◎自序
ジェイド・タブレットでは、ライフ・ステージ別の窮極に至る道と天国希求以降のポイントを説いてみる。
古来、神仏に至る冥想のステージは様々な段階として説かれ、冥想の深浅高低は、多くの宗派で説き尽くされてきた。いずれも、迷い(マーヤ、無明)から悟り(神仏・ニルヴァーナ)に至る段階を説いているのだが、アメリカの覚者ケン・ウィルバーのように悟り段階を持っていないステップ説まで披歴するようになっては、訳の分かっていない人はますます困惑することとなり、世の混乱は極まれりと言うべきだろう。
そこで、瞑想とか宗教にほとんど知識がない青少年や大人を念頭に、日々の冥想が世界平和と真の幸福をもたらすものだという流れを、簡単に書いてみるものである。
その中でキーポイントは、愛である。愛は永遠の価値があるが、かそけく簡単に壊れやすいもので、自分から主張する強引さとは無縁である。
冥想の深浅高低-1(ヨーガ・スートラに見る定と三昧-1)
冥想の深浅高低-2(ヨーガ・スートラに見る定と三昧-2)
冥想の深浅高低-3(ヨーガ・スートラに見る定と三昧-3)
冥想の深浅高低-4(原始仏教の分類1)
冥想の深浅高低-5(原始仏教の分類2)
冥想の深浅高低-6(原始仏教の分類3)
冥想の深浅高低-7(原始仏教の分類4)
冥想の深浅高低-8(原始仏教の分類5)
冥想の深浅高低-9(原始仏教の分類6)
冥想の深浅高低-10(冥想の縦軸と横軸)
冥想十字マップ-1(定とサマーディ(三昧)の違い)
冥想十字マップ-2(チャクラと七つの身体への対応)