◎霊眼とパノラマ現象
華厳経では、一粒の微塵の中に巨大な仏国土が存在している。
『一一の微塵の中に仏国海が安住し、仏雲が遍く護念し、弥綸して、一切を覆う。
一つの微塵の中において、仏は自在力を現じ、神変することもまたかくの如し。
諸仏及び神力は、盧遮那の示現したもうなり』
(華厳経盧遮那仏品 第二之二)
つまり時間とは、〈有〉〈隙間〉〈有〉〈隙間〉〈有〉と進行しているが、この〈有〉に過去現在未来を含むあらゆる無数の微塵が含まれている。微塵の中味には滅するものも多いが不滅のものもある。
それは、どういう見え方かと言えば、出口王仁三郎が語っている。
『ここで自分は神界幽界の現界に対する関係をちょっと述べておこうと思う。
神界と幽界は、時間空間を超越して、少しも時間的の観念はない。それゆえ霊界において目撃したことが、二三日後に現界に現れることもあれば、十年後に現れることもあり、数百年後に現れることもある。また数百年数千年前の太古を見せられることもある。
その見ゆる有様は、過去、現在、未来が一度に鏡にかけたごとく見ゆるものであって、
あたかも過去、現在、未来の区別なきが如くにして、しかもその区別が歴然推断され得るのである。
霊界より観れば、時空、明暗、上下、大小、広狭等すべて区別なく、皆一様平列的に霊眼に映じてくる。』(霊界物語第一巻/出口王仁三郎から引用)
また人間は、パノラマ現象、パノラマ記憶で、類似の直観を得ることがある。
これに対してヤキ・インディアンの呪術師ドン・ファン・マトゥス。
『「一瞬が永遠にもなるということを知ってるか?これはなぞなぞなんかじゃないんだぞ。事実なんだ。
ただし、お前がその瞬間に乗って、自分の全体性をどの方角へも広げていけるようにそいつを利用すれば、
の話だがな」』
(力の話/カルロス・カスタネダ/太田出版P16から引用)
さらにドン・ファン、
『いまこの瞬間、お前が不滅というものに囲まれているのがわかるか?そして、お前が望みさえすればその不滅というものを利用できることを知ってるか?』
(力の話/カルロス・カスタネダ/太田出版P16から引用)
ドン・ファンは、一瞬が永遠であることを示し、それすらも利用できることをほのめかす。 それすらも利用できることとは、冥想自在。
華厳経の一粒の微塵とは、あらゆる生物無生物の生滅のことである。隙間と並べてみると微塵全体が、停止していることに気づいたパタンジャリ。