◎食事を粗末にしているのではないか
(2018-02-04)
自宅のダイニングでも「カシャ」、ラーメン屋でも「カシャ」、定食屋でも「カシャ」、レストランでも「カシャ」、駅弁も「カシャ」、コンビニ弁当まで「カシャ」。
Instagramができる前から、何もネタがない時は、ご飯の画像をネットにアップするということは世間で増えている。
私は霊能力者でも超能力者でもないが、次の2点を思い合わせると、そういう作法はいかがなものかと思っている。
1.禅寺の食事では、生飯(さば)という手順があり、食前に3粒程度のご飯粒を餓鬼道に落ちた餓鬼に施す。
餓鬼は、微細身であり、時間を超えて即時に食事を真っ先に供えてくれることを待っているのだ。
2.出口王仁三郎の水鏡から
『霊と食物
霊の低いもの程沢山食物を食べるから、かういふ霊への供物は後が不味ていけない。
神様に御供へしたものは、ほんの少し食しあがつて後へ精気が入るから、それがお陰である。
恰も美い香袋に手を触れると移り香が残るやうなものである。
通りがかりの飲食店などの店に飾つてある鮓司などは、うまさうに見えるが、食べて見ると甚だ不味い、餓鬼の霊が味を吸ひ取つて行くからである。』
料理の写真をとるというのは、餓鬼に料理を晒すという行為に思われるのである。禅寺のように霊界の生物向けにシンボリックに少々呈するのは良いが、いきなり食事の一皿すべてを写真にとるのは、味を吸い取ってもらうような気がする。
それは、食事を作ってくれた人の本意など考えると、全くデリカシーのない仕儀のように思える。そこに思い上がりが潜む。