いつ頃からだろうか?大体午後の4時とか5時頃に間違い電話が来る
たぶん、電話番号そのものを間違えているようだと思うけれど…
いつもは名前を名乗らないのだが、仕方なく、「〇〇ですけど?」
すると、「すみません、間違えました!」と電話を切るが、またかかってきた
声からするとおじさん、いえ、おじーさんに近いかもしれないがそのうち変な気持ちになった
見知らぬ人なのに、いつの間にか親しみを感じてきたからだ
きのうもかかってきて、「〇〇ですけど?」と言ったら、「どうもすみません、間違えました」
困惑するような感じではなく、ちょっと親しげな雰囲気の声だった
今度かかってきたら、電話番号の確認をしなければならないなと思った
男性の声なのだが、私にとってとても聞きやすい声なのだった
双方若ければそれなりに進展があるのかもしれないが、それは無理な話だなと思った
春になっても、気温が高くなっても、やっぱり季節の変わり目だね
一日二食にしたら胃の調子も体の調子もよいので、体調を見ながらやっている
基本は三度三食なのだが、仕方がないよね。一日二食でも体重が増えてくれれば問題ない
普通は減らすと体重が増えるんだけどね。お夕飯、少しだけ多めにおかずを摂ろうと思う
小腹が空いたのでなんか食べたいかな…
お墓参りの前後、なぜか体調を崩してしまった
風邪でもなく気圧の変化でもなくいつもと違う体調に自分自身戸惑う
今の時期は寒暖差もあるようだが、いろんなトラブルが起こって、その疲れが今になって出たようだ
墓参りに行くと決めたのはおよそ二か月前。ボイラーの故障が続いたのは昨年から
水漏れに関してはおととしから始まっていた。ようやく落ち着いた頃になって耳がおかしくなった
今までに聞いたことのない耳鳴りに恐怖をともなった
ラジオから聞こえてくる、どちらかというと、女性のような声にも聞こえる
それは耳垢が詰まった時に初めて聞いた耳鳴りだった
その時は耳鳴りだと思わなくて、ただただ怖さだけが募った
今日になってようやく気付いた。私の聞いている耳鳴りはラジオから流れている音であり、
車の中でいつも聞いていた音なのだ
ラジオから流れる音は聞こえにくいので言葉としてはよくわからない
それをもっと小さくしたような音が私の耳鳴りとなっているようだった
こうして冷静になって考えられるようになったのは、回復したからだ
耳鳴り(ラジオ)そのものは消えていないが、いつもの耳鳴りが大きくなっているのでそれで安心している
ザー、ゴーン、キーンなど細かく書くともっとあると思う。これらが同時になることもある
自分の中では、小、中、大、とあるのだが、大以外はもう慣れている
大の音になるとテレビの音は聞こえず、体調も悪くなる。寒暖差もそうだがとにかく疲れやすい
そうなると脳の働きも鈍り、体まで冷えてしまうこともある
普段聞こえている耳鳴りはそんなに気にならない。いつもの耳鳴りだから
ただ、今になって新たな耳鳴りが増えるとは全く思っていなく、そのことに不安になった
難聴が進んだから?それとも別の病が出てきたから?
そもそも耳垢が詰まったことで夜に不安になって、耳鳴りをともなったのだから逆に考えればよくわかったはず
けれどそれが耳鳴りだとは思わなかったのだ。恐怖と不安でそこまで考えつかなかった
高い山に登ると、「気圧」が小さくなることはわかるが、なぜ温泉の屋内で聞こえがよくなったのか
そこを離れるとすぐに耳の聞こえは悪くなり、耳管が閉じているようにも感じられた
低気圧になると聞こえが悪くなり、耳鳴りをともなう。高い山に登ると気圧が小さくなる
化学は大の苦手。高い山の屋内で聞こえがよくなり、耳管は大いに開いた
けれど屋内から一歩外に出たら、普通に耳は押されるように元に戻った
どのようなことが起こったのか私にはまだ説明ができない
また耳の正常な人はテレビの音は普通に聞こえ、私にはうるさいぐらい大きく聞こえた
それとも単なる偶然なのか?それもまた考えにくい。だって、玄関口に入った途端それは起こったからだ
だからもう一度だけ行ってみようかと思っている
音が鮮明に入ってくるとやっぱり脳はリラックスし、とても安堵感があった
私のパワースポットであるかもしれない(苦笑
帰宅してからまもなく早めの夕飯を摂った。今日は午前中から動いたので多少また疲れが出てきた
元気になっても動きすぎるとまたよくないようである。今日は寒い日となっている
3.11の7年目。テレビの報道も一段と少なくなった
そういえば、わさおの飼い主も亡くなったんだね。私もわんわん泣いたわ…
いろんな意味で今年はいつになくよく泣いた。その前によく泣いたのは確か更年期だったかな?
その時は次男のことを思い出すだけで泣いていた。けれど誰も助けてくれないんだと思ったら
即元気になった。私って開き直ると随分と強くなるみたい
泣いても叫んでも何もできない夫を目の前にするとなんだか情けなくなってきた
具合が悪くて横になっていてもことばもかけやしない
その理由を聞くと、「具合が悪いのに声をかけられないだろ?」というのだ
そんなもんやな。震災の時はさすがに「何もなかったか?」という電話の声は聞けたけど
今じゃ電話にも出ない、メールも返ってこない。さすがの私も自分の中から存在を消してしまう
そうでもしなければ、延々悪口を言いそうになる。他人のほうがまだ優しいとも言える
最近ではYさんにも嫌われてしまう。よかれと思って教えた情報がかえってあだとなったらしい
する、しないは、本人の自由である。私は押し付けたつもりもない
そう思っていても本人がそのように受け止めてしまったのなら私の責任でもある
難しいよね、こればっかりは。立場を逆にして考えてみたのだけれど…
うぅん、どうなんだろう。自分の中では辺り前の感覚であっても相手にしてみれば
「そんなこと?」と思うのかもしれない
自分がよかれと思っていても相手にしてみれば、よけいなこと、なのかもしれないね
で、震災当時は、カップ麺、納豆など全く手に入らなくて本当に困った
それらが体に悪いといっても、食べ物が何も手に入らない、となるといったいどんな生活になるのでしょう
きのうでしたか?使い捨てライターの使いまわしを見て思ったわ
日本は贅沢な国である。断捨離という言葉もあるが、物を大切にしない国でもある
個々それぞれに大切なものは違えど、やっぱり自分の心に感じたことはずっと大切にしたいと思った
私はわたし、あなたはあなた。大切な人に「あ な た」って呼んでみたいわ
逆立ちしても、自分の夫には、「あ な た」って言えない
もう顔はどこかの俳優‥ 妄想はここまでにしておこう
昨年から今年にかけて、今までにないくらいの寒さが続いている
3月に入ってもまだ最高気温がマイナスであり、雪も消えていない
きのう久々に犬の散歩をした。普段はその辺を歩くだけですぐに終える
初めて自分が冷え性だとわかった年でもある。意外と鈍感‥
ひとつふたつと悩みを抱えているうちに、少しずつ脳が過敏になっている
なんとなく気持ちが重いなーと思うと気温が低い朝だったり
楽しいことはなく、毎日不安を抱えている状態
抱えなくてもよいことを抱えてしまうので始末に負えない
そういうことを毎日繰り返している。いったいどうなっているのか
気温が低いのも今日までで、明日から気温が上昇する
明日は補聴器の調整がある。二日に一回温泉に行っているのでその日は補聴器をしない
人の声を優先して調整しているので、その他の音は大きく聞こえる
例えば、紙の音、食器の音(リビングでの作業の音)、スリッパの音、服のこすれる音など
通常より大きく聞こえる。それを調整してもらうと、人の声が聞こえづらくなってしまうらしい
さほど調整は必要なくすぐに終わると思う。あまり何度も行くのは精神的に苦痛になる
私の場合は日によって聞こえが違ってくるので、補聴器は人との会話が多い時に使用する事になる
いくら慣れてきても、補聴器はしないほうが耳には自然である
普段聞こえない音が聞こえると疲れて来るし、お昼寝の時はしないほうがよい
冬の季節が終わったら、耳の聞こえがどう変わってくるのか
また墓参りを済ませたらどう変わってくるのか
いろんな意味で、私の体調はかわってくる、らしい
年齢に対して20歳も若く見える人がいる。本当に羨ましい
どうやったらそうなれるのか、と思いますよね
ただ、その方と同じものを食べたからといって、すぐさまそうなるわけではありません
逆にその方は目に見えないところで、とっても努力しているのかもしれませんし
自分は他人のようには生きられないのだから
人とは違う考え方、生き方がある。だから他人が羨ましいと思うのかもしれない
自分はじぶん。他人はたにん。私も間違っているのかもしれないがそれなりに努力はしている
けれどそれ以上の努力はできないかもしれない。それを責められてもしょうがない
過去の記憶に責められ、現在もまた責められ、それだと自分が苦しくなってしまう
怖くて何も考えられなくなってしまう
そんなに責めないで、そんなに怒らないで、と思ってしまう
今日もお日様を求めて生きている…
きのう不思議な現象が起きた!な、なんと耳の聞こえがよくなっている
いつもパソコンに向かいながらテレビをつけている
耳鳴りもBGMだが、テレビもまたそのような感じである
息子がテレビを返す、というので、数年ぶりに観ている
その時は気づかなかったが、音がとても聞きづらい
そこで調べてみたら私の観ているテレビは、音声が非常に悪いらしい
そこでリモコンで音声調整をしてみたらようやく音が耳に入ってきた
当時はなんともなかったのだから、やはり聴力が落ちているのだった
きのうは午前中慌ただしかった。お金の送金もあったが、通帳の磁気不良で銀行にも立ち寄る
いつもと違い、手際が悪く、むだな動きが多くなってしまった
私はすぐにお金を支払うが、夫は私とは真逆なので、きのうも入金なし
一日待っても一か月待っても状態は同じで、二か月0円生活が続けばもう訳がわからなくなる
ボイラーの交換は済ませたのだが、なかなか水漏れがとまらない
そういう中で過ごしているとストレスと不安感が大きくなる
半日だけ耳の聞こえがよくなった理由には、気圧の変化が関係している
小雨、そして気温も上昇した。少しあったかかったのである
脳内の血流もよく、三日ぶりのお通じもあった
急に耳にテレビの音が入ってきたので、「えっ!」と思った
その途端、脳内がスッキリとし、クリアになってしまったのだった
悩んでいたことが本当に消えてしまい、あっというまに、脳は回復
そうか、私の不安は難聴からきているのだ。音が入らない分、脳内に支障をきたしていることになる
これって大発見!!てっきり私はネガティブ思考だとばかり思っていたのだ
実はそうではなくて、難聴から来ている不安感だったのだ
このままずーっと続けばいいな、と思っていたら、一晩寝たらまた元に戻っていた
今日は悪天候である。そしてここ一週間の天気予報を観ていたら、雪マークもなくなりつつあった
ようやく長かった冬から解放される。そして当然雪かきからも解放される
またトラブル続きだったボイラーからの水漏れもけさ、少しずつだがおさまってきていた
生活費の入金は今日から月曜日まで様子をみる。それでも入金がなければ息子が連絡するといっていた
これだけでも私にはありがたいこと。お金を要求することは精神的に負担が大きい
耳にテレビの音が入ってきた途端、私はすぐに決断した
入ってこないお金をずっと待つのはやめよう。入れないなら離婚だって可能だ
私の中で、「夫」の存在を消してしまったのだ
通帳に入っているお金もまた夫の稼いだお金だ。それを使い切ることですっきりとしたい
もう失うものはない。洋服も必要ない。住宅ローンが終わるまでは辛抱である
その先のこともまだ何も考えていない。たぶん、私と夫はずっと平行線のままであろう
そのうち、息子らのどちらかが結婚もするだろう
お金はある程度はなくてはならない。夫はお金がないと、性格が変わってしまうのだ
また奇跡が起こらないかと思っている…
夫に振り回されるのではなく、自分の人生を歩まないと幸せが逃げてゆく
何も望むものはない。ただただ、聴力が元に戻ることだけを祈っている