◎カルマを上映するスクリーン
(2011-06-04)
オランダの心理学者ダウエ・ドラーイスマによるパノラマ記憶についての表現。
『パノラマ記憶の最近の体験話で、それよりはるかに共通して用いられる隠喩は映画であり、フラッシュバック、再生、スローモーションのような映画用語である。
以下の例は、臨死体験の研究から取ったものである。
・「私の人生が瞬間的に再生されているあいだ、時間がわからなくなり・・・・・・」
・「カメラから外れたフィルムに写っている」かのように時間が通り過ぎていきました。
・温かい人間関係の記憶だけが「選別されてスローモーションで流れました」
・「フィルムの早送りのように、画面の一つひとつが、きちんと枠に収まって、はっきりした映像で、速い速度で連続して現れました」
・「非常に高速の映画です。ほんのいくつかの出来事を集めたハイライトでした」
・「それは映画のようでした。目の前を右から左へと進んでいく撮影カメラのようでした」』
(なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか/ダウエ・ドラーイスマ/講談社P337から引用)
彼は、パノラマ記憶の視覚性と自分の登場する映像を第三者的に見る感覚の両方を表現する暗喩として、パノラマ記憶は「映画」として表現されると指摘する。その一方ですべての記憶が一斉に同時に現れたように見えるという特徴は、「映画」にはない要素として挙げている。
カルマというフィルムは脳というスクリーンで展開されるが、パノラマ記憶という特殊な上映状況においては、脳を介さずに生カルマを直接上映するために、「すべての記憶が一斉に同時に現れたように見える」のだろうか。