唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

唐朝の皇太子 その5

2018-02-16 19:53:47 | Weblog
我が子よりも寵臣が大事な武后

雍王賢は武后の第二子で容貌がよく高宗に可愛がられ利發であった。
兄弘が殺された?後、上元2年5月に立太子された。
その後も高宗を助けて学問にも励んだが、武后が信任する道士明崇儼
と対立し、実の母親が武后の姉である韓國夫人ではないかと疑った。
永隆元年崇儼が暗殺されると、武后は太子を疑って高宗に迫り乱を企
てているとし、8月廃して庶人とした。
高宗はこれに逆らえなかった。
そして意志薄弱な英王哲を太子とした。
文明元年3月武后は丘神勣を指嗾して殺させた。
その後雍王に復し、睿宗時に贈章懷太子の号を贈られた。
三子は則天時代は軟禁拷問され、二子守禮のみが生き残り玄宗時に
邠王となった。