◎死の受容
『エリザベス・キューブラー・ロスの思い出 ファーン・スチュアート・ウェルチ/編集 麻布小寅堂』は、いろいろな人の手によるエリザベス・キューブラー・ロスの追悼文集。
その中にキャロライン・メイスの文も入っている。
エリザベス・キューブラー・ロスは、どうしてあれだけアメリカ社会で反発をかったのだろうか。死の受容とは、恐怖や悲嘆や不安と向き合うことである。
自由の国アメリカはアメリカン・ドリームがある代わりに下層階級の悲惨な生活もある。そして貧富にかかわらず誰にも死がある。彼女は、臭いものの蓋を開く、ある種の露悪者として、敬遠されたところがあったのかもしれない。
キリスト教で、輪廻転生がなく、天国に行けないとなれば、地獄か煉獄行きのわが身を受容せよというのは、日本人が思うほど簡単なことではないのかもしれない。
だが、彼女が出たことで、ホスピスとか終末期医療の重要性が世界に認識されたという影響はあるのだと思う。
死の受容とは最終的には自分の死の受容だが、それに先んじて近親者の死を受容するイベントが発生することが多い。近親者の死とは他人の死のことだが、それが自分の一部の死であると認識する場合は、死の受容が必要である。
死を受容する人は優しい。死を受容する人は他人を傷つけることなどできない。
死の受容は、愛のハートが開くことである。
日本では、お盆やお彼岸に墓参りをするが、これは先祖供養という名目ではあるが、そのエッセンスは、親族の死に心を開き、墓参する生者自身の愛のハートを開くことである。
エリザベス・キューブラー・ロスは、病院の医者であって、死を受け入れることのできない終末期患者を多数目にし、例の黒人掃除婦の事件で、大いに感得するところがあった。
キャロライン・メイスは、エリザベス・キューブラー・ロスのワークショップに初めて参加したことで、ジャーナリズム学科の大学院生だったのが専攻を神学に変えた。
肉体死が起こるとその数時間後にエーテル体が崩壊し、アストラル体に之(ゆ)く。それは物理メカニズムみたいなものだが、自分の死さえ死後になっても受け入れられない人もいるし、生きていてもとても生きづらく生きる人もいる。
死の受容は日々の冥想習慣に向けた最も身近な糸口のひとつだと思う。