◎無何有郷=どこにもない場所
(2018-07-26)
太乙金華宗旨の逍遥訣から
『第七句
そして奥義中の奥義をしめす一句がある。
第八句
どこにもない場所こそ真の家である。
(無何有郷は是れ真宅なり)』
呂洞賓の解説では、この二句は、訣中の訣、つまり核心である。常にこれから離れてはだめなもの。いわゆる心を洗い、想念を浄化し、沐浴を行うことである。
沐浴こそは、大周天の奥秘である、と。
沐浴は、太乙金華宗旨の文中に3箇所出てくるが、逍遥訣以外のもう一箇所は、第十二章周天。
第十二章周天では、周天とは気をメインにするものでなく、心で到るもの。周天とは、(もともと動くものへの)サポートであり、無心にして守り、無意にして行う。
更に薬とは有形のものでなく、性光(本性の光)であって、先天の真気であり、これは大定という深い瞑想の境地において必ず現れるものだから採薬という言い方は間違っている、とする。
このように第十二章周天では、個人における薬の現れ方を説明しながら、そんな周天が成功しようがしまいが、自分の立ち位置は常に正位にあって、万物はただちにのびのびとした状態にある、これこそが、様々な内丹経典でいう沐浴であり、これぞ大周天であるとする。
つまり個は一つながりのもの=アートマンに変ずることこそが沐浴であり大周天だとしている。
最後に無何有郷、つまりどこにもない場所とは、OSHOバグワンは、ずばり『今ここ』、時間も空間も物質も誰も彼も一つながりの場所であると、一言で片付けている。