◎決定的根拠
(2007-07-22)
エスニックなグルメ、ジャパネスクなグルメ、アヴァンギャルドでキュートなファッション、魅惑的な異性との出会いとメイク・ラブ、異国の旅先で感じるほのかなエキゾチズムなど人の心を惹きつけるものは、この情報あふれる時代で、価値観の多様化した今でも数多いものだ。
何があっても心の底から満足しえないことを知っている21世紀初頭の日本人にとって、本当の満足へのメソッドとはこのようなものか。
『決定的根拠
いかなる根拠もないということが、
これそのものなのだ。
理屈と保証がないからこそ
これは久遠の安楽なのだ。
喜びもなく苦しみもないからこそ、
あなたは永遠の平安を生きて死ぬ。
そして、
あなたは喜びを求めて飛び続ける。
ニルヴァーナという妄想
エクスタシーというマーヤ-
それを欲すること-----
これが人間という戯れの正体だ!
何もかもなし!
ただただ、これの戯れでない戯れ・・・』
(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)
これは人間にとって最後に求めるものが涅槃、タオ、アセンションであることを無意識の前提であることを暴いて見せている。そして、それには何の理屈も保証もない。
ただ最後は坐って、クンダリーニ・ヨーガ型か只管打坐型の冥想を行うことで、この詩を書いた同じ世界(実感ではない)にいることができるはず。
けれどもこの詩の外見は、錬金術文献のような、とりつくしまのない二律背反が並べてある姿。
何の理屈も何の保証もないとは、冥想しさえすれば、だれでも窮極のエクスタシーたる実在(ニルヴァーナ)に出会えたり、実在であることを体感したりすることは保証されないし、そうであることの理論的裏付けなどありはしないということ。
それでも日々冥想を!