唐の再統一をほぼ成し遂げた憲宗。在位中に淮西・淄青・魏博・義武・横海を帰服させ、成徳や盧龍もまた従うが、宦官により殺害されたため完全統一を為しとけることができなかった。その過程において多くの使相が任命された。會要記事はここでも記載漏れが多い。
○劉濟 盧龍 継続
○李師古 平盧 継続
○張茂昭 義武-河中 継続
○吳少誠 淮西 継続
○王士真 成徳
○田季安 魏博
○高崇文 邠寧
○裴均 荊南
○王鍔 河東
○劉總 盧龍
○田宏正 魏博
[記載漏れ]
于頔 山東 継続 →入相
韓弘 宣武-河中-忠武
裴度(文官)彰義
李吉甫(文官)淮南
武元衡(文官)西川
杜鴻漸(文官)河中
袁滋(文官)西川
張弘(文官)宣武
李夷簡(文官)淮南
李吉甫(中書侍郎)武元衡(門下侍郎)裴度(門下侍郎)など中央の宰相職を保持したまま使相となる
例が多くなってきた。この時代と文宗開成期によくみられる。意味としては皇帝の信認が厚いというこ
とであろう。
○劉濟 盧龍 継続
○李師古 平盧 継続
○張茂昭 義武-河中 継続
○吳少誠 淮西 継続
○王士真 成徳
○田季安 魏博
○高崇文 邠寧
○裴均 荊南
○王鍔 河東
○劉總 盧龍
○田宏正 魏博
[記載漏れ]
于頔 山東 継続 →入相
韓弘 宣武-河中-忠武
裴度(文官)彰義
李吉甫(文官)淮南
武元衡(文官)西川
杜鴻漸(文官)河中
袁滋(文官)西川
張弘(文官)宣武
李夷簡(文官)淮南
李吉甫(中書侍郎)武元衡(門下侍郎)裴度(門下侍郎)など中央の宰相職を保持したまま使相となる
例が多くなってきた。この時代と文宗開成期によくみられる。意味としては皇帝の信認が厚いというこ
とであろう。