◎頓悟の大なるリスク
(2021-01-12)
OSHOバグワンは頓悟の方法を開示しない。その理由の一つは、その方法を用いれば、修行者は死んだり発狂したりすることがあり得るからである。もう一つの理由は、開示すると文書として伝承され、単なる好奇心の結果、不幸な修行者が増えるからである。翻ってその教えは邪教として廃されかねない。
さらに頓悟の方法はグループで為されるべきであるとする。理由は修行者が長期にわたって無意識に留まり日常生活ができなくなることがあるから。
一人で修行する代表例は、経典やハウツー本やマニュアルだけで冥想修行するものだが、これも危険だとする。頓悟するのに必要な鍵は、経典の外に師から弟子への口伝として存在しているからである。
(以上参照:究極の錬金術Ⅰ/OSHOバグワンP177-181)
またそういった口伝を持たない師につくのも当然に危険だが、未悟の弟子は師が悟っているかどうかを見分けることなどできない。行=無意識を操作するというのは、容易に精神病になり得る技術でもある。
禅は代表的な頓悟の法だが、一人で修行してはならず、必ずグループで修行している。だが唐代の破仏後などは一人で山で修行する例が少なくなく、よほどの覚悟の上のことである。
錬金術書などに近道、乾いた道などという言葉に出会うことがあるが、近いがゆえに危険性も高いということは字面からも想像される。
早い安いは経済的メリットの定番だが、それを求める冥想修行は邪道であり、また一人でやる近道も危うい。だからと言って、わけのわからないカルト教団に入信するわけにもいかない。
OSHOバグワンは、ちゃんとした悟境のグルだったが、彼の宗教コミューンに参加したからといって、全員を親身に面倒を見たわけでもない。
だから、人を水辺に連れて行っても、本人が水を飲むかどうかは、あくまで本人次第なのだ。