◎ダンテスの甘いささやきと悪影響
(2017-09-12)
ダンテスの系流に属する聖者たちは、アトランティス末期のダンティス・ケンタウロス、クリシュナ、臨済などがいる。
彼らの主張は、ステップや方便を越えて単刀直入に「現実」に言動せしめること。つまり、時により、人により、状況によっては、冥想もいらない、宗教もいらない、戒律を守ることもいらないなどと語ることである。ところが、これにより、様々な倒錯や、誤解を実践に移す人が出たことは問題であった。
ダンテス・ダイジは、このことを彼の著作メディテーション・トラベル・ガイドにおいて、臨済の悪影響として挙げている。
それは、坐禅は無意味だと言ったり、その場の人間的気分で好き勝手なことをするのが究極の悟りだと思ったり、大声で一喝するのが禅だと思い込んだり、この肉体がこのままで仏だなどと叫ぶ人物が出ることなどである。
臨済は僧堂の中で語ったがゆえに、その真理にストレートに肉薄する言動は、TPOを備えていたので、ある程度真意は伝わったが、市井で、TPOにおかまいなく、じゃんじゃんこうした素っ裸の真理を語られた場合には、悪影響は、臨済の比ではなく、邪教を発生せしめたり、宗教テロみたいなことを惹き起こすことにもなっていく。その場の人間的気分で好き勝手なことをするのもノンデュアリティではあるまい。
ダンテスの系流の言葉は甘い。
『そのお前の肉体が絶対の真実だ』(臨済)
『汝は神なり』(ハインラインのSF異星の客に出てくる教団信者同士の挨拶がこれ)
『アルジュナよ、君は決して生まれることも死ぬこともない』(バガヴァッド・ギータでクリシュナが語った)
『君達はもともと救世主である』(ダンテス・ケンタウロス・アメンティー)
人生を十全に生きる情熱を欠いて今生を生きる人には、こういう甘いささやきに乗せられて、人生全体や人生のワン・シーンを誤ることがある。
こんな甘いささやきに騙されない情熱豊かで疑り深く、苦労人で、だが素直な人物が、ダンテスの系流の求道の道を辿れるのだと思う。