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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

朝鮮への人道支援の現状とメディアの問題

2016年12月26日 | 集会報告

ハンクネット(朝鮮人道支援ネットワーク・ジャパン)は2000年から21回にわたり、朝鮮の子どもたちに粉ミルクを送り続けている団体だ。
今年(2016年)8月末岩手に上陸した台風10号は東北・北海道に死者22人の被害を与えたあと朝鮮北部を襲い、少なくとも死者133人の大きな被害が発生した。そこで今回も粉ミルクの支援をしようとしたが、日本政府の朝鮮に対する「制裁」強化で並々ならぬ煩雑な手続きを必要とし、2か月近い時間を要した。ここであきらめては、他の団体も朝鮮への人道支援は難しいと考え、日本政府の思う壺になってしまうからと頑張り、11月21日出発、24日帰国の旅を果たした。
12月16日夜、飯田橋の東京ボランティア・市民活動センターで訪朝報告会が開催された。また朝鮮に関する報道は「制裁一辺倒」だが、不合理な点、不公平な点があるという注目すべき視点からの報告があったので紹介したい。一糸乱れぬ「翼賛体制」ともみえる報道の背景には、100年前と変わらぬ朝鮮に対する人びとの意識の問題もある。

1 映像で見る朝鮮の現状と人道支援の経緯
                  ハンクネット代表世話人 竹本 昇さん

9月半ばに水害の被害を聞き、経産省に人道支援について問い合わせをしたが面倒な手続きが必要で、結局やりとりに1か月半もの時間がかかった。
まず物を送る場合(輸出入)は、10万円以上の場合経産省の許可がいる。現金の持ち出しについては財務省の許可がいる。今回は現金を持ち出し、朝鮮で粉ミルクを買うので財務省の許可を必要とした。ただし、まず外務省へ「人道支援での訪朝」という照会を取ってくるよう言われた。それで外務省に照会し回答を依頼すると「渡航自粛をお願いする」という返事が返ってきた。それでは困るので法的根拠を問うと「根拠はありません」という。それなら「職権乱用ではないか」というと「政府の方針です」と答えた。国際社会と同じく、日本も人道支援は国の方針のはずなのだが。そこで「照会の報告」を財務省に提出したときに「私は、自粛を求める政府の姿勢は承諾できない」と反論したことを申し添えた。
そのほかにも、「支援の流れ図」の提出を求められたり、朝鮮赤十字発行の確認書が必要とか、いろいろとあった。確認書は朝鮮語で書かれているので、日本語の翻訳も作成した。こうして11月21日やっと出発の日を迎えたが、出国手続きをすませてロビーにいたときハプニングがあった。自称税関職員という男がやってきて「10万円以上の持ち出しには許可がいるので事情をお聞きしたい」という。すでに財務省の許可を受けているというと立ち去った。わずか5分くらいのできごとではあるが、本当に税関だったかどうかも怪しい。
北京経由で平壌に入り、今回は平壌子ども食料品工場で製造した粉ミルクを調達し、赤十字のマークの付いたトラックに1836キロ積み込んだ。
その後、金カップスポーツマン総合食料工場というパン、ケーキ、清涼飲料水を製造する工場を見学した。従業員の8割が女性で、育児施設や福利厚生のための体育施設や屋上にはプールが設置されていた。またクルマから高層マンション群がみえた。高齢者は1,2階で暮らしているそうだ。99年に初訪朝したときは、電力事情も悪く町が暗かったが、ずいぶん変わった。
なお、朝鮮対外文化連絡協会から「子どもの栄養事情は国家政策としてやり、行き届くようになった。今後は粉ミルク支援は結構ですよ」と言われた。そこで今後は粉ミルク以外で、平和や親善活動を続けていこうと考えている。

2 日本と朝鮮の学生たちの交流と子ども絵画展
              コリア子どもキャンペーン事務局長 筒井由紀子さん

コリア子どもキャンペーンは日本と朝鮮半島の人をつなぐ活動をしており、具体的には「南北コリアと日本のともだち展」という子どもの絵画展と、大学生の交流事業を行っている。今年は6月に大学生の交流の打ち合わせ、8月に交流、そして11月に緊急支援を届けるため3回訪朝した。
水害の被害の話を聞き緊急支援をすることにしたが、まずおカネの持ち出しをどうするかが課題となった。7月から制裁の厳格適用になり、人道支援でも10万円以下という話があったためだ。しかし人道支援をやめる国はないし、赤十字も支援をやめていない。わたしたちは国際協力団体だ。それを財務省に説明に行くと、あっさり「人道支援できますよ。申請してください」「100万でも1000万でも大丈夫です」と係の人にいわれた。
ただし条件がある。どこにどう支援が渡るかを明確にし、証拠も必要といわれた。
ハンクネットなら粉ミルクということがはっきりしているが、こちらは緊急支援なので、ピョンヤンへ行って打ち合わせないと具体的に何になるのかわからない。そういう場合どうするのか尋ねると、「朝鮮赤十字会の領収証があればよい。ただしあとで現地の写真や報告を付けてほしい」とのことだった。
手続きは財務省とやりとりしているのに「申請書は日銀に取りに行き、日銀に出せ」という。その他流れ図の再提出やいろんなことがあり、やっと申請が終わったが、待てど暮らせど許可が届かない。許可がないと募金のお願いもできないので催促すると、許可の有効期間は2週間だという。逆に早く許可が出ていれば出国するときに期限切れになっていたところだ。
募金を始める前に金額を決めろという。見切り発車で持ち出すしかなかった。
いろいろあったが、竹本さんと「とにかくやらないと、人道支援団体がみんなダメだとあきらめてしまう。とにかくやろう」と励まし合ってがんばった。

3「国民総動員体制」としての朝鮮制裁
                   米津篤八さん(朝鮮語翻訳家・朝鮮現代史専攻) 

日本のメディアが朝鮮に対し、どんな報道をしているか調べてみた。今年1月7日、つまり、前年末に日韓「慰安婦」合意があり、年初に朝鮮の「水爆実験」が報じられた翌日の社説をみてみた。
朝日・毎日・読売・産経の4紙ともに「軍事挑発は日韓がともに直面する問題だけに、慰安婦問題の合意を契機に、協力関係を強化したい」という論調だった。合意以前は、朝日・毎日は人権問題だから河野談話の線でしっかり解決すべき、読売・産経はこの問題は解決済み、河野談話は妥協の産物、と分かれていた。「慰安婦」問題は解決済みとあるが、韓国で名乗り出た人が238人であるのに対し、朝鮮には少なくとも218人いるのでまったく解決していない。しかも被害者が住んでいる国を“敵”とみなしているのだ。
核、ミサイル、拉致があるから制裁という考え方がある。ここでロシアのことを考えてみよう。ロシア(ソ連)は、拉致どころでなく大量の日本兵の抑留・強制労働の問題がある。(もちろん日本が侵略したという問題はあるのだが)謝罪も賠償もしていない。北方四島の領土問題、さらに1万発を超す核兵器もあるのに、制裁どころか首脳会談を行い、首相がいっしょに温泉につかろうとまで呼びかける。金正恩委員長が来日し、もし安倍首相がいっしょに温泉に入ったら、おそらくそれだけで政権はもたない。朝鮮だけは制裁し、朝鮮学校にだけは就学支援金の支給対象にしなくても当然だとなる。一方ロシアには何もいわない。しかも朝鮮に対する制裁はここ10年ほど、自民党から共産党まで含めて衆参両院の全会一致で承認されている。
核についていえば、アメリカは1万発の核兵器やミサイルをもっている。世界で唯一の実戦核使用国だ。しかし日本も含めて制裁ということにはならない。ほかにあえていえばキューバがある。先日カストロが死亡したとき「最後の革命家」というような好意的なイメージで報道された。それに対し1994年に金日成主席が死亡したときは、いつ朝鮮が崩壊するかという話ばかり報道された。
先に述べた「水爆実験」に対して「許しがたい暴挙」と非難に終始するばかりで、なぜ核実験するのかという理由の分析はない。経済的に発展している現実があるにもかかわらず、崩壊論にのみ足を縛られ、現状をしっかりみて分析できていないのではなかろうか。
またアメリカでは、ブッシュ政権ですら朝鮮と交渉していたのにオバマ政権は「戦略的忍耐」と称し、この8年間何もしなかった。しかし朝鮮は「対話をしない」とは一度も言っていない。「朝鮮半島全体の核廃絶」「朝米平和条約の締結」のためなら対話すると言っている。
今年2月7日に人工衛星を打ち上げた翌日の各社の社説をみてみる。NASAや韓国のハンギョレなどいくつかの新聞は「人工衛星」「ロケット」と発表しているのに、「事実上の弾道ミサイルを発射」「『衛星』と称する長距離弾道ミサイルを発射」という文字が並んでいる。PAC3が配備された沖縄の2紙ですら「弾道ミサイル」という表記を使っている。
ところが、中国が人工衛星を打ち上げたとき(70年4月)の社説では「敬意と祝意を表したい」(朝日)、「中国の核の脅威を必要以上に強調して(略)国民を誘導することは、日本の安全と繁栄にとって危険な道であることを銘記しなければならない」(読売)、「いたずらな感情論や観念論に基づく論議は、決して国民の願望する本当の安全保障をもたらすものではない」(毎日)と論じている。リベラル護憲派を標榜するブログやFBでも、朝鮮に対しては同じような論調がみられる現実がある。
なぜ朝鮮にだけ、メディアやリベラル護憲派がこういう態度を取り続けるのか。わたくしが思うには、植民地支配の清算がすんでおらず、賠償も謝罪もしていないこと、そして小泉訪朝時の約束(2002年の日朝平壌宣言)を絶対にやりたくないという政界やウヨクの強い意思ではなかろうか。
最後に、1923年の関東大震災後に朝鮮人が多数虐殺されたときの中西伊之助(労働運動家、作家)のメディアに対する評論を引用する。
「記事を読んだならば、朝鮮とは山賊の住む国であって、朝鮮人とは、猛虎のたぐいの如く考えられるだろうと思われます。(略)私は敢えて問う、今回の朝鮮人暴動の流言飛語は、この日本人の潜在意識の自然の爆発ではなかったか。この黒き幻影に対する理由なき恐怖ではなかったか」(「朝鮮人のために弁ず」『婦人公論』(1923年11・12月合併号)この時代から1世紀近くたった。今年の熊本地震でも「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」というウワサがツイッターに流れた。日本人の感性はいまだに変らないような気がする。いかに克服するのか。
さらにいえば、ここでみたように朝鮮制裁によって、日本人は自身の言論の自由を破壊してきている
朝鮮学校の認可と補助金支給は、在日の努力だけではなく、日本の市民運動、労働運動、住民自治が勝ち取った資産でもあった。それが国の論理、すなわち敵と味方の論理に呑みこまれようとしている。そういうかたちで戦争への抵抗感も失われてきていることを感じ、危機感を覚える。

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