◎我が身を死んでみせる
魏伯陽の故事の続きです。
『弟子たちは互いに顔を見合わせて、「丹薬をつくって長生を願ったというのに、服んで即死するとは、これはどうしたらよいだろう」と言いあった。
ところがその中の弟子一人だけは、「先生は非凡のお方であった。服薬して死なれたのも何かお考えがあってのことかもしれない」といって、丹薬を取って服むと、これまた死んでしまった。
残った弟子二人は、「丹薬を手に入れるのも長生を願えばこそだ。今これを服んで死んだ以上、何もこれを使用することはない。こんな薬を服まなくても、どうせ今後数十年間はこの世に生きておられるはずだから」と話し合って、ついに服まずに一緒に山を出て伯陽および死んだ弟子のために棺材を探そうとした。
さて二人の弟子が去ったのち、伯陽はすぐ起き上がり、服用した丹薬をば、死んだ弟子と白犬の口に入れてやると、みな生き返った。その弟子の名は虞といってついには二人とも仙人となった。
途中で山の木こりに出会ったので、郷里の人に礼を述べる手紙を書いて届けてもらった。二人の弟子はそれで初めて後悔したものである。 』
(出典:神仙伝)
魏伯陽は、呼吸停止、脈拍停止の仮死の状態にあったのだと思われる。ある冥想状態では、このような状態があることがいろいろな記録に残されているのでこれは、不思議とするには当たらないだろう。
残った弟子二人が死の丹薬を服まなかったのは、現代人としては妥当な判断であるが、内丹(クンダリーニ・ヨーガ)の道に進もうとする人間としては決定的な覚悟が欠けている。その覚悟とは、この世のあらゆるものに別れを告げる覚悟である。財産、家族、地位、名誉、世間の評判、親友、恋人、将来の夢こうしたものすべてを捨ててみせる覚悟のことである。
ここをわきまえている師匠であれば、入門時に徹底的に、弟子のこの部分をテストしてかかり、入門させないものだと思う。だからといって、魏伯陽が不徹底であると断ずることはできない。
むしろ弟子のカルマを見て、彼らのためになると見て、殊更(ことさら)に入門を許し、更に弟子のために我と我が身を死んで見せるのは、彼らへの大きな思いやりが見て取れる。弟子のために身を捨ててみせたのであってこれ以上の愛情はあるまい。
魏伯陽の故事の続きです。
『弟子たちは互いに顔を見合わせて、「丹薬をつくって長生を願ったというのに、服んで即死するとは、これはどうしたらよいだろう」と言いあった。
ところがその中の弟子一人だけは、「先生は非凡のお方であった。服薬して死なれたのも何かお考えがあってのことかもしれない」といって、丹薬を取って服むと、これまた死んでしまった。
残った弟子二人は、「丹薬を手に入れるのも長生を願えばこそだ。今これを服んで死んだ以上、何もこれを使用することはない。こんな薬を服まなくても、どうせ今後数十年間はこの世に生きておられるはずだから」と話し合って、ついに服まずに一緒に山を出て伯陽および死んだ弟子のために棺材を探そうとした。
さて二人の弟子が去ったのち、伯陽はすぐ起き上がり、服用した丹薬をば、死んだ弟子と白犬の口に入れてやると、みな生き返った。その弟子の名は虞といってついには二人とも仙人となった。
途中で山の木こりに出会ったので、郷里の人に礼を述べる手紙を書いて届けてもらった。二人の弟子はそれで初めて後悔したものである。 』
(出典:神仙伝)
魏伯陽は、呼吸停止、脈拍停止の仮死の状態にあったのだと思われる。ある冥想状態では、このような状態があることがいろいろな記録に残されているのでこれは、不思議とするには当たらないだろう。
残った弟子二人が死の丹薬を服まなかったのは、現代人としては妥当な判断であるが、内丹(クンダリーニ・ヨーガ)の道に進もうとする人間としては決定的な覚悟が欠けている。その覚悟とは、この世のあらゆるものに別れを告げる覚悟である。財産、家族、地位、名誉、世間の評判、親友、恋人、将来の夢こうしたものすべてを捨ててみせる覚悟のことである。
ここをわきまえている師匠であれば、入門時に徹底的に、弟子のこの部分をテストしてかかり、入門させないものだと思う。だからといって、魏伯陽が不徹底であると断ずることはできない。
むしろ弟子のカルマを見て、彼らのためになると見て、殊更(ことさら)に入門を許し、更に弟子のために我と我が身を死んで見せるのは、彼らへの大きな思いやりが見て取れる。弟子のために身を捨ててみせたのであってこれ以上の愛情はあるまい。