もしも、男爵、私が貴方の忠告どおりにして、亡き兄の遺産相続を申し出たとすれば、私の夫であるあの男がたちまち私達の結婚契約書を手に姿を現し、すべてを奪って行くでしょう……。あの男に富を与えることになってしまいます! そんなこと、絶対にさせるものですか! どんな代償を払っても、それだけは嫌です。それぐらいなら貧苦のうちに死ぬ方がましです。ウィルキーが飢え死にするのを見る方が!」
マダム・ダルジュレの態度には仰々しさは全くなかったが、彼女の抑制された感情の迸りの中に長年秘かに彼女を苛んできた怒りが垣間見えた。そして何物によっても揺らがぬ決心が。彼女に翻意させ、より思慮深く、より現実的な方向へ導くことはとても出来ぬ相談のように思われた。
男爵はそれを試みようとさえ思わなかった。マダム・ダルジュレとの付き合いは昨日今日始まったものではない。彼女の頑固さが筋金入りだということは経験上よく知っていた。ド・シャルース家の血を引く者の頑固さは世間でもよく知られており、あの安宿のおかみであるヴァントラッソン夫人もフォルチュナ氏に語ったとおりであるが、マダム・ダルジュレのそれは更に一層強かった。
彼女はしばし沈黙した。思わずしてしまったこの告白に自ら憔悴してしまったかのようであったが、やがて断固とした口調で続けた。
「それでも貴方の御忠告には部分的に従いますわ、男爵。私は今夜にもパターソン氏に手紙を書いてウィルキーを彼のもとに呼び寄せて貰います。二週間以内に私は持っているものをすべて売り払い姿を消します。豪勢に暮らしているように見えても、人が思うほどではありません……でも、そんなことはどうでもいいことです……私の息子は男ですから、自分で稼ぐ方法を身に着けるでしょう」
「私の金庫から好きなだけ遣って貰っていいのですよ、リア……」
「有り難う、貴方はお友だちね、本当に感謝しています。でも、それはお受けできません。ウィルキーがまだ幼かったときは、そうは言えませんでしたけれど……。現在は自分のこの手を使ってたとえ地面を掘ってでも、貴方からのお金を一ルイたりともウィルキーに与えることは致しません。そんなことをすれば、あの子があらゆるところで貴方の影響下に置かれるような気がするのです……私のこと、矛盾に満ちているとお思いでしょうね? おそらくそうでしょう! ともかく、私はもう昨日までの私ではありません。不幸が降り掛かって、私がこれまで自分の目を覆っていた分厚い目隠しが引きちぎられたのです。今は自分の行為と向き合って……自分で裁いています……。息子にも、自分にも、私は罪を犯しました。正気の沙汰ではありませんでした。私は息子の存在によって元の自分を取り戻すことができましたが、息子は私によって名誉を傷つけられるでしょう……」1.19
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