アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

家はみな杖にしら髪の墓参

2023-08-08 06:11:47 | 時代にFace it

◎白髪になった人、亡くなった人

 

家はみな杖にしら髪の墓参/芭蕉

 

お盆が近い。

20歳の頃に考えていた世界と60代になってから考えている世界は全く違ったものになっている。お盆で郷里に帰り、参る人も少なくなった墓所に出かけるが、昔は元気はつらつだった人が白髪になって杖をついているし、結構亡くなった人も多い。

今更ながら幸福な人生航路だったのだろうか。悔いはないのだろうか。いろいろあったのだろうが、堪えられる程度に収まったのだろうかなどと、挨拶や世間話の端々においそれと踏み込んでいけない部分は感じられる。

 

若き求道者たちも老いた。この時代がクリスタル・ピープルの卵たちが多いのは認めるが、享楽的、功利的な世界観の浸透著しく、闇バイトであっという間に有為の青年たちが簡単に闇落ちしていく例があまりにも多く、ほとんど地獄の現出みたいになっているのは不幸なことである。そもそも道を求めるというライフ・スタイル自体が絶滅危惧種になり果てた。恐ろしい時代である。

いまや冥想を日課としてやっているのは、既成組織宗教の信者とカルト信者がほとんどなのだろう。悟った正師(グル)がほとんど見つからない現状では、グルなしでマインドフルネス瞑想でもやるのが関の山か。宗派なき冥想の道は、言うは易いが厳しい。

この夏はコロナ明けでいろいろなイベントが復活したはよいが、異常高温の連続で猛暑日も三週間になろうとして一筋縄ではいかない。

またこの夏、熱中症が多いが救急病院に運び込まれる人の半数はコロナに感染している由。また例年なら熱中症では老人は転倒したりして病院に来るケースが多いが、この夏の熱中症では老人が外出中に動けなくなってうづくまって病院に来るケースが多いともいう。

 

生活環境がここまで変わってしまうと、動植物の生態系のみならず人間の居留地域も自ずと変わる流れになるのではないか。

 

数ならぬ身とな思ひそ玉まつり/芭蕉

(大意:自分など物の数にも入らない大したことのない人間だと思わないでもよいのだよ、と陰暦7月15日の玉まつりに故人を偲ぶ)

 

それでも、日々坐る。

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イエスを見る、釈迦を見る

2023-08-07 06:49:26 | アヴァターラ神のまにまに

◎先入観と違う言葉は心に入って来ない

 

OSHOバグワンの『瞑想-祝祭の芸術/メルクマール』を何十年かぶりに眺めている。この本は最近再版されたようでもある。

その中で、大悟覚醒の直前の『死んでゆく心(マインド)はいまわの際にヴィジョンを見る』(上掲書P177から引用)のだが、それはキリスト教徒ならイエスを見るし、仏教徒となら釈迦を見るが、大悟覚醒においては、それをも棄て去ると書いてある。

これは、実は真摯な大方のキリスト教徒にとっても仏教徒にとっても、ひどくショッキングな事実なのだと思う。

 

実はキリスト教でも中世女性神秘家がイエスとほとんど愛を交わす幻視を繰り返すシーンがあるのだが、そのイエスは本物なのだろうかといぶかしく思ったりすることがあった。

また釈迦は、仏像仏画を生前も死後もしばらく許さなかったというのはその消息なのだろうと思う。仏教では、もともと釈迦とか仏という「唯一神、主神」があるわけではないのだ。

そのことは、『心の終焉は象徴の終焉だ。そして、その最期のときには 心は自分が知っている象徴のなかでも最も重要なものを使う。そのあとは心がなくなるから象徴もなくなる。』(上掲書P177-178から引用)という部分に書いてある。

ここについては、当時自分は神や仏が何であるのか想像もつかなかったので、「神や仏を見るというのは、ひょっとすればイエスや釈迦を見ることかもしれない」などと揺れ動いていたから、まさか本当の神や仏はイエスや釈迦を見ることすらも棄てることだとは想像だにできなかった。

よって、この部分は実質読み飛ばして、無意識の中に沈潜していたというわけだ。

※いわゆる見神、見仏、見性は、イエスや釈迦を見ることなのだろうが、その先へ進まねばならないということ。

 

該当部分はこれ。

『死んでゆく心(マインド)はいまわの際にヴィジョンを見る――そのときやってくるものの数々のヴィジョンを見る。だが、それらは隠喩(メタフアー)や図像や元型(アーキタイプ)を通してとらえられたヴィジョンだ。心はそのほかのものは 把握することができない。心は象徴で訓練を受けている。それ以外のものでは訓練を受けていない。

象徴(シンボル)には、宗教的なもの、芸術的なもの、審美的なもの、数学的なもの、そして科学的なものなどがある。だが、それらはすべて象徴であることにかわりはない。心はそのように訓練されているのだ。

キリスト教徒ならイエスを見るだろう。だが、数学者が死ぬときには、非宗教的に訓練されてきているその心は、その最期のときに数学的な公式しか見ないかもしれない。それはゼロの象徴かもしれな いし、逆に無限大の象徴かもしれない。だが、いずれにしても、イエスや仏陀ではない。

また、ピカソのような人が死ぬとき、その最期の瞬間に見るものは、ただの抽象的な色彩の流れかもしれない。彼にとってはそれが神なのだ。彼には神性をほかのかたちでとらえることはできない。

 

だから、心の終焉は象徴の終焉だ。そして、その最期のときには 心は自分が知っている象徴のなかでも最も重要なものを使う。そのあとは心がなくなるから象徴もなくなる。

それが、仏陀もマハヴィーラも象徴について語らなかった理由のひとつだ。彼らは、象徴はすべて〈光明〉より低いものだから語るのはむだだ、そう言った。

仏陀は象徴について語ろうとはしなかった。そのために、彼は、彼に尋ねてはならない質問が11あると言った。何びとといえどもその11の質問をしてはならないと言明されたのだ。そして、その11 の質問を尋ねてはならない理由は、それらの質問がほんとうのところは解答できないもの、隠喩を使わなければならないものだったからだ。

仏陀はよくこう言っていた、

「私はどんな隠喩も用いたくない。だが、あなたが尋ねても私が答えなければ、あなたはいい気持ちがしないだろう。それでは紳士的ではないし、失礼だろう。だから、どうかこの11の質問はしないで ほしい。もしそれを答えれば礼儀正しくはあるだろうけれど、真実ではない。だから、私を板ばさみにしないでほしい。〈真理〉に関するかぎり、私は象徴は使えない。私は象徴を非真理のおおよそ、あるい 真理のおおよそをつかむことにしか使えない。」

 

そういうわけで、どんな隠喩もどんなヴィジョンも使おうとしない人たちがいる。そういう人たちはあらゆるものを否定する。 心によってとらえられた真理は〈光明〉そのものではありえないからだ。これらは二つの別のものだ。心がとらえたものは、心が消え去るとき、ともに消える。そのときにはそこに〈光明〉がある。だが、それは心なしにそこにある。

だから、光明を得ている人には心はない。

<無心>の人だ。その人は生きている。ただしどんな概念もなしにだ。その人は行為する、ただしそれについては何も考えない。 その人は愛する、ただし愛という観念などないままに愛する。その人は呼吸する、ただしどんな瞑想もないままに――。だから、生 きることは瞬間から瞬間へとであり、〈全体〉とひとつになっている。が、そのあいだに心は介在しない。心は分裂をまねく。だが、いまでは分裂はない。』

(上掲書P177-178から引用)

 

この『瞑想-祝祭の芸術/メルクマール』が出たのは社会人になってまもない頃だったろうか、OSHOバグワン本と言えば、存在の詩、究極の旅(十牛図)とこの本くらいしかない時代だった。

 

今ならOSHOバグワン本なら、奇跡の探求Ⅰ・Ⅱと秘教の心理学を真っ先に挙げる。OSHOバグワンはなんだかんだ言ってもクンダリーニ・ヨーガのオーソリティなのだ。彼の無数の膨大な試行錯誤と体験が彼の本当にどうでもよさそうな本の片隅にも置かれていることがある。96台のロールスロイスに騙されない人は、そういう貴重な片言隻句を評価できるだろう。映画ワイルド・ワイルド・カントリーとかOSHO:アメリカへの道に幻惑されてはいけないのだ。

 

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おしゃれな場所でマインドフルネス冥想

2023-08-06 07:04:58 | 冥想いろいろ

◎ファッション瞑想と本気の冥想

 

マインドフルネスは、効果を求める冥想の一種。効果とは、心が落ち着くとか、ストレスが軽減されるとか、気持ちがよくなるとか。こういう冥想は、真剣に冥想修行している人たちからは、ファッション冥想などと呼ばれている。

2023年8月5日のNHK総合サタデーウオッチ9 でマインドフルネスが紹介されていて、パソナの淡路島の禅坊 靖寧と銀座の化粧品店(資生堂?)の地下にある卵型カプセルが紹介されていた。

靖寧は、崖に突き出した空中楼閣に一列に窓を向いてならび座布ではないお尻固定クッション上に坐って冥想するもの。4時間の体験で2万3000円。

銀座の卵型カプセルは、ヘミシンクの水タンクを連想させるが、単に蓋の閉まるカプセル内でヘッドホンで冥想音響を聞きながら冥想するもののようだ。料金は30分で4400円。

冥想音楽は、ambientと言われ、テクノ系だが、アメリカでは60年代から大きく発展してきた。瞑想アプリを使ってみるとambient音楽が流れることがままある。youubeでambientを検索するといくらでも出てくる。だがそもそも内に向かって自分に直面するのに、中途で音楽は不要で邪魔になるのではないか。

 

確かに体調が悪い時期、気力が落ちて何も手につかない時期はあるものであって、そんな時に音楽は効果がある。そうした状況を改善する呼吸法もあるし、マントラもある(南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経、アーメンなどなど色々使える)。

 

だが、ambient音楽もファッション瞑想も癒しになるのかもしれないが、真摯に自分の人生の問題を解決しようと思えば、外の冥想場所や風光明媚や心地よい音楽など振り捨ててて、自分に向かう、内側に向かうものなのではないか。

最澄は竹で編んだ筒みたいな中で何も堂宇のない比叡山で冥想に取り組み、一休は日に二食も食べず琵琶湖畔の葦の繁みで坐った。最近だと、用具小屋で坐ったりするインドのグルまでいた。

坐る場所は一人になれればそれでよい。

座物(座布団、クッション)では、背骨が垂直になることが眼目なので、外部施設であてがいのクッションを用いるのは、自分の尻の高さに合っていないことの方が多いのだろうと思う。クッションの形状によっては掌の位置、腿の場所が制限されるのも問題ではある。

 

マインドフルネスでは、トランスに入りながら正師の指導がないというのは、本当は課題なのだと思う。トランスに入るというのは、あらゆる暗示にかかりやすいということで、この時代では特に要注意の心理状態。

冥想を指導できるのは、悟った人だけであって、ハタ・ヨーガや体操を教えるのとは訳が違う。冥想の指導者というのは、弟子の一生を背負う、弟子を一生面倒みるという側面があることは否めないのではないか(金の話ではないです)。

 

さはさりながら、冥想というものがあることも知らないのが普通の時代に、冥想を紹介してくれるNHKは貴重だとも思う。

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正師だけがあなただけに最適の指導ができる

2023-08-05 06:32:48 | 覚醒のアーキテクチャー

◎グル(導師)あらずんば知識あらず

 

『Overview of the meditation 冥想の全体像』のカテゴリーにも書いたが、正師は冥想修行において必要欠くべからざるものである。

 

正師(グル)の必要性について、いくつかの眼目はあるが、これまでほとんど指摘してこなかった視点は、経典・教学・教義は我々自身に最適の方法を与えてくれないが、正師(グル)だけが、その場その時点で最適な冥想の方向性、こつをアドバイスしてくれるものだということ。

つまり、死んだテキストでなく生きている生身の正師(グル)だけが揺れ動く千差万別のわれら個々人の状況を観察、把握して、悟りに向かう的確なアドバイスを与えてくれるものだということ。

 

このことは、実際に正師(グル)に出会ってみれば、問答無用でわかること。

 

またこのことは、冥想修行の二重の不確実性をクリアしていくために必須である。二重の不確実性とは、魂の経験値の問題と冥想手法とその結果がリンクしない問題ということだが、自分を本当にわかってくれる正師(グル)だけが、そこを観察し得て親身に指導してくれる。

 

OSHOバグワンもそのことを指摘している。曰く、指示された冥想手法や知識は、ある弟子個人だけに極秘にプライベートに向けられたものであり、それを知り得た他人がそれを用いるのは有害だったり、危険だったり、致命的だったりするという点。よって師は弟子に口止めをする。

(参照:瞑想―祝祭の芸術/バグワン・シュリ・ラジニーシ/メルクマールP141-142)

 

勿論正師(グル)は、最低でも見神、見仏、見性体験を経ていないと、弟子の現状を見極めるというような芸当はできない。

 

弟子の現状を見極め、これ以上の修行ができない弟子は、魏伯陽の故事のようにそれ以上の修行をやめさせるということまである。

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人間の肉体は体感40度越えの高温に長時間は耐えられない

2023-08-04 07:21:16 | 時代にFace it

◎体感気温40度になる生活環境とは恐ろしいもの

 

最近は、毎日最高気温が37度越えであり、外出すると道路の輻射熱や直射日光で、体感は45度にもなっている。人体はこれを汗と呼気の放熱で対抗して体温を下げるが、5分経過頃から顔などから汗が出たり、動きが鈍くなったりして、体温の上昇を感じるものだ。

ところが、人間の肉体は体温40度が上限の設計になっているという。

気温37度では、体温より外気温が高いので外気で肉体を冷やせないから、直に体温40度に到達する。体温40度になると生体内のいろいろなセンサーの機能により身体が動かなくなる。

 

さて最大心拍数=220 − 年齢であって、60歳なら160。

また大雑把にいえば、気温が1℃上がると1分間の心拍数が1上がると言われる。気温20度から40度に上がれば心拍数は20上がる。

よって仮に、成人(20歳から65歳)の気温20度での1分間の平静時の心拍数を70、活動時は心拍数140になるとすれば(個人差あり)、気温40度での60歳なら心拍数160は、上限に達するということになる。

老人の気温40度での活動は、この点でも危険と言える。

 

またサウナは40度越えだが、長時間は危険であることが知られている。今年の関東圏の暑さが毎日危険と連呼されているのは、実際に皆が体感されている以上に本当に危険であると思う。その意味でも東京は人の住むところではなくなったとは、今まさに現実なのだと思う。

 

昔大学の授業で、慢性の梅毒患者を故意にマラリアに感染させて40度の高熱を発生させ梅毒のスピロヘータを死滅させ完治させるという話を聞いたが、40度の高熱というのは、悪玉スピロヘータを退治するだけでなく善玉細菌もやっつけるのだと聞いたことがある。体温40度というのは限界的な体温なのだ。

 

かつてオウム真理教で温熱療法というのがあり、47度~50度のお湯に15分から20分入るというもので、結構な死者を出したと言われるが、当然のこと。

 

さらに「命がけの科学者列伝/レスリー・デンディ/紀伊国屋書店」には、18世紀に92度の乾燥した高温室に10分も入った記録はあるが、中で活動していたわけではない。当時でも湿度が低い方が高温に耐えられることは知られていた。

 

体感気温40度になる生活環境とは恐ろしいものだが、われらは今まさにそこにいるのである。万人に平等な災害では、弱い者から先に取り去られる。また大洪水で生き残ったのは無学な、山に住む牛飼いや羊飼いだけだった。

 

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静御前は愛に死し、祇王は仏を見る

2023-08-03 19:33:04 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎仏もむかしは凡夫なり

(2022-05-25)

 

2022年5月22日のNHK 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、源頼朝以下が鶴岡八幡宮に参集し、義経の愛人にして絶世の美女静御前(石橋静河)の辞世の舞を観覧した。その装束は、水干に、立烏帽子、白鞘巻と男装であって、歌って踊る。それだけでも当時はインプレッションのあるものであったろう。宝塚歌劇団の男役の走り。

 

仇敵となった鎌倉方の有力武将が居並ぶ前で、義経が彼女と「しづや、しづ」と交わした睦言を披歴して、悲恋を慨嘆したことは、女が恋に死ねることを示す。(しづやしづのおだまき繰り返し、昔を今になすよしもがな

:おだまきの糸を巻き戻すように、義経様が「しづや、しづ」と恋しく呼んでくれた当時に時間を巻き戻したいものだ。)

 

ところで平清盛の愛人だった祇王。祇王も白拍子だったが、新たな愛人の仏御前に清盛の寵愛を奪われ、憮然としつつ清盛の何回もの呼び出しにすねつつ応じた今様。

 

仏もむかしは凡夫なり

我らも終(つひ)には仏なり

いづれも仏性具(ぶっしょうぐ)せる身を

へだつるのみこそ、かなしけれ

 

寵愛のことしか胸中になかった彼女でも、「釈迦ももともと凡夫であって、私たちもついには仏となる」と歌うほどに、これが社会通念だったことに驚かされる。

 

現代社会もこの程度のことが社会通念となれば、社会のギスギスは大きく変わると思う。平安時代から鎌倉時代初期と言えば、方違え、陰陽道全盛で、霊が病気や異常気象などの現象に作用するなどの軟弱スピリチュアルの時代と見られるが、むしろ現代人より人としてまともだったかもしれない、と思う。

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一休という名の由来

2023-08-03 19:28:44 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎祇王寺

(2005-11-06)

 

京都の祇王寺に参ると次のような説明を目にする。

「平清盛の寵愛を受けていた祇王は、仏御前に寵愛が移ったことにより、清盛に捨てられ、祇王は母と妹と共に出家して、この祇王寺に移り住んだ。

後にやはり清盛に見限られた仏御前も祇王を追い、四人の女性はここで尼としての余生を過ごした。」

 

そこで「女所帯のわび住まいの場所なのだろうが、出家して納得したところがあったのだろうか。そういえば、平安文学に、悟りの概念などなかった」などと感慨を新たにしたものだ。

 

さて一休が25歳の時、ある日盲目の琵琶法師が、平家物語の祇王が清盛の寵愛を失うの段を歌うのを聞いている時、公案の『洞山三頓の棒』のことで突然悟るところがあった。このことで、師匠の華叟は、一休の二文字を与えた。(祇王の悲話と公案にはストーリー的に何も関係はない。)

 

『洞山三頓の棒』の公案とは、これ。雲門、洞山とも中国の有名な禅匠。曹洞宗の洞の字は、洞山の名から来ている。雲門は、肝心なことをわかっていない禅僧が来ると、親切にも棒で20発たたいてあげた(棒を食らわすとは、このこと)。

 

******

「雲門は洞山が初めて参じたとき、いきなり尋ねた。「何処からやって来られたか」

洞山「査渡からやってきました」

 

さらに「この夏(安居)は何処で過ごされたか」

「湖南の報慈寺でございます」

「いつそこを出てこられた」

「8月15日であります」すると、

「お前さんに三頓の棒(六十棒)を食らわせてやりたいところだよ。」とすげない応えが返って来た。

翌朝洞山は雲門和尚の室に行って、「昨日は六十棒を食らわせたいと言われましたが、私のどこが間違っているのでしょうか」と尋ねた。すると雲門が言った。「この大飯食らいの能無しめ、江西だの湖南だの、お前はいったい何処をうろついていたのじゃ」

洞山はその途端に大悟した。」

*****

 

大悟するしないは、薄皮一枚の差とは承知しているが、そこに飛び込む勢いがないと飛び込めるものではないのではなかろうか。現代はテレビやブランド漁りを始めとして、その勢いを消耗させるものがあまりにも多い。

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涿州の洪水

2023-08-03 07:02:54 | 時代にFace it

◎ある青年が泣きながら嘆く

 

涿州楼桑村は、三国志の劉備玄徳の故郷であり、また関羽と張飛とで桃園の誓いを結んだ故地。涿州市は三本の河が流れ込むところだそうで、今般の水害では、全市避難を求められた由。youtubeでは、一人の青年が泣きながら惨状を訴え、徒歩で小さな荷物を持った老若男女が行列して避難する様子や大きな工場群を見渡す映像からは多数の「助けてくれ」の声が聞こえ、また夜間の幹線道路には無数の避難車両が渋滞でストップしている状態が上がっている。

https://www.youtube.com/watch?v=rn74TVHRA2M

凌晨涿州幾十萬居民全部撤離,幾公里的車龍全都堵在高速口,直播救援被封,跑到哪裡淹哪裡,現在只有雄安是最安全,快叫如來佛祖|洪水失控流向北京轄區)

 

洪水によって、治水もぎりぎりの判断になれば、ある低い地域を犠牲にして、ある地域を助けるということはあり得るのだろうが、実際にそういうことがあるというのは、恐ろしいものである。

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華叟宗曇

2023-08-03 07:01:38 | 達磨の片方の草履

◎冷たい灰をかき混ぜて炭火を見せる

 

自殺未遂をして、傷心癒えきらぬ一休は、求道の志やみがたく、22歳にして堅田のやはり貧乏寺の華叟宗曇の祥瑞庵の門を叩いた。華叟はなかなか入門を許さず、一休は四、五日門前にあったが、ある朝華叟の目に留まり、「すぐに水をぶっかけて、棒で叩いて追い出せ」と弟子に命じられたものの、夕方には入門を許された。

 

華叟宗曇は、大徳寺の大燈国師の系譜に連なる師家。一休は、堅田の岸辺の葦の間やあるいは知り合いの漁師の小屋を借りて徹夜で坐禅を続けた。食事も一日二回とれなかったので、その漁師からもらったもので食いつないでいたらしい。なおその漁師の妻は鍋や釜をかきならしては夜坐の邪魔をした。

また華叟が病気になった時、窮迫のあまり一休は、香包や雛人形の衣装などをこしらえては京都で売って、薬代を稼いでいた。

ある日、一休は華叟に命じられ薬草を刻んでいたところ指から血が出て作業台を赤く染めた。華叟はこれを睨みつけて、お前の身体は頑丈だが、手の指は軟弱なことよと言った。これを聞いて一休の指はますます震えたが、華叟は微笑んだ。

一休25歳。平家物語祇王失寵の段で小悟。

 

一休27歳の夏の夜、鴉の声を聞いて悟るところがあり、すぐにその見解を華叟和尚に示した。華叟は「それは羅漢(小乗の悟り)の境涯であって、すぐれた働きのある禅者(作家の衲子)にあらず」といわれた。そこで一休は「私は羅漢で結構です。作家などにはなりたくない」といった。すると華叟は「お前こそ真の作家だ」といい悟りを認め、偈を作って呈出するようにいった。

「悟る以前の凡とか聖とかの分別心や、怒りや傲慢の起こるところを、即今気がついた。そのような羅漢の私を鴉は笑っている。

前漢の班婕妤は昭陽殿に住んで、成帝の寵愛を受けたが、趙飛燕姉妹のために寵を失った。その際、彼女の美しかった顔は、寒い時の鴉にも及ばないと嘆くようなことになった(それは羅漢と同じ)。」

 

その後華叟は、一休に印可(悟りの証明)を渡そうとしたが受け取りをことわったので、彼の同席のもとに一休の縁者の橘夫人にこれを渡した。

華叟は、腰痛がひどく、おまるも自分で使えないほどだったので、弟子たちが交代で下の世話をした。弟子たちは竹べらで始末したが、一休は素手で始末した。

一休は、大燈国師にならったのか以後放浪の風狂(聖胎長養)の一生を送る。一休35歳の時に華叟は亡くなった。

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水の足りない都市北京の水害

2023-08-02 06:20:05 | 時代にFace it

◎龍・中華帝王のシンボルが怒ったのか

 

台風5号くずれの4日連続の大雨で北京市西郊外を中心に大きな水害になっているらしい。twitterには隠れて投稿したらしい動画が何本か上がっているが、先年の鄭州の数キロの地下自動車道の水没では何百台かの自動車がオシャカになったらしいが、今回の北京では片側数車線の幹線道路の車が何十台も次々と泥の奔流に飲み込まれていくすさまじい様子の動画もある。

 

北京市は、今や世界に冠たる2千万都市だが、意外や水の不足している町である。

降雨量に基づく一人当たりの年間水資源賦存量は、世界平均レベルの30分の1に過ぎない。国際基準では,一人当たり水資源量が1700㎥より少ない場合は非常に不足と判断される由だが、北京は、1949年の1,871㎥から2007年の243㎥に急速に減少した。(出典:中国・北京の水問題/松浦茂樹・趙揚/水利科学No.3092009-https://www.jstage.jst.go.jp/article/suirikagaku/53/4/53_43/_pdf)

欧州では日本に比べ水が貴重な印象を受けるものだが、北京ではそれに輪をかけて水が恒常的に不足しているのだろう。

 

北京の今の都市の外形は元代に作られたものだが、当時から北京中心地の西を流れる永定河の治水は課題だった。今般の洪水も永定河流域が中心の模様。

北京中心部は永定河扇状地の扇端部分に発達しており、中心部の地形は西北が高く東南が低い。これは、京都と東西が逆。(永定河の流域面積47,000平方kmは、利根川の約3倍)

商・周の時代、北京は薊と呼ばれ、その中心地は、今の盧溝橋のそばにあった。盧溝橋は、永定河にかかる橋であって、交通の要衝。そこで盧溝橋事件があったのも軍事的にも重要だったからなのだろう。

 

北京には官庁ダムと密雲ダムという巨大ダムがあるが、水質汚染で官庁ダムは飲料には使えないという。

何十年か前、北京では水洗トイレに紙を流せなかったが今もそうなのだろうか。

 

洪水への対応能力は、春日部などの地下神殿に見るように下水道施設のキャパによる。

北京は、上水道のキャパが小さいからそれに相応して、下水道のキャパも小さく作られているのだろうか。ならば洪水対応は厳しいのではないか。

最近石川県、九州北部、秋田県と水害があったが、復旧に必要なのはまず水。北京の水害も復旧にはまず水が必要となるが、それをどう捻出するのだろう。

 

今般の北京水害は、ほとんど報道されていないが、実は北京のウィークポイントを突いていたのではないか。もともと水の足りない都市北京が、却ってその水によって半世紀では最大の洪水に見舞われるのは、水の神様である“龍:中華帝王のシンボル”が怒ったのだろうか。そういうのはよくよくの人為の結果である。

 

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危機感の薄い日本人に求められるもの

2023-08-01 12:37:39 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎どこかでどん底まで落ちるしかないのかも

(2012-02-21)

 

嶋野栄道氏の続き。これは阪神・淡路大震災後に日本人の無覚醒を憂えた文。

 

『危機感の薄い日本人に求められるもの

 

こんなに文明が発達し、こんなに物質的に恵まれた時期がかつて世界の歴史の中であっただろうかと思うほど、現在の日本は成熟しています。

 

日本に帰ってきて新幹線に乗るといつも驚かされます。十五分ごと、時間どおりに発着して、しかも実に丁寧なアナウンスがあります。あまりにも丁寧すぎて、もうやめてくれと言いたくなるほどです。とにかく、きれいで、速くて、素晴らしい。私が知る限り、物質的にこれだけの文明を有する国はありません。アメリカにもヨーロッパにもない。日本だけです。

 

その半面、日本人はアメリカの悪い面ばかりを真似しているように見えます。自国にある素晴らしい文化的伝統を躊躇することなく捨ててしまっているように感じられてなりません。「捨てるべきもの」を間違っているのです。

 

先に情緒の話をしました。言葉にはできないけれど、感情が伝わってくるというのは、日本人に独特のものでした。しかし最近の人たちは、日本人でありながら、情緒というものがわからなくなっているようです。それは日本人が自国の文化の集大成である古典を読まなくなったこととも関係しているかもしれません。

 

私は長く日本を離れていた分、余計に日本を愛しています。それは愛国心というより祖国愛です。それだけに、この素晴らしい国がいつまで続くのだろうかと心配します。同時に、

一禅僧の目から見て、日本人の心が枯れてしまっているのが気がかりです。日本人にはそういう危機感があまりに少なすぎるように思うのです。もし日本人が今のまま目覚めないとすれば、どこかでどん底まで落ちるしかないのかもしれません。

 

一九九五年に阪神・淡路大震災があった時、たくさんの方がお亡くなりになりました。その時に被災者の方たちは、地震のすごさを体感されました。頭で理解したのではなく、目で見ただけでもなく、まさに身をもって感じたのです。地震に遭遇した方にお話をうかがうと、今でも大きな音を聞くと、思わず身構えてしまうそうです。

 

天災は避けようとして避けられるものではありませんが、一度ああいう極限状態を体験すると、それ以前とそれ以後とでは人間が変わってしまいます。それまでは何でも買い集めていた人が、一遍上人のように「捨てて捨てて」という気持ちになったという話も聞きました。

 

本当は、日本人自らが気づいて自分たちのあり方をあらためるのが一番なのですが、もしそれが不可能ならば、いつ何らかの力によって厳しい状況に遭遇することになるやもしれないということを肝に銘じておくべきでありましょう。そうなる前に、なんとか日本人が目覚めることを願います。』

(愛語の力/嶋野栄道/到知出版社P232-235から引用)

 

自分も今の日本が恵まれていることには、相当に見方が甘かったことは自戒したい。心ある日本人のみるところ、「日本は、いままでが良すぎた。それを当然・普通と思っている。」という声をしばしば聞くようになった。

 

そこに来て東北関東大震災があって、日本人はどんぞこまで一回落ちないとという嶋野さんの懸念が現実化しつつある。

 

中国人の悪いところは目につきやすいが、アメリカ人の悪いところは宣伝・マスコミ対策のせいかわかりにくくなっている。その延長線上に、つまりアメリカのカルチャー、音楽(ヒップポップ、ラップ、ロック)、映画、核家族なライフ・スタイル、ファースト・フードの受け入れは盛んである一方、日本の情緒的な映画、演歌、大家族なライフ・スタイルはどんどん捨て去られていく。

 

一言で言えば、アメリカン・カルチャーは愛の薄いドライなカルチャーで、日本の文化は、愛あふれる情緒的なウェット・カルチャー。日本がそれを捨てすぎれば、源流は枯れる。それでも日本がどんぞこまでいくのであれば、その落ち目の運命は、政治家や官僚だけのせいではなく、われわれ自身のせいであることに間違いない。

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仏法東漸してニューヨークに到る

2023-08-01 12:33:31 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎愛語の力(嶋野栄道/到知出版社)

(2012-02-20)

 

嶋野栄道氏も三島の龍澤寺出身。中川宋淵老師の膝下で修行を積み、昭和39年ニューヨークに渡り、文字通りの無一物からニューヨーク禅堂を開いた。文字通り異郷の菩薩である。

 

嶋野氏は渡米時にはまだ修行中の身であったが、山本玄峰に頭をさわってもらったり、中川宋淵に自分の遺骨を米国に埋めることを頼まれたり、相当な役回りのできる高徳の人物であることがうかがえる。実は、一宗の命運を託されるその様子は、古神道の笹目秀和氏と似たようなところがある。

 

歴史学者のアーノルド・トインビーが、数百年後に評価される20世紀最大のイベントは、人類月に立つでも2つの世界大戦でもなく、仏法東漸であるといったそうだが、禅が米国で芽吹くというのは、禅も亡国日本とともに滅び、やがて米国で花を開くということか。それを予期した上で中川宋淵は自分の遺骨を米国に埋めることを嶋野氏に託したのか。だとすれば、これには一種のご神業の風光がある。

 

仏法が東漸するとは、日本からアメリカに到ることであり、更に21世紀最大のイベントは、フロリダの先に再浮上するネオ・アトランティスに仏法が東漸することに違いない。(古神道はモンゴルへ。)

 

愛語の力(嶋野栄道/到知出版社)は、とても読みやすい本だが、書いている中身は凄味がある。

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無学祖元

2023-08-01 06:38:34 | 達磨の片方の草履

◎人空にして法も亦(ま)た空

 

無学祖元は宋末の禅僧で、元による難を避け日本に渡来してきた。彼は、蒙古の第2回侵寇弘安の役(1281年)の二年前、執権北条時宗に招請されて来日。鎌倉の円覚寺の開山。

 

中国の政権の瓦解が見えてくると中国の宗教者や青年が日本に渡って来るものだが、今回はどうか。青年はいるが宗教者はいないのだろう。

東洋経済online2023年07月31日10:30の“結婚が「10年で半減」中国で何が起きているのか”という記事では、中国の婚姻件数は9年連続で減少し、10年足らずで半減し、2013年の約1350万組から2022年約680万組となった由。これもその前兆である。

一方五公五民の日本では、若者が子供二人もまともに育てられない人生設計にしかならない日本に見切りをつけ、海外移民を目指すシーンも出てくるのではないか。生活の場として、日本が良くて中国が悪いというのは、もはや現実ではなく単なる先入観かもしれない。

バブル期に日本が良くなりすぎ、30年の無成長の結果、重税・重社会保険料・重い再エネ賦課金により、いつしかジリ貧国家となり、若い日本人が日本を見切る時節も見えて来た。

 

無学祖元は、元寇対応で有名な北条時宗の禅の師として有名である。13歳で父を失い出家、杭州径山寺の無準和尚に参じ、無字の公案を与えられた。七年後、寺僧の打つ木版の音を聞いて開悟したが、無準老師は、これを小悟と退けた。

無準遷化後も無学祖元は、さらに十数年も冥想修行を継続、36歳の時、道端で井戸水を汲む轆轤(ろくろ)がくるくる回っているのを見て、廓然として大悟した。

 

折しも元兵の兵難に追われ、浙江省台州真如寺から温州能仁寺に移ったが、そこにも元兵が乱入してきた。無学祖元は、ただ一人坐禅していたが、首に刀を当てられたところで、一偈を唱えた。

 

乾坤弧笻(こきょう:竹の杖)を卓(た)つるに地無し

喜び得たり人(ひと)空(くう)にして法も亦(ま)た空なるを

珍重す大元三尺の剣

電光影裡に春風を斬る。

 

大意:

天地の間に竹杖一本を卓てるところはない、喜ばしくも気づいてしまった、人は空であり法もまた空であることを。

大元の三尺の大剣を有難く受けよう

(私を斬っても)春風を一瞬にして斬り裂くようなものだ。

 

気押された元兵は去って行った。これは、辞世の偈である。『喜び得たり人(ひと)空(くう)にして法も亦(ま)た空なるを

』とは、首に剣を当てられて、もう一度大悟したということだろうか。恐怖の恵み。

 

『春風』という軽さが、彼のいた境地の本物であることを示しているように思う。

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