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パワー競技人口

2009年03月03日 20時32分58秒 | 日記

 JPA斉藤会長がジャパンオープンで仰ってましたが、パワーリフティング競技をオリンピック正式種目にする為には競技人口が今の3倍に成らなければ難しいと言っていました。全然選手層が低いそうです。
 競技人口の底上げをするなら選手が生涯スポーツとして楽しめるような活動を、国内だけでなく国際的な取り組みで行うことが重要だと思います。

 政治やスポーツをこれまで見ても昔から日本人は海外との交流が苦手な人種だと思います。パワー競技に限らずですが「孤立」していては競技普及など到底無理ではないでしょうか。競技人口が最も多い野球でも、つい最近までメジャーへの移籍がなかなか認められませんでした。

 ある記事を見ると野茂についてこんなことが記されてます。
 
 「1996年9月17日。米デンバーのクアーズフィールドで、1人の日本人メジャーリーガーが偉業を成し遂げた。標高1600㍍の地にあるために打球が飛びやすく、打者有利といわれる球場で、ロッキーズ相手に堂々のノーヒットノーラン。マウンドの上にいたのが野茂英雄だった。イチロー、松井秀喜、松坂大輔と、いまでは日本球界で成功した選手が当然のように米メジャーリーグに活躍の場を移すようになったが、野茂はその道を切り開いた先駆者でもあった。
 88年ソウル五輪で銀メダルを獲得した日本代表のエースとして、翌89年のドラフト会議で史上最多の8球団から1位指名を受け、近鉄に入団。剛速球とフォークボールを武器に、プロ1年目に最多勝、最優秀防御率など8冠を獲得し、その後も3年連続で最多勝を手中にして日本球界のエースとして君臨した。
 そんな野茂の野球人生が大きく揺れ動いたのは94年。オフの契約更改で、代理人交渉と複数年契約を求めたところ、交渉が暗礁に乗り上げた。そこでメジャー挑戦を口にする。スター選手の海外流出は大騒動に発展したが、野茂の決意は揺らぐことなく、メジャーへの挑戦権を勝ち取った。日本球界はその後、「ポスティングシステム」に代表される米球界への移籍方法を整備し、日本プロ野球から大リーグへとつながる道ができた。
 満を持してロサンゼルス・ドジャースと契約すると、いきなり13勝6敗と大活躍。力対力の真っ向勝負は、まさに野茂の求めていた世界だった。そして2年目の96年9月のノーヒットノーラン。打者に背番号がはっきり見えるほど体をひねる独特のトルネード投法は全米から喝采を浴び、95年3月までの230日以上に及ぶストライキの影響で人気低迷気味だった大リーグの救世主ともなった。
 97年以降はケガに悩まされ、トレードやマイナー落ちを繰り返す。それでもレッドソックスに移籍した2001年にはオリオールズ戦で再びノーヒットノーランを成し遂げるなど、“奇跡の復活”を繰り返した。
 今年7月、引退を表明。06年、07年にはベネズエラに渡ってまでメジャー復帰を目指した末の結論だったが、野茂は「引退する時に悔いのない野球人生だったという人もいるが、僕の場合は悔いが残る」とコメントした。歴史を創った男は、日本で78勝46敗、メジャーでは7球団を歩き渡り、123勝109敗という成績と、数字では計り知れない業績を残し、ユニフォームを脱いだ。」

 このように世界に大きく一歩踏み出す勇気も大事だと思います。時代に合った組織つくり、国際的な取り組みが重要なのは当然で、頭の固いことばかり言っていては競技の普及どころか競技人口を逆に減らすのは目に見えています。

 自分はベンチプレスを挙げること意外、頭を使ったことがないので良いアイデアが浮かびませんが興味を待つ方々が少しずつステップを踏んでパワーリフティングに興味を示していく企画を立てるのも一つの手段ではないでしょうか。

■選手を増やす為の企画←コレが一番大事です。
・イベント大会(非公認大会等ルールを覚える意味合いの大会開催)
・スポーツ施設等でのイベント
・有名選手の試技が見れるパーティーなど

■選手を育てる為の企画
・地方大会

■国際大会で活躍する選手の育成
・全日本大会
・ジャパンオープン大会
・国 体
・国際的親善大会
・国際的友好大会

競技人口を増やさねば、今後役員の数が減少するのも当然で競技の発展など当然望めません。




コメント (7)
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