これまで様々な職場を経験してきて・・・
周囲(特に部下)との円滑なコミュニケーションの機会が無い、または(上→下の)一方的なコミュニケーションになっている人ほど、標語などに「コミュニケーション」と言うフレーズをやたら頻繁に掲げるような気がするのは、単なる気のせいでしょうか・・・。本当に部下との円滑なコミュニケーションが図られているのであれば、何もわざわざ「コミュニケーション」なんて言葉を掲げる必要など無いのではないか。
本来、標語とは「組織の方向性や目標・目的」が主体であって、そこに向かうためのプロセスや手段として「円滑なコミュニケーション」と言うものが位置付けられるのであり、そのコミュニケーションをわざわざ標語に掲げなければならないという事は、既にその組織において「円滑なコミュニケーションが機能していない」という事の現れなのではないか・・・と。(逆に、そういったものに無頓着なのでコミュニケーションと言う言葉を敢えて掲げない、という見方も出来なくはないが・・・)
特に「コミュニケーション能力」と言う言葉を何のためらいも無く振り回す人ほど、実は部下との円滑なコミュニケーションを図る事が出来ていなかったりする・・・なんて事も。もちろん、部下の側に本当に「コミュニケーション能力」なるものが欠如している場合も少なくないでしょう。かく言う、この私自身も「コミュニケーション能力」なるものには正直余り自信がありません・・・が、その事を自覚しています。だからこそ、仇とならないように細心の注意を払うのです(でも正直、自覚しているだけマシかもしれない)。
この「コミュニケーション能力」の定義がまた難しいのですが、基本は「自分の考えや思いを相手に伝える能力」そして「相手の考えや思いを汲み取る能力」であろうと思います。しかも、「ただ伝えれば良い」というものでは無いでしょう。無理矢理、立場の上下や権力で相手をねじ伏せるのではなく、「相手の立場や考え方も尊重しつつ、その上で的確に(相手の目線に立って?)自分の意見を述べ、また、その一方で相手の考えや思いを的確に汲み取る」ことが大切になるのではないか、と思います。要は思いやりの心でしょうか。
私もまた、どこまで「相手の立場や考え方も尊重しつつ、その上で的確に自分の意見を述べ、また、その一方で相手の考えや思いを的確に汲み取る」ことが出来ているのか、正直、余り自信はありません・・・。しかし、極力これを心掛けて行きたいと思います。わざわざ「コミュニケーション」なんて言葉を標語に掲げなくても良い職業人を目指したいものです。
それにしても「コミュニケーション能力」なんて言うカタカナ言葉はいつから流行りだしたのか?以前は何と言う日本語で表現されていたのだろうか?
周囲(特に部下)との円滑なコミュニケーションの機会が無い、または(上→下の)一方的なコミュニケーションになっている人ほど、標語などに「コミュニケーション」と言うフレーズをやたら頻繁に掲げるような気がするのは、単なる気のせいでしょうか・・・。本当に部下との円滑なコミュニケーションが図られているのであれば、何もわざわざ「コミュニケーション」なんて言葉を掲げる必要など無いのではないか。
本来、標語とは「組織の方向性や目標・目的」が主体であって、そこに向かうためのプロセスや手段として「円滑なコミュニケーション」と言うものが位置付けられるのであり、そのコミュニケーションをわざわざ標語に掲げなければならないという事は、既にその組織において「円滑なコミュニケーションが機能していない」という事の現れなのではないか・・・と。(逆に、そういったものに無頓着なのでコミュニケーションと言う言葉を敢えて掲げない、という見方も出来なくはないが・・・)
特に「コミュニケーション能力」と言う言葉を何のためらいも無く振り回す人ほど、実は部下との円滑なコミュニケーションを図る事が出来ていなかったりする・・・なんて事も。もちろん、部下の側に本当に「コミュニケーション能力」なるものが欠如している場合も少なくないでしょう。かく言う、この私自身も「コミュニケーション能力」なるものには正直余り自信がありません・・・が、その事を自覚しています。だからこそ、仇とならないように細心の注意を払うのです(でも正直、自覚しているだけマシかもしれない)。
この「コミュニケーション能力」の定義がまた難しいのですが、基本は「自分の考えや思いを相手に伝える能力」そして「相手の考えや思いを汲み取る能力」であろうと思います。しかも、「ただ伝えれば良い」というものでは無いでしょう。無理矢理、立場の上下や権力で相手をねじ伏せるのではなく、「相手の立場や考え方も尊重しつつ、その上で的確に(相手の目線に立って?)自分の意見を述べ、また、その一方で相手の考えや思いを的確に汲み取る」ことが大切になるのではないか、と思います。要は思いやりの心でしょうか。
私もまた、どこまで「相手の立場や考え方も尊重しつつ、その上で的確に自分の意見を述べ、また、その一方で相手の考えや思いを的確に汲み取る」ことが出来ているのか、正直、余り自信はありません・・・。しかし、極力これを心掛けて行きたいと思います。わざわざ「コミュニケーション」なんて言葉を標語に掲げなくても良い職業人を目指したいものです。
それにしても「コミュニケーション能力」なんて言うカタカナ言葉はいつから流行りだしたのか?以前は何と言う日本語で表現されていたのだろうか?