計算が高裁で変わったため200万ほど減った。逆に、(損害賠償の起点が)一審では1973年からだったが、控訴審では取り調べの最初から違法と認めたので身柄拘束の1967年から認められたのはよかった。ただ刑事補償の分は金額に反映されない。
このあと13人の弁護士全員からそれぞれの自己紹介とコメントがあった。これは珍しい。布川事件に関わって40年の方から5年くらいの方までさまざまだった。国賠訴訟では、捜査の違法、起訴の違法、公判の違法の3つの柱があり、それぞれ問題点を分担し担当していたようだった。今回の判決文に反映された人、されなかった人いろいろだが、心血を注いで仕事を遂行されたことがよくわかった。それだけ緻密に調べたので「完全勝訴」という結果に結びついたのだろう。
支援の会、冤罪事件研究者などからの質疑やコメントもあった。
冤罪を闘い54年の櫻井さんのことばには、やや極端に感じる意見もあったが、しかし冤罪を受け54年も苦しんだ人ならではの言葉だったので3つ紹介する。
●なぜこんなに公然と、ウソが当たり前のように報道されたり思われたりする国家なんだ。日本はあまりにもひどすぎる。平然と誤りを侵しておいて何もあやまらない。54年も延々とムダな労力を使える国家ってなんなんだ、しかも税金を使って。
勝つのはうれしい。しかし勝って検察官の懐が痛むのか、警察官の懐が痛むのか、なんの影響もないではないか。これ、いったいなんだろう。勝っても怒りがわいてくるのは不思議ですよね。
わたしたちはどこかでこの誤ちをちゃんと糺(ただ)せるような国にしないといけないのではないかと思った。
●警察は冤罪をつくる仕事だと思わないといけない。自分たちが疑っているやつならみんな悪いやつだとしか思わない。そういう人たちが調べるとどういうことが起こるか。肉体的精神的にとにかくダメージを与えるのが長い長い日本の伝統ではないか。それがいまでも続いている。警察に逮捕権を与え調べをさせるということは、冤罪をつくるものだと思っていただきたい。
だから、真面目な警察官が冤罪をつくらなくていいシステムをつくりたい。弁護士立ち合いや取り調べの全面可視化などは当然だと思っていただきたい。
●わたし自身、ひどいこともしたこともある。いつまでたっても、本当にやってしまった痛みは消えない。罪を犯すとはそういうことだと思う。警察の方がどういう思いで亡くなったかはわからない。でも、やましいことをして生きた人たちが幸せとは思えない。警察官やY検事にあの世でもし会ったら、「バカだね」と言いたい。
集会の最後に、櫻井さんのパートナー・恵子さん、国賠訴訟を闘う東住吉事件の青木惠子さん、湖東事件の西山美香さん、国民救援会・伊賀カズミ副会長の4人の女性からアピールがあった。とくに冤罪無罪で国賠訴訟を闘っている方は、この判決に励まされたことと思う。青木さんは9月16日に最終の意見陳述をして結審、西山さんの国賠訴訟は今年3月に始まり、次は9月16日に進行協議の予定になっている。
湖東事件の西山美香さん(左)と東住吉事件の青木惠子さん
☆判決言い渡しには何度も立ち会った。勝訴、しかも全面勝訴・完全勝訴というのはたいへん稀だ。貴重な場に立ち会えて、こちらもうれしかった。ただ、櫻井さんもおっしゃるように、冤罪が生まれないようにするにはシステムの改革が必要だ。
冤罪で死刑判決を受け、死の淵から戻った免田栄さんのような方や死刑執行されてしまった人もいるのだから・・・。
☆6月に始めた「 S多面体」、その後下記6本の記事をアップしました。どうぞご覧ください。
6月12日 20周年を迎えた「南北コリアと日本のともだち展
7月8日 埼玉会館で聴いた馬場管の「運命」
7月29日 東電株主代表訴訟で証人尋問・被告本人尋問を聞く
8月7日 東京銭湯フェスティバルで見た二つの銭湯アート
8月13日 室内合唱団日唱の「音で巡る世界旅行」
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