◎水平の悟りを持ちながらカルマ「名」を生きる
ダンテス・ダイジの未公刊の韻文集『老子狂言』の巻頭について。
まず生の側から極めるというのが、その求道の姿。そこで水平の悟りを持ち続けながら、波乱万丈の社会生活、私的生活を送るというのが、老子狂言本来の意義である。
私は窮極を極めることなく老境に至ったが、その歩んできた道は、クンダリーニ・ヨーガや密教、錬金術、煉丹、古神道の「死の側から極める」ではなく、サービス業で精密に仕事をやり続けながらそれを道とする事上磨錬をベースに、老子的あるいは只管打坐的な「生の側から極める」人生行路だった。
狂言というのは、生の夢幻性を心得て演ずるから狂言。
『わが最愛なる妻
ピット・インに』
(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)
ダンテス・ダイジには三人の女性がいて、ノリーン、ピット・イン、スーパー。ピット・イン、スーパーは、鬼籍に入ったと聞いた。ノリーンは、何度か見かけたことがあったが、口をきいたこともなかったのに、ある日電話を呉れて、冥想修行の心構えみたいなことを伝えてくれたことがある。
スーパーは、いい感じの女性だった。世間話を一度したことがある。インディアン相撲で敗れた相手。
ピット・インは、雑談を何度かしたことがあったが、ある夜突然電話をかけてきた。その電話が、彼女の死の直前の電話だったことを知ったのは、翌日のことだった。その電話によって、私は性愛冥想(カーマ・ヨーガ)が、男性側の冥想法であって女性側の冥想法ではないことを確信した。ダンテス・ダイジはピット・インは成仏したと語ったが、その時成仏って何だろうと思った。
『献辞
伊福部無為隆彦老古仏に
愛をこめて』
(上掲書から引用)
『序
老子の体得者 無為隆彦先生について
無為隆彦先生は、本名は伊福部隆彦という。
40何歳かの年に、1年間の本当に正直な生活行為と、「老子道徳経」との体読により突如、タオを悟る。
以後、曹洞禅に参じ、老子のタオと道元の名づけた仏教とのまったき同一なるを参禅弁道により悟了す。
その教えの中心は、その時々に変化していく自己の義務すなわち「名」を徹底的に生き切るという、一切のものに対する報恩感謝の生活道にあった。
ヨーガで名づけるところのカルマ・ヨーガである。
この無為隆彦師との出会いなくして、現在の私の冥想はあり得ない。』
(上掲書から引用)
伊福部隆彦氏は、新聞記者だったらしい。戦時中に彼が出版した老子に関する本を読んだことがある。ダンテス・ダイジの説明のポイントは、老子の悟りと曹洞禅・只管打坐の悟りが同一であるという点とその人のカルマである「名」を生きるのが「生の側を極める」ということ。
伊福部隆彦氏は、カルマ・ヨーガで悟り、その後只管打坐で悟った。
多数の人が、悟りを持ちながら、その人のカルマである「名」を生きるようになれば、全面核戦争を避けこの時代の文化的精華を保持したままで、次の至福千年、みろくの世の新時代を迎えることができる。そういう観点から、老子狂言の意義は重要である。