◎本物のブタ
自分がブタ小屋から出たブタであることは知らぬが花。だがブタであることに気づいたら本物のブタになるしかない。
ダンテス・ダイジの未刊行の老子狂言の最後から2番目の詩を引用。
『格言5
知らぬが花なのよ、
少なくともブタ達にとっては。
言い古された言葉だが、
民主主義も共産主義も、
衆愚政治に他ならない。
不幸は、
ブタをブタ小屋から出したところから始まる。
現在の人間進化のステップでは、
99パーセントは、ロボット、もしくはブタである。
現文明の崩壊は、とっくの昔に始まっている。
そして、それは逃げるすべのない宇宙的テストでは、あるのだが・・・
ところで、ブタが本当にブタであり、
ロボットが本当にロボットなら、
それはそれで素敵だ。
賢者といい聖者といい超人というも、
結局、本物のブタでありロボットであることに違いはない。
老子よ、あなたは何という俗物なのか!
他のありとあらゆる者と同じように。
産まれて生きて死ぬというのに、
君は
この上、何を問題だというのかね?』
自由な石屋さんものを読むと、現代の大衆は、洗脳された奴隷だったり、マインド・コントロールされた子羊であるというように描かれている。
誤解を恐れずに言えば、洗脳される側と洗脳する側とに大した違いはない。
どうして自分はブタ小屋から出てしまったのだろうか。どうしてアダムとイブは楽園から追放されてしまったのか。
この時代は、人を効率的にブタにするシステムが発達、完備していて、ブタ王なるマスコミが四六時中提供するニュースに、民主主義的なあるいは共産主義的な教育カリキュラム、個人の人権を先験的に認める神なき私権擁護の法体系、そして人間とは肉体人間であるという大前提を疑わない現代科学と、あらゆるブタをブタ小屋の外の柵から逃さない工夫がこらされている。
最近は、世界中ほとんどの人がスマホを持って移動するようになり、スマホこそは窮極のブタ管理マシーンである。スマホを持つ限り、ブタはブタの悲劇から逃れられない。
そうした時代も長くは続くまいが・・・。
最近の洗脳手法はすごい。人を覚めた意識のままでトランスに入らせることなく、言うことを聞かせてしまう。これがアメリカ流の実験心理学の成果というものなのだろう。
意識の側の洗脳と無意識の側の洗脳を効果的に組み合わせれば、人は見知らぬ第三者に金も渡すし、人も殺してしまう。それがオレオレ詐欺であり、オウムの洗脳でもある。
意識の側の洗脳と無意識の側の洗脳のサンドイッチとは、かくの如く恐ろしいものだ。
こうして人はロボットとして生き、ブタとして生きる。意識の側の洗脳とは、偽情報や情報の一部や都合の良い情報しか出さないこと、情報操作。
無意識の操作とは、最初直接本人には関係のない情報として与えるが、恐怖・驚愕・意表をつくなど情動を揺り動かして、本人が判断する時に大きな要素として働く暗示。
さて99パーセントの先には一厘の仕組だが、それは1%の側の話なのか、99%の側の話なのか。
この詩は、ネットで出回っている老子狂言では、最後の詩だが、原作ではこの後ろにもう一つ詩がついている。
私は、自分をピグリナーとしてジョークにしてますが、
バレエ系では、豚、ロボットだと自己批判しています。
私は練習することも豚のように怠けてますしね。
私宛に書いた記事だとは思えませんが、
なんだか、豚としては刺さりますね。
ロボット(バレエでは)から人間になるためには、まあー血を流さないと、ですけどね。