◎高地の破壊、低地の破壊
(2011-07-13)
ティマイオスにあるクリティアスの談話。
火と水による人類の滅亡がクリティカルなものであるとし、その他の要因、例えば核戦争みたいなものは破壊が限定的であることを示唆する。
これは出口王仁三郎や仏教の、大三災は風水火、小三災は飢病戦という認識と共通している。
そして生き残るものは、火による破壊ならば、河海に近い者、低地の者、水による破壊ならば、高地の者。
現代文明は低地に発達した文明なので、水による破壊の方が被害は甚大である。
聖書では大雨が降り続いてノアの大洪水となると描くが、それはむしろレア・ケースであって、津波や地盤沈下による海水面上昇の方が、水による大破壊では多いという見解であると読める。
『すると神官のうちでも大そう年とった一人が、こう言ったというのである。
『おお、ソロンよ、ソロンよ、あなた方ギリシア人はいつでも子供だ。ギリシア人に老人というものはいない』と。
そこでこれを聞いたソロンが、『それはどういう意味ですか。何のことでしょうか。』と言うと、『あなた方は皆、心が若いのだ。』とその神官は言ったそうだ。『というのは、あなた方は、古い言伝えに基づく昔の説も、時を経て蒼古たる学知も、何一つとして心にとどめてはいないからである。
そしてその理由は次のようなところにあるのだ。
人類の滅亡ということは、いろいろの形でこれまでにも多々あったことでもあり、今後もあるだろうが、その最大のものは火と水によって惹き起こされるのであって、ほかにも無数の他の原因によるものもあるが、このほうはさほど大きなものではない。
と、このように言うのはじっさい、これはあなた方のところでも語り伝えられているものだが、かつて太陽(ヘリオス)の子パエトンが父の車に馬を繋いだものの、これを父の軌道に従って駆ることができなかったために、地上のものを焼きつくし、自分も雷に撃たれて死んだという、この話は神話の形をとって語られているが、その真実のところは、大地をめぐって天を運行するものの軌道の逸脱と、長期間をおいて間間起こる、大火による地上の事物の滅亡のことにほかならない。
そこでこのような場合には、およそ山地だとか高いところや乾いたところに住む者のほうが、河川や海のほとりに住む者に比し、より大きな破壊に見舞われるのである。
しかしわれわれにとっては、ナイル河という、他のどんな場合にも救済者となってくれるものがこの時にも解放されて、われわれをこの危難から救ってくれるのである。
他方、また神々が洪水を起こして大地を水で浄めるような場合には、山に住む牛飼いや羊飼いが助かるのに引きかえ、あなた方の地方に住む人々は、河流によって海へと押し流されるが、しかしこの土地では、そのような場合も、その他の場合も、上方から平野に水が流れ落ちることはなく、逆に、水はすべて下からあふれてくるというのが自然の構造になっているのだ。』
(プラトン全集12/岩波書店ティマイオスP16-18から引用)