唐の天寶12年(753)の元旦の朝儀において、日本の大伴古麻呂が、
朝鮮の新羅と席次を争い上位を確保したという「天宝の争長事件」
がある。日韓問題がもめている現在、このような些細なことすら
話題にするものがいる。だが唐史を少しでも知るものにとっては
このようなバカバカしい話しはない。
唐史における外夷の重要さは、突厥・回紇・吐蕃・南詔が最重要で
あり、高句麗・渤海・吐谷渾・黨項・契丹・奚などが次ぎ、新羅も
重視されている。日本(倭)は時折朝貢する小国に過ぎない。
天寶年間においては新羅は唐に忠誠であるので、時期的に格下げに
なることもない。日本の席次は当然として新羅の下であろう。
朝儀にこだわる唐官僚がそれを乱すわけがない。変な事をすれば
弾劾されるであろう。新羅と日本の朝貢関係などは唐にはなんの
関係もないのだ。
明治以降日本が朝鮮を凌駕することが続いたとは言え、韓國等を
嫌悪することがあるとはいえ、歴史的事実を無視することはでき
なない。これは大伴古麻呂の虚言か妄想と判断するしかない。
朝鮮の新羅と席次を争い上位を確保したという「天宝の争長事件」
がある。日韓問題がもめている現在、このような些細なことすら
話題にするものがいる。だが唐史を少しでも知るものにとっては
このようなバカバカしい話しはない。
唐史における外夷の重要さは、突厥・回紇・吐蕃・南詔が最重要で
あり、高句麗・渤海・吐谷渾・黨項・契丹・奚などが次ぎ、新羅も
重視されている。日本(倭)は時折朝貢する小国に過ぎない。
天寶年間においては新羅は唐に忠誠であるので、時期的に格下げに
なることもない。日本の席次は当然として新羅の下であろう。
朝儀にこだわる唐官僚がそれを乱すわけがない。変な事をすれば
弾劾されるであろう。新羅と日本の朝貢関係などは唐にはなんの
関係もないのだ。
明治以降日本が朝鮮を凌駕することが続いたとは言え、韓國等を
嫌悪することがあるとはいえ、歴史的事実を無視することはでき
なない。これは大伴古麻呂の虚言か妄想と判断するしかない。