◎それでも幸せ?
(2007-05-25)
明の成祖永楽帝が亡くなったその日、永楽帝と親密であった三十人あまりの宮女が庭園で豪華な昼食にあずかった。
昼食が終わると皆殿堂に案内された。殿堂には、木製の小さな寝台がずらりとならんでおり、それを見た宮女の泣く声に殿堂全体が震えたという。
宮女を寝台に立たせると、梁につながっている縄を首にかけて、役人が寝台を取り除いて縊死させたのである。
周の幽王の墓では百体以上の遺体が発見されているが、一体以外はすべて女性。
危篤の床にあった唐の武宗が、寵愛する王才人に、わしが死んだらお前はどうすると訊くと、王才人は「殿とともに九泉に参ります。」と答えたところ、すぐに首吊り用の布を与えられたので、自ら首を吊って死んだ。王才人は、後にその節操を讃えられたそうな。
これらは、人に厳しい中国の、それも最も苛酷な宮廷のエピソードであるが、人の幸福ということを考えるにあたってこのシチュエーションも避けては通れないテーマである。それでしあわせだったのですか?
当代の人間の真に求めているものを考える時にどうしても、女性の生き方の本質について考え込んでしまう。要するに女性は何をもって真に満足、納得するのかということである。こういうシチュエーションでも幸せだったといえる生き方はあるのだろうか。女性的自我の充足とは何だろうか。