今日もテレビで放映されていたが、お薬手帳を確認しない病院(医師)も多い
お薬手帳、あるいは薬の名前か、薬そのものを持って来てくれれば、
処方せんを出してくれるところもある
それは患者にとって大変ありがたいが、私はそれを確かめただけで処方せんは断った
非定型歯痛で悩んでいた時で、大学病院から処方された漢方薬がまるごと残っていた
それを飲もうか飲むまいかと悩んでいた
それでもしもそれがなくなったらどうしよう、と先のことを考えていた
漢方薬を処方されたが、ここでも同じものを出してもらえるのだろうか?と聞いてみた
すんなりとOKを出してもらえた。なんだ、こんなに簡単にもらえるのか、と思った
漢方薬(医療用)なら副作用はさほどないだろう。と思うだろうが、そんなことはない
普通の薬と同じく副作用はつきもの。便秘になったり、眠くなったり、だるくなったり‥
また自分ではすぐには副作用だと気づかない人もいる
中にはそれは副作用ではなく、なんというか、反応とか、瞑眩とか言われるものらしいが
それは本人にも医者にもはっきりとはわからないと思う
個人個人、体質も違うのだから、薬に対しての反応も違ってくるだろう
また、医師に、「これこれこういう反応がみられたのですけど、副作用ですか?」
と、言ったと仮定します。すると医師は、即座にこういうと思います
「この薬はさほど強いものではないので、それはないと思いますよ。気にしすぎですね」
まぁ、このような答えが返ってくると思います。薬に関しては減薬も好意的ではありません
食事療法、減薬を勧める医師など皆無といっていいでしょう…
薬を拒否したら、即座に別の病院に行ってくださいと言わんばかり
それが怖くてみな医師の言う通り、3分以内の診療と処方せんで終わる
10か月間通院しても一向に紹介状を書いてもらえず、そして耳の中も全く診ず
こちらから言わないとずっとそのままだと思い、通院はやめている
今までやめられなかったのは病が悪化すれば自分も困るし、
薬を飲み続けないと治らないかも?
そう思っていました。けれど、それは間違いであることに気づきました
薬は症状を抑えてはくれるがそれ以上は治らないし、返って副作用が起こる可能性が高くなる
現に私は、腰痛、ドライアイ、陰部の違和感なども含め、免疫力がガタッと落ちていた
これ以上の病を増やすのはもう自分で背負いきれないと思い立ち、
今は免疫力の回復に努めている
これはどんな病気にも当てはまる。痛み、痒み、そして癌なども含まれる
難病といわれたものが治ると思って私も挑戦している
ひと月ほどして、少し緩和されたようにも感じられる
細かいことはまだ書けないが、愛犬は早々と回復傾向にある
ますますパワーアップして、シュターッと走り抜ける姿にあっけにとられていた
逆に眠りにつくとやたらと眠りこけしてしまう。小さいころは確かこんなだったな…
この説明をするにはまだ自分自身の回復がはっきりしていないので、なんともいえない
みんな、ここをちょっとやったら、治った。と書いて終わる人が多い
それだとせっかく訪問してくれた方々に失礼である。皆治る可能性を信じてやってくるからだ
また、こうしたら治った。けれど、その後、また痛みがあった。また治った。また痛くなった
いったいどっち?それって治ったと言えるのかしら?そう思うこともあります
私からいわせれば、それは完治とは言えません。ちゃんと治っていないと思います
薬に関しても減薬も慎重に、といいますが、
私は飲み続ける事こそが、もっと怖いと思っています
私は減薬どころか、スパッとやめる人です
それは目に関しても血圧に関しても耳に関しても同じこと
心療内科に通院したとしてもやはり完治は難しいらしいです
ですが、通常の勤務はできると思っています
息子がそうだったからです。嘘偽りはありません
人間は鉄ではありませんから、時と場合により心痛により普通の人でも体調不良は起こります
それを踏まえれば、なんとか耐えられると思います
私自身もお天気に左右されるし、嫌な仕事が残っていたらいつもより体は重くなります
それを少しずつ克服しながら毎日家事をしています
体調不良でも家事は延々続きます
常にこのことを忘れないでほしいと世の中の旦那さんに申し上げたいと存じます
またどんなによいものであっても、それに頼りっぱなしで、普段の食事がおろそかになったら
やっぱり体の回復は遅くなるし、その後も同じことを繰り返します
普段の食事が自分の将来の体をつくります。わかっていながらわかっていないと思います
薬では治りません。ますます、体の免疫力が低下し、ますます病は増え続けます
薬を多量に、複数に、また何年も服用している人は、私よりもひどくなると思います
市販の薬も同じです。似たような薬を飲み続けて段々効かなくなります
便秘薬、頭痛薬(生理痛)。昔、生理痛なのに、なぜ頭痛薬なのだろう?と思いました
自分の体を守るのは医者ではなく、自分であることを忘れないでほしいと思っている
自ら薬を選択するのは、自分の体を痛めつけるだけ
本当に完治したのならば、その詳細を書き留めてほしいものだ
自分の治癒力もあるだろう。そして食事内容もあるだろう。元々個人個人体質が違うのだから
私には効いたけど、他の人はどうかわからないはず
それを安易に、この薬はどう?と勧めるのはお門違い
ただでさえ、薬で参っている体なのにさらに薬を増やすのでしょうか?
何年も何十年も通院している人にとって、薬はなくてはならないもの、そう思っていました
それは間違いであることにようやく気付いただけでも私はしあわせなのかもしれません
通院日をカレンダーに書き込むこともなくなって、これほどうれしいことはない
悩みがひとつ減っただけも気持ちが楽になる
その代わり、自分の体調は常に慎重にみていなければならない
ちゃんと食べて、出して、寝て、そして、たまには笑う
絵を描いていないので、今のうちに愛犬のことに関して書いておきます
今がどうこうというわけではありませんが、飼い主の考え方ひとつで犬の運命も変わってきます
愛犬の病気は、加齢の為、と言われましたが、原因はよくわからないようです
しかし、私はすぐに食べものが原因であると気づきました
犬を飼っている人、また猫を飼っている人、一度は人間の食べ物を与えたことがあると思うのです
それが菓子パンだったら?お菓子だったら?おかずだったら?
心当たりありますよね?けれど、同じく食べさせていても皆同じ病気になるとは限りません
腎臓だったり心臓だったりそのペットによって病気が違ってくると思います
また今は人間と同じく、ガンが増えています。それは何故なのでしょうか?
獣医が勧めるドライフードやワクチン、予防接種や薬、私はこれらが無関係であるとは思えません
生命の危機がある時にはやむを得ない処置もありますが、それ以前の話です
これは私も含めて大いに考えてほしいと思っています
一度動物病院へ行ったら、もうやめられなくなります
ドライフードからシャンプー、臭い消しなど見たことのないものが院内にはあります
これをすれば治る、ということはありません。一時的に回復するだけで死ぬまで投薬
ゾッとしますよね…
決心するまでいろんな葛藤がありました。失敗すれば愛犬の命はない
そして自分は一生後悔する。よけれと思ってしたことが‥
眠れない夜を過ごしました。やってやれないことはない
やってみなければ結果はわからない。そう思い、今に至っています
首周りの脱毛が目立ちますが、徐々に生えて来ています
お尻も脱毛部分があります。普段はハゲ!と呼んでいます
周りの毛が伸びてきているのでわかりにくいのですが、これもまた改善されてきました
私と同じものを摂っているのですが、初日夜中にうんちとおしっこがありました
数日後、嘔吐が二日続けてありました。それ以降は順調です
一度ドライフードに変えたら、嘔吐とおしっこと水を飲むことが増えました
ご飯粒が足りなくてドライフードにしたのですが、
ドライフードは水を多く飲む原因であることをはじめて知りました
普段の何気ないことなのに、今更ながら気づかされることが多いです
当たり前のことが実はあたりまえではない。人間が作った常識は多々間違えることがある
いや、間違いだらけであると思った。今ある常識は、いつかは非常識にかわるだろう、と思っている
ギシギシのようなものは、乾燥させるとほんのわずかになってしまう
今は自家製のふりかけと一緒に混ぜてしまった
イタドリというものがあるが、あれはアスファルトの底から生えてくるのだからね。スギナもすごい
その生命力を体に摂りいれればよいというのは、あまり人は知らないと思う
(知っていたとしても、あれは雑草だから食べるものではないと認識しているはず
地方によってはちゃんと料理として存在し、食べて美味しいというものらしい)
人間に一番必要なのは、ブロッコリーという野菜などだと思っているが
それらをいっぱい摂って体の回復は、はたして望めたのでしょうか?
どんな場合にも分岐点はあるだろう。結婚、仕事、そして人生のさまざまなできごとで
私はそれらは必要以上にあーだ、こーだと後悔はしたくないが愛犬のこととなると別だ
ペットは人間の考えることを察知する。言葉はわからないが、表情ひとつで判断する
また思っただけで犬は行動を起こす。私自身は全く動いていない。なのに、察知する
そのことはどうあがいても否定はできない。最後まで後悔はしたくない
確かに犬のためではあるが、同時に自分自身の為でもある
ずっと病院にお世話になりながら愛犬と過ごすことは私には耐えられないことである
精神的におかしくなるのは目に見えていた
もうこれで最後だから好きなものを好きなだけ食べさせて。そう思うだろうが
けれど私は逆である。最後のさいごまでちゃんと生きてほしい
愛犬の病は私自身のせい。加齢のせいでもなんでもない。だから最後まで責任をとる
かわいいだけではペットを飼うことはできない
烏骨鶏でもハムスターでも同じ事。ちゃんと育てればそれなりに飼い主にはなつく
ちゃんと餌を与えてくれる人を認識し、そしてちゃんとそれに応えてくれる
愛情は無償の愛であり、そして一緒に生きてくれるのだ。これほどありがたい動物はいない
どこまでやれるかわからないが、なんとか生きている。私もまだまだであるが、必ずや治ると信じている
ここだけは頑張らせてほしい… 笑いはそのあとだ
(愛犬に履かせた安物のパンツは、雑巾代わりに切り刻んでしまった
本当はもっとちっこくてかわいいパンツなのだ、と、是非言い訳させてほしい)
雑草、雑木(海藻類)は、自分の体に必要なものを自ら吸収し、
そのバランスは生体のミネラルバランスと共通していて、
これは人類が植物を中心に食してきた証拠ともいえる。とのこと
今の野菜、食べ物は、農薬、化学肥料、合成飼料、化学薬品、食品添加物が多く含まれている
商品に記載されているよくわからない文字は、人間の体内には必要なく、全て異物となり、
薬害ばかりではなく、我々庶民が普段食べているものにも限りなく存在している
野草といわれるものには、むくみをとるものが多い。利尿作用が多いことも判明している
私が試したものでは、スギナがあったが、また取り寄せたお茶もそうであった
完全に人の手をくわえない、自然のままのものを採取し、お茶にすることで腎臓にもよいと思うが
なにせ、痩せてしまった体にはあまりにも効きすぎて、今度は体重が減ることを心配しなくてはならない
「おかしい、なんで減るのだろう?おしっこは出るけれど、喉も乾くし、糖尿病か?」
などと余計な心配をしはじめる。つい最近の話だ。まてよ!普段と違う食事はいったいなんだろう?
それは、「完全な塩とお茶」であった
「完全な塩」はともかく、「完全なお茶」は、野草茶のような味わいで飲みやすいが
多少苦みはある
冷やすとその苦みも消えるが、利尿作用は確かにある。困った…
体にはよくても摂りすぎはいけない。一日で最低500ml、それ以上の時もあった
すぐに気づいたので、体重が減るのはなんとかおさまった
このキササゲもまた、利尿作用があり、民間療法としても使われていたようだ
犬の散歩でたまたまみかけた、「ささげのような植物」で検索して名前は判明したが
どのようなものなのか、中身までわからずじまいだった…
気が付けば、自分の持っていた本にちゃんと書かれてあったのだ
関東地区に住んでいた頃に、中古本で買ったものである。当時でも多少古い感じではあった
お値段もかなり安く、まだ20~30代の頃に購入したものである
私が安いと思うのだから、何百円というお値段だったのだろう
このキササゲは、葉、豆ざや、木皮すべてに効能があり、はれもの、水虫、腎臓病、歯痛などかなり万能
これを機に私は、野草という力を借りて、なんとか体の回復に努めている
薬を飲むことにずっと抵抗があった。また飲み続けることで病は治まることをしらず
どんどん増え続けることに、毎日恐怖の連続。そのせいで神経過敏になってしまう
いつもと違う症状が出るたびに、もう脳内はおかしくなるばかり
まだ途中経過なので、詳しくは書けないが、(以前も同じようなことを書いたかな?)
今度こそ、という気持ちで実行している。結果が出れば、それこそ、病で困っている人にも
もしかしたら、救いの手を差し伸べられるかもしれない。けれど私のやることに
全く信じられない、というご意見もあるかと思う。そこは皆様にお任せしますが
あまりにも現実離れしているので毎日勉強してみたならば、なるほいど、という
目から鱗が落ちる、状態であり、年内には結果がわかると思っている
どの病気に限定しているわけではない。私の場合は、今 病は治まっているが完治しているわけでもなく
たまに悪さをする病も含めれば、両手の指に余るほどである
そして、そのうちの3、4種類は、治ったわけではないが、症状が軽くなっている
「毎日、本当?ほんとうに治っている?治りかけている?」を自問自答している状態
結果がでたならば、その時、コメントをお寄せくださればうれしいかと思います
まだ過程なので…
テレビ朝日の「とっとちゃん!」をまともに観たことはない
…… が、耳に飴玉を引っかけるのは衝撃的な発想だ
小学生の頃、10円玉を口に含んで、そのまま飲み込んでしまった
10円玉はえらく大きくて、喉元に引っかかったような感覚がずーっと残っていた
消しゴムを口にふくんだりもしたが、姉に注意されてすぐに吐き出す
テレビを観ていて興味があったからやってみただけ
それを姉が察知して、「消しゴム、口に入れるんじゃないよ!」
言われる前から既に口の中には消しゴムが入っていた
興味があるものは、自分で確かめてみたい。好奇心のかたまりである
同時に疑心暗鬼のかたまりでもある
自分のことはともかく、ブログを書いてる人の性格も把握できるようになった
読者登録も時間が経ってから登録することもあるが、逆に解除することもある
人としてとても良い事をしてるようでも、その中にはあまり見たくない心理も見え見え
それが一回だけならまだしも、何度もそういうことがあって、偽善者そのものであると感じた
正直に自分はこういう性格なのだ、といってくれれば納得もするが
わざわざ、遠回しに言ってるような感じがして、なんだかなぁ、と思える
こうなるともう心が離れていってしまい、段々読む気が失せてくるのである
単純に毎日ポジティブに暮らしている人は、尊敬に値する
人間だもの、苦しいことはいっぱいあるはず。けれどそれを思わせない人もいるのだから
自分にはまだまだその努力が足りない
人の陰口を言うのも聞くのもしんどいもの。その対処の仕方も難しい
ご近所づきあいはほどほどに、という忠告を受けたこともあった
その方は、近日引っ越しするのであって、まさかの結末である
そして、最近目を疑うような光景をみてしまったのだ
あの人はトラブルメーカーである、と言ってた人がその方と長い事会話をしていたのだ
もしかして、喧嘩?そうでもなさそうだし、あとで聞いたら、たまに会話はするのだという…
どちらの言い分も聞いているので、言うこととやってることが全く違うんでないの?
それでまた人間不信に陥って、いつもの「なんだかなぁ…」が、脳に浮かぶ
本音と建て前、いや、嘘八百?いや、違うかな。どんなことばがぴったり合うのだろうか
Yさん(電話だけの知人)と、最近 電話をしている時に気づいた
もっと前から気づいていたのだが、彼女には私以外にも友達はいるらしい
いるらしい、というのは、彼女が言うには、私以外に相談相手がいない、というのだ
しかし、私はそれがすぐに嘘だとわかった。電話が切れたのですぐにかけなおしたら、通話中
その時にピンと来た。ちゃんと話し相手がいるじゃないの、と…
旦那さんがなくなった、ということをきっかけにまた電話をすることになったのだが
この間、そのボロが出た。「友達にもそう言われたの」「……。ふ~ん、そうなの。」
旦那さんのことでは、このことは誰にも言わないでね、と念を押されていた
まさかの自白である。私以外に言ってはならないことを既に友人と称する人に漏らしていた
この女、こんなに嘘つきだったの?と思ってしまい、人間としてもどうなの?と思う
友達もいない?内緒だから言わないでね?って、どうゆうこと?
私の性格だからそこを突っつきたいところだけど、しなくてももうばればれ
悪いところを含めての付き合いだという事は知っているけれども、私には到底できない
普段からそういう些細な嘘をつく人は多いと思うが、誰にでもそうなのか?
もう電話に出る気力もない。私の言うことも全く信じてもらえなかったから、もういっか!
このくそおなご、人を馬鹿にするのもいいかげんにしろ!
(本音で語ることもたまにはいい…)
足を骨折して以来、歩くことで疲労感が強いというので、杖を使ったら?
大丈夫、と却下される。杖をつくことがまだ自分の中では嫌なのだと思う
グダグダに言っている自分も嫌だが、真実は受け止めねば
今は自分と愛犬の病を治すことに集中
Yさんに、「もしも私の耳が治ったらどうする?」と問いかけたら
なんと言ったのか既に忘れたが、彼女には私の言うことが全て信じられないのだと思った
このところ、病のことでずっと悩みながら過ごしていました
いえ、いつものあそこが悪い、ここが悪いという話ではありませんのであしからず
私は13年間、降圧剤を服用していました。やめてから一年以上は経過したと思います
細かいことが気になる私ですが、いつやめたのかよく覚えていません
調べればすぐにわかります。確か、スーパー内から購入した本がきっかけでしたから
本の中で高血圧の薬に関して否定的な意見を語っていたのが、偶然にも同じ県民でした
立場のしっかりしている方で、この人の言ってることは本物だな、と直感したのです
読めばよむほど納得がいきました。それから徐々にですが減薬をしました
……が、私の性格ですので、減薬とおもいきや、途中ですっぱりとやめてしまったのです
今はそのことに関して全く不安はありません。むしろやめてよかったと思っています
それでも途中、何度か、「本当にこれでやめていいのだろうか?」と思うこともありました
副作用と思われる症状に、手の指先が白くなりました
ひどい時には指先が痛くなることもありました。やめた途端、その症状は消えました
もうひとつ、耳鳴りも存在します。あまり記録というものはしない主義なのですが
お薬手帳を貰った時、一度だけ真剣に書いたことがありました
それが以外にも役立っており、とても助かっています
生前なんとか今は当たり前になってるようですが、その前に病歴をしっかりと把握しておくのも良い手です
困るのは新しい病院に行くと、必ず病歴など細かなことを書かなければなりません
老眼もあるし、昔の病気がいつだったか細かく覚えていません
その時に役立つのがお薬手帳でありまする~
けれど、私は、その時、新しいお薬手帳だけしか持っていなかったので適当に書きました
血圧は上がるわ、心拍数は上がるわで、散々でしたけど
一番苦手なのが、道を覚える事よね。その次は医師との会話がうまくできるか
難聴と耳鳴りをともなう両耳の滲出性中耳炎は、本当に厄介なんです
電話に出たくても心が不安な時は全く出られません
今もまだその症状は回復しておりません
更年期障害はあったか?なかったか?と問われれば、あったと思います
喉から心臓が飛び出るくらいのバクバクも何度もありました
パソコンを覚えたての頃だったのでよく覚えております
また長くなりそうなので、この話はここで終わりますが
医師に薬をやめたい、または少し遠慮して減薬を申し出ると、大概 却下されます
あまりしてはならないことですが、最近では処方せんを貰ってもそのままにしてあります
以前はお昼だけ薬を飲まないこともしておりましたが、今は全く飲んでいません
飲んでも症状はよくならないし、かえって体に害を与えると思いました
なんども薬の副作用を調べました。意外なことに私の飲んでいる薬は副作用が比較的少ないものだといいます
それでも体中に薬が駆け巡るのですから、全く安心できません
せっかく高血圧の薬をやめたのに、今度は耳の薬で体調がおかしくなるのか?
次からつぎへと病が襲ってくるのはどういうわけなのか?
その原因が毎日の薬の服用であったことに気づきました
また、食事にも大いに関係しています。愛犬も一緒だと思いました
テレビで観ると、犬にも猫にも人間と同じものを与えている人が多いと思いました
愛犬は私の与えた餌で体調を壊しました。だから私とともに病を克服することを思い立ちました
それを考え出したらまともに眠れませんでした…
下手をすれば死も考えられます。けれど愛犬の薬を調べたら、人間の飲む薬と同様
いえ、それ以上に副作用が多かったのです
愛犬の病気は治らないと言われています。今のところ薬で安定はしていますが
たまに副作用と思われる症状があります
嘔吐、食欲がない、後ろ脚に力が入らない、ぴくぴく痙攣、不思議なくしゃみの連発
今実行しないとこの子は、死ぬまで副作用で苦しむことになる…
そして私もまた死ぬまで動物病院と行き来することになる…
そんなことがあってはならない。家計も苦しいが、私以外助ける人はいない
幸いなことに、今愛犬は元気です。本来薬は、二日おきに飲ませることになっています
三日あけても大丈夫でした。四日あけても大丈夫でした
四日あけることを二度やって、それ以降薬はやめました
今日で5日目ですが決心は変わりません。薬は捨ててもよいと思っています
一錠324円です。私にすればもったいない話ですが、実は命を蝕んでいるのです
そのことを話すと誰もが、「ちびちゃん、殺すの?」と言われてしまいそうです
そうならないように、私も毎食の食事に、助かる命の素を入れています
その命の素とは?それもまた説明できかねるのです
ちゃんと効果を出さなければ、私はただの嘘つきであり、犬を虐待したことにもなります
愛犬は私の命そのものであり、なにものにもかえがたいものです
犬ごときにそこまでするの?とか、健康な人にわからないのは当然の話です
結果だけが真実。まずは一週間、二週間、三週間、一か月様子を見ます
私も愛犬も頑張ります。とにかく健康になりたいのです
その為に、ブログを書くことも控えておりました
なんとか脳内の整理ができたので、書くことができました
もしも、まんがいち、ということがありましたら、すみやかにこのブログは閉鎖させていただきます
とても言い訳などできませんし、する必要もないでしょうし、結果がすべて
愛犬を助けたい、そして、自分も助けたい、ただ、それだけ…