唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

宣歙観察使 寧國軍節度使 その2

2013-01-06 11:48:10 | Weblog
・大中12年[858年]都將康全泰の軍乱により観察使鄭薫が逐われた。これは江南道に連鎖して起こった軍乱の一環であり、
収奪に励む官僚と冷遇される軍人との紛争であるが、弱体な牙軍の反乱でありすぐ鎮定された。
・乾符年間[874-879年]に入ると流賊が管轄諸州を荒らし、荒廃した。
・中和2年[882年]元賊の和州刺史秦彦は観察使竇潏を逐い自立した。彥は光啓3年[887年]淮南高駢の後を占有し、趙鍠に譲った。
・龍紀元年[889年]盧州楊行密は宣州を陥し鍠を殺した。そして寧國軍節度の號を得た。景福元年[892年]行密は淮南を制圧して
移り、その將田頵が嗣いだ。
・頵は行密配下とは言え、積極的に自勢力拡大につとめ、勝手に浙西への侵略を行い、行密との軋轢が生じた。
・天復3年[903年]行密は頵を討ちこれを殺し、臺濛や子の楊渥を置いた。
・行密没後、渥のあと勇将王茂章が嗣いだが、やがて反し錢鏐のもとに走り、ついで朱全忠の將となった。