◎修験道との関わり、大峯山など
(2021-05-24)
日本三百名山で選定しているのは、必ずしも修験道の山ではない。だが、山頂には、亡くなった人を供養する積み石や、祠などが置かれており、時に蠅の飛ぶ音が聞こえて、山頂巡錫のリアリズムを感じることができる。
大峯山では、田中陽希は、快適に森林地帯を進んでいたかに見えたが、山上ヶ岳の「西の覗き」という行場で、命綱を肩にたすき掛けして岩壁の上から身を乗り出す行をやった。彼も終わった直後は放心状態だったが、久しぶりに腹の底から声を出していたそうだ。
バンジージャンプとは異なり、スリルを味わったり、好奇心でやったりするものではないが、いわゆる「本気でやる」ということの重要さを知る行である。禅語録で、よく弟子が生半可な解釈を師家に咎められ、棒で殴られたりして、本気を求められるが、本気には実は何層もあり、最深の本気を求めるというのも、宗教修行ではメイン・テーマの一つである。
大峯山では、例の大峯千日回峰行のルートとは別のルートを進んだ。持っている杖の長さも全く異なる。
伊吹山は、これが白隠が大岩に乗って坐っていたところ、山の主か何かに脅かされた山かと、目を見張って見ていた。織田信長が中腹に広大な薬草園を作っていたとは知らなかったし、山頂付近は荒涼としていて、修験道とは、苛酷な自然環境でやるものだと感じさせられた。出口王仁三郎も伊吹山は、伊吹は【息を吹く所】の義で、地球上に伊吹戸は無数あるが、伊吹戸中の伊吹戸ともいうべきは近江の伊吹山であるとする。(霊界物語第39巻大祓祝詞解)
両神山は、鉄道で近くまで行けるので大したことはないのかと思っていたが、あれほど峻険な山とは知らなかった。
富士山は、山頂に近づくにつれて、登山路にうずくまったり横になったりして高山病になる人が続出していたのには驚いた。富士登山ブームとは言うが、4千メートルに近いところは甘くは見れない。
水も食料も携行しなくてはならず、なおかつ全身運動となる修験道。大峯千日回峰行では、ポイント、ポイントで礼拝の連続だが、足でこれだけ山頂を巡るのでは、感得するところもあるのではないか。だが、山には聖山ばかりでなく、そうでない山もある。