◎組織宗教と個人宗教、顕教と密教
(2017-09-11)
エジプト神話では、トースは出てくるし、アメンチーの名も出てくるが、何のことかは、想像すらもできない程度に。
ダンテス・ダイジ座談では、アトランティスでは、神の宮という中央官庁兼最高神殿みたいなのがあり、その奥殿がアメンティ。そこにトースを中心とする12人の超人がいて、彼らは組織宗教的を体現していた。そしてもうひとりダンテス・ダイジは13番目の超人としてそこにいたが、彼は遊戯者であり、宇宙を遊び戯れる超人であった。
アトランティス末期に、ダンテス・ダイジは、神の宮を後にして、トース系の12人と袂を分かった。
以後、アトランティス沈没を経て、この中有の如き時代は、自分のわがままを通す、自己主張を強烈に行うのが当たり前みたいな社会通念が年々強まってきた。これは、トースの系流の悪い方の特徴である。
トース系は、組織宗教が、教義でもって大多数を縛り、教義という思想・イデオロオギーでもって集団統制・集団教育をやっていく結果として、個々人の自意識の分化が発達し、自分の欲望を実現しようとすればするほど、他との孤立化、分断化が進むというあい路に入っていく。
それが、非常に進展した社会が、現代社会である。この結果、この生き方が、多数の社会的不適応者、つまり薬物依存、ギャンブル依存、モバゲー依存、ひきこもり、うつ病者などを多数出している。
悟りはこうした社会的不適応者への最終的救済とも位置付けられるが、これだけ社会的不適応者が輩出するということは、この文明社会がそれだけ、悟りを希求するほど切羽詰まっているということ。
これに対して、ダンテス系は、行雲流水の如き遊び戯れる者。ただし人間を忘れてはいない。
密教のエッセンスの相承が、肉体でなく、アストラルの師匠から行われるらしいことは、これまでの例で見てきたところではある。密教系では超能力を駆使するがそれは総じて人間を扶けるためである。
西洋錬金術は、キリスト教の影絵として連綿として存在し続け、道教の錬丹は、その本質は内丹にありながら、外丹という薬物服用にみせかけては、命脈を保ってきた。
仏教系の密教では、成就者を何百年に一度は出しながら、観想法、呼吸法、呼吸覚醒、カーマ・ヨーガ、ソーマ・ヨーガなどいまだ世に知られぬテクニックをも含めて、秘密裡に存続してきた。
錬金術、密教系、クンダリーニ・ヨーガ系は、そのあらゆる危険性のゆえに組織宗教の埒内ではできず、どうしても、『寺を出て出家する』タイプの独自の秘密の道を歩まねばならなかった。これがダンテス系。
来るネオ・アトランティスでは、トースとダンテスが合体するという。人が神を生きるのに何の憚りもない時代よ。