◎ジェイド・タブレット-07-12
◎天国まで-12
◎悪魔と対峙する準備なし
天国的な修行をしていても、それだけでは実生活で起こるさまざまな悪に対応できないということをシンボライズした禅の公案がある。
昔、一人のおばさんがいました。禅僧を庵に住まわして二十年間供養していました。
いつも16歳の娘を遣って食事など身の回りのお世話をさせていました。ある日、娘に因果を含め、庵主であった件の僧に抱きつかせて「こんな時、私をどうしてくれるの。」と言わせました。
その時、禅僧は次のように答えました。
「あなたがそんな風にいきなり私に抱きついても、私は、真冬の暖気のない岩に枯木が寄りかかっているようなもので、ぜんぜん熱くなっていません。」
娘は、このいきさつをおばさんに報告をしました。
おばさんは、「私は、二十年間も、こんな単なる俗物に供養し続けてきたのか。」と烈火の如く怒り、直ちに禅僧を庵から追い出し、庵を焼いてしまいました。
件の禅僧は、修行はまじめにやって、高みは極めていたに違いない。それで充分だと考える人もいるのだろうが、一歩世間に出てあらゆる俗事に出会えば、混乱して為すすべを知らなかったということになるだろうか。禅僧は体裁を繕うために、「枯木寒巌に倚る、三冬暖気無し」と逃げたが、おばさんには簡単に看破されてしまった。
この公案ではそれからどうすればよいかは何も書いていないが、求めるステップは、エックハルトの言う「神のために神を捨て去る」ということなのだろうと思う。大燈国師ですら大悟した後、鴨川の河原で20年乞食修行して、自由を求めた。