◎孫不二、普化
屍解とは、死に際して肉体を虚空に消滅させること。分解しきれずに髪や爪が残るケースもある。所要時間は、およそ数時間から1週間とまちまちである。
何よりも疑問なのは、その狙いである。
そして特徴的なのは、屍解は宗派の垣根を飛び越えて様々な宗派で見られるということ。
そして屍解そのものもいろいろな種類があるように見える。
それらの動機、プロセス、技法も勿論謎だが、ここでは、敢えて屍解の狙いと所要時間を『開拓されるべき地平たち』として挙げる。
屍解は、神秘生理学的事象であって、大っぴらに公衆の面前で行われることはないが、逆に大衆に知らしめることもまた企図されている。
悟りを目指し、神人合一に向かって日々努力するというのは、精神的な行為がメインのはずだが、聖者、覚者、成道者の一部が肉体変成による屍解という奇妙な技を古今東西にわたって見せているのは、実は何か重要な意味があるに違いないと思う。
屍解の例:
1.孫不二
孫不二は、金代の女性道士。1182年12月29日、彼女は、自らの死期を悟り、斎戒沐浴し、遺偈を歌った後、蓮華座に座り、太陽が天頂に達したことを確認して後、屍解したという。
屍解の所要時間は不明。
2.普化
普化は、唐代の人で、臨済禅を興こした臨済義玄より一枚上手の禅者。
ある時普化が、「俺もそろそろ冬支度なんかで、ちゃんとした服装がほしくなった。」と言い出した。すると周りの本当に普化の価値をわかっている檀家が、きれいな衣を普化にあげるが、普化は「そんなもの駄目だ」と断る。
そうすると臨済だけがわかって、棺桶を作ってあげた。
普化は「臨済が俺の服を作ってくれた。」
「臨済が俺の服を作ってくれた。」と言って棺桶にひもをつけて、引きずりながら、村中を練り歩く。
それを見に村の野次馬が集まったところで、普化は、「俺は、明日北の門で死ぬことになる。俺は午後3時に死ぬぞ」と宣言する。
翌日午後3時、物見高い村人が、北の門にそれはそれは大勢集まった。ところが普化は大分遅れてやってきて「今日はちょっと日が悪いな。うん明日にしよう。俺は、明日南門で死ぬから。」とまたも予告する。
その翌日午後3時、好奇心旺盛な村人が、南の門にそれは大勢集まった。ところが普化は大分遅れてやってきて「今日はちょっと肌寒いしな。うん明日にしよう。俺は、明日東門で死ぬから。」と予定変更する。
そのまた翌日午後3時、本当に物好きな村人が、東の門に若干名集まった。集まった村人は、「普化は、きちがいだとか聖者だとか言われているが、さっぱりわからないけれど、死ぬ時にはわかるかもしれない。」などと考えている。
ところが普化は遅れてやってきて「今日もちょっと調子悪いなあ。うん明日にしよう。俺は、明日西門で死ぬから。」とまたも延期する。
そのまた翌日午後3時、西門には誰も来なかった。普化が棺桶を引っ張ってきて、周りを見ていると、一人の旅人が通りかかる。普化がその旅人に「頼むからここに穴を掘って、俺が棺桶に入ったら、そこに釘を打って、それから埋めてくれればいいから。」と頼む。
それで、普化が棺桶に入って、釘を打ってもらって、土をかけてもらった。
旅人はびっくりして、「なんか乞食坊主みたいなのが、西の門の原っぱで生き埋めにしてくれって言うから、そのとおり、棺桶に入れて生き埋めにしたけれど、あれどうなっているんだ。」などと言うと、村人は、驚いて西門に駆けつけて、掘ってみると棺桶に釘が打ってある。それをこじ開けて中を見ると草履が片方残っているだけで、もぬけの空。そして突然ちりーん、ちりーんと音がして、ずっと空の方に上がっていって、『ワッハッハッハ』なんて大笑いが聞こえてくる。
(これは、もともと臨済録に出てくる話で、ダンテス・ダイジが座談で語ったもの(素直になる/ダンテス・ダイジ講話録4/P162-165参照)をアレンジ。)