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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

国立新美術館のシュルレアリスム展

2011年05月23日 | 美術展など
シュルレアリスム(超現実主義)の絵というと、ダリやキリコのような「奇妙な」絵が思い浮かぶ。
子どものころはダリのくにゃくにゃ曲がった時計や、ザクロから魚や虎が飛び出す絵が好きだった。中学のころは(シュルレアリスムの先駆者と位置付けられるようだが)シャガールの空に浮かぶ恋人や馬を描いた絵が好きだった。そして大人になってからは、ポール・デルヴォーの幻想的な夜の街の絵が好きになった。
ポンピドゥセンターのコレクションを展示したシュルレアリスム展を見に国立新美術館に行った。

絵はルネ・マグリット「秘密の分身」(1927)
展覧会は、第1章ダダからシュルレアリスムへ(1919-1924)、第2章ある宣言からもうひとつの宣言へ(1924-1929)、第3章不穏な時代(1929-1939)、第4章亡命中のシュルレアリスム(1939-1946)、第5章最後のきらめき(1946-1966)の5つのパートに分かれ、合計170点の作品、120点のチラシや雑誌などの資料が展示されている。(下記の記述は、音声ガイド以外に「芸術新潮2011年2月号」の特集記事(解説 南雄介)を一部引用している)
はじめて音声ガイドを借りてみた。音声とはいうものの、今どきの端末なので23の解説のうち14には図表などの画像が付いている。

シュルレアリスムに参加した作家は、エルンスト、デュシャン、そしてブルトンのようにその前のダダに参加していた人が多かった。ダダ宣言は1918年にルーマニア出身のトリスタン・ツァラが発表した。
6年後の1924年、詩人のブルトンは28歳のとき「シュルレアリスム宣言」を発表した。
「シュルレアリスム。男性名詞。心の純粋な自動現象であり、それにもとづいて口述、記述、その他あらゆる方法を用いつつ、思考の実際上の働きを表現しようとくわだてる。理性によって行使されるどんな統制もなく、美学上ないし道徳上のどんな気づかいからもはなれた思考の書きとり」(巖谷國士訳岩波文庫46ページ)

自動記述は、理性に統制されない無意識の思考(強度の現実)を外部に表出する方法で、フロイトの精神分析とも関係する。また複数の人が同時にやることとが多かった。「溶ける魚」のように詩で始まった。
マッソンのデッサンは何がよいのかわからなかったが、これが絵の自動記述である。また一見落書きのように見える「甘美な死骸」(1927)は、一枚の紙を縦4つに折り、前の人が描いた端しかみえないようにして、各人が自分の面を描きリレーしてつくった作品である。イヴ・タンギー、マン・レイなど4人の合作で、「複数」の人のイメージが「偶然」接合されるという仕組みになっている。
ホアン・ミロはデッサンが苦手で、目隠しし手に触れたものを描く練習をした。すると意識と無意識の間にあるもの、すなわち抑圧されたものが解放された。その例として「シエスタ」(1925)が展示されていた。
事物を異常な関係性のなかに置くデペイズマンは、詩では「ミシンと洋傘の手術台の上での不意の出会いのように美しい」のロートレアモン「マルドロールの詩」が有名だが、それを絵画で行ったのがルネ・マグリットである。マグリットの「秘密の分身」(1927)と「赤いモデル」(1935)が展示されていた。「秘密の分身」は薄い膜のような人間の顔の下にいくつもの鈴がぶら下がっている絵で、「赤いモデル」は人間の素足の上部がブーツ(動物の皮)になっている絵だ。
超現実(=シュルレアリスム)なので、現実を超えるイメージだと思っていたが、「強度の現実」とか「上位の現実」という意味もあるそうだ。
たとえば有名なデュシャンの「泉」(1917)は、「レディメイド(既製品)である男性用便器を、本来の使い方から離れ、それ自体の存在感を際立たせる働きをしている」という解説を読んだ。
いろんな方向を向いた義眼が箱の中に入っているバイヤーの「ガラスの眼」(1928)は、意味はわからないが、不気味で異様な感じがして、面白かった。
シュルレアリスムは、集合的イメージである神話学にも接近した。本能的に振舞うミノタウロスやディオニソスはシュルレアリスム的だと賛美し、「ミノトール」という雑誌にこぞって記事を掲載した。ミノタウロスは牛頭人身の怪物で、迷宮(ラビュリントス)に閉じ込められていたが英雄テセウスに殺された。マッソンの「迷宮」(1938)は、ミノタウロスの白い頭骨や赤い内臓がむき出しになり、体内が階段やカーブした廊下をもつ迷宮になっている。
「不穏な時代」のパートでダリとブニュエルの「アンダルシアの犬(1929)と「黄金時代(1930)の2本の映画が上映されていた。
「アンダルシアの犬」は何度も見た。薄雲が月を横切り、若い女性の眼球が剃刀で横一線に切り裂かれる(本当は豚の目)衝撃的なシーンから始まる。自転車に乗った男がパタンと横に倒れたり、みつめた手のひらからアリが群れになってはい出したり、女に襲いかかる男が重い荷物を引いていて、そこには修道士やロバの死骸やピアノがつながっていたり、何度見ても不思議な短編映画だった。ただ最後の海辺を男女が散策するシーンはまったく覚えていたかった。
「黄金時代」を見るのは初めてだ。全部で62分の作だが、上映されたのはほんの5分くらい。これではどんなストーリーなのかまったくわからない。ただサロンでの楽師の演奏や男女が庭に潜むシーンなどは、「皆殺しの天使(1962)や「ブルジョワジーの密かな愉しみ(1972)を思い起こさせ、ブニュエルの発想の原点をみたように思った。
1940年ナチスドイツがフランスを占領し、41年ブルトン、マッソン、エルンスト、デュシャンらはアメリカに亡命した。作品としては狼の体が机になったブローネルの「狼―テーブル」(1939)や、ポップアートのようなピカビアの「ブルドッグと女たち」(1941)が印象に残っている。エルンストは46年アメリカでドロテア・タニングと結婚した。
戦後になるとポール・デルヴォーの大作「アクロポリス」(1966)や、イヌイットのトーテムのようなブローネルの「傷ついた主体性のトーテム2」(1948)が印象に残ったが、あまり大したものはない。66年ブルトンの死で、シュルレアリスムという運動は終わった。
音声ガイドを聞き、シュルレアリスムは、ブルトンが始めブルトンの死とともに終わった思想運動であること、そしてシュルレアリスムという20世紀の運動の経緯がよくわかった。

絵はイヴ・タンギー「岩の窓のある宮殿」(1942)
作品としては、ダリにしてもデルヴォーにしてもそれほど完成度の高い作品は来ていない。しかし、シュールレアリスムの理屈と運動の歴史をたどるという意味で見に行く価値のある展覧会だった。わたくしにとっては、ブニュエルの映画と再会できたことがよかった。
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